子供が勝負なら親も一緒に勝負!

6年前の201221日に2192日からカウントダウンが始まりました。あれから365日が3回と366日が2回、そして335日目が2018年の元旦で残り日がジャスト1か月を切りました。6年前のあの日、長男は中学受験を失敗してどん底まで落ちていました。塾の先生曰く「過去の模試の成績から見てあり得ない結果だ」と。そう言われても現実がそうなのだからこちらもやるせない気持ちでいっぱいでした。それでも「捨てる神あれば拾ってくれる神もあり」とはよく言ったもので現在の学校だけは合格させていただき現在に至ります。当時は気づきませんでしたが、振り返ってみるといろいろ異変はありました。親の目をくすねて勉強をしている振りをしてゲームをしていたことも多々あり、「あそこでもう少し軌道修正しておけば」と思っても後の祭りです。また現在の彼曰く「当時は勉強をやらされていた」と。これも「親のエゴ」と言われれば否定のしようがありません。そして一番の原因は彼が勉強する知能と世の中を生きていく上での知恵が乖離していて、一言でいえば「幼すぎたのだ」と今では思っています。事実、中学に入学後も2年の頃から全く勉強しなくなり授業中は堂々と睡眠学習をしてテストでも白紙答案を提出して宿題なんか全く無視でした。夜も遅く帰るようになりました。毎回の三者懇談は私も出席して四者懇談にならざるを得なく学校の先生が検察官で我々は被告席に座る気持ちでした。そしていつも最初の第一声が「いつもご迷惑をおかけして申し訳ありません」が枕詞でした。また他にもいろいろやらかして退学にならずに無事卒業さえさせてもらえればという気持ちで砂を噛むような毎日でした。それが今から3年前で我々夫婦ともどもテンパっていましたが、当時の担任の先生のフォローでどうにか乗り越えることができました。今でも当時の担任の先生には感謝でいっぱいです。誰でも困難にぶつかるとそれが今までに経験がないと史上最大のピンチに見えます。乗り越えた人から見ればただの「心の風邪」くらいにしか見えないのですが。当時は相談できる相手もいませんで、親しくしている飲み屋のマスターに一人で行って他のお客さんがいない時に愚痴るのがせいぜいでしたが、彼の存在は当時とても大きかったのです。彼も中高時代に相当荒れていたみたいでそれを乗り越えて現在があるため、彼から見ると「目は死んでない。大丈夫!」と太鼓判を押してくれました。また小さい頃からよく長男を連れて行った焼鳥屋のおばちゃんも「長男の手を握って目を見て大丈夫」と言ってくれて現在があるのです。

石の上にも3年と言いますが、やっとこの1年は私の目から見ても長男が少しは成長したように見えます。親バカかもしれませんが、「この3年間は子供が親を成長させてくれたのだ」と思えるようにもなりました。私も親として「生きた目」と「死んだ目」を少しは判別できるようになりました。そして「今現在の最優先事項は何か?」と考えながら必死でやってきました。もうセンター試験が目前ですが、どんな結果でもそれを受け止めて前を向いて今できることを最大限にするつもりです。子供のためというよりは自分のために。

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