長男の高校卒業式

毎年31日になると自分の高校卒業式を思い出します。卒業式は小学、中学、大学と出席しましたが、今ではあまり記憶にありません。当時は多分どの卒業式も印象的で感慨深かったのでしょうが、時が経つと記憶が薄れてセピア色になってしまいます。なんとなく自分の名前を呼ばれて返事をした記憶は残っているのですが、どの時代の卒業式かは混同してわかりません。一方で高校の卒業式は出席していません。高校の卒業式には自分は無遅刻、無早退、無欠席で皆勤賞をもらうために意地でも当初は出席する予定でした。ちなみに当時の500人の卒業生で皆勤賞は50人以上いたと記憶しています。しかし幸か不幸か大学の二次試験がちょうど卒業式の日にぶつかっていたのです。当初はそこまで想定していませんでしたので、2月下旬に一次合格発表の後にダブルブッキングが判明しました。流石に卒業式に出るわけにはいきません。皆が午前中の式で名前を呼ばれているときに私は新宿の母校の体育館で小論文と面接を受けていました。出席できなかった卒業式ですから余計に想像をかき立てられます。帰ってから代理で出席した母にいろいろと聞いたものでした。なぜか出席してないけれども自分の記憶の中では出席した小中の卒業式よりも鮮明に記憶が残っているのです。出席できなかった自分が出席したという想像での記憶が現在の私の脳裏の中では一番光って見えるのです。夢が実現した時に「こんなものか」と思っていたほど感動が湧いてこない時がありますが、例えて言えばそんな感じでしょうか。夢はいつまで経っても夢の中に身を置く方が色褪せずに永遠の色を創造できるのではないかと思っています。

今回は同じ長男の卒業式が私の出席できなかった36年目の本日31日に迎える事になりました。長男は卒業式に出席しましたが、私は仕事で出席できずに家内が見届けてきました。この6年間は良い思い出も多くありましたが、それ以上に親があたふたさせられた6年間でもありました。子供の卒業式というよりも寧ろ両親の子育てからの卒業とういう方が自分にとってはしっくりきます。まだ大学卒業するまで子育ては続きますが、それでも子供の一挙一動に親として振り回されはしたけれども、それでも必死で胸を張って対応してきたこの6年間は感慨深いものです。特に生活態度が良かった長女の場合よりも苦労させられた分、彼の卒業に対する思いも強くなるのでしょう。学校の先生にはお世話になったのですが、特に中学の時の担任の先生には長男が崩れかけた時にいろいろと親身になって助けていただきましたので、せめてお礼だけでも思っていました。しかし結局ご挨拶はできていません。子供からすれば「そんなの必要ないよ」と言うかもしれませんが、私たち両親からすれば子供のピンチの時に先生から差し伸べられた救いの手は神の手に匹敵します。しかしまだ長男にはそれがピンときません。きた方が気持ち悪いくらいです。それも長男がこれからの長い人生の間で結婚して子供ができて同じ経験をした時には必ずわかるはずです。また新しい出発が始まります。

カテゴリー: 日常のこと パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です