ゴールデンウィークの過ごし方の変遷

今年のゴールデンウィークは勉強三昧でした。体よく言えば知的に過ごした連休となりますが、実際は二次関数の最大、最小値との格闘です。物理は作用反作用やつりあいや重力などの力学、化学は電解質のイオン解離などもしました。やるうちに昔の知識が少しずつ蘇ってきました。最近は盆、正月とゴールデンウィークは遊びに行くよりもこのような知的作業を楽しんでいます。以前は自分にとって勉強は性に合わないものだと信じていましたが、実は違っていたようで自分の中での本質部分は好きなのだと思っています。ただしその条件として勉強をやらされる場合と仕事に絡む勉強は今でも大嫌いです。当たり前のことですが、自ら進んでやるから楽しいのです。今回の知的作業も最初は子供の試験勉強でやらされていましたが、その後自ら計画して目標に向かい始めると楽しくなります。しかし連休に入る前はこの悪戦苦闘を予想して「嫌だなあ」と尻込みします。いざ突入すると毎日疲れ切って「もういい、勘弁して」と思います。そして最終日には「今回もよくがんばった」と感慨深くなります。そしてその日の夜の打ち上げのビールは格別です。

ところで連休が勉強三昧になったのはいつ頃からでしょうか?かれこれ自分が子供の受験に関わりだした10年前に遡ります。最初は連休全てを潰して勉強三昧のようなことはありませんでした。上の子供たちが優秀だったからではありません。上から順番に同じ経験を積んでいくと最初は右往左往しますが、3度目になると効率もよくなります。一方で過去の苦い経験を生かすべく更にやるべきことがどんどん増えててんこ盛りになります。そしてここ数年の連休では毎日がとてもしんどくなり「連休なんか早く終わってしまえ」と思うようになってきました。もっと昔に遡ると連休は家族皆で旅行に出かけていました。各地の催し物に参加して専ら遊び三昧の楽しい一瞬でした。もっと昔に遡ると勤務医の頃は大抵日直か当直で赤日連休も仕事で飛び石連休でした。まだまだ時計の針を戻して30年以上前の学生時代に遡ります。当時は運動クラブに属していましたので連休には合宿がありました。普通の大学の体育会系のクラブと比較すると甘いかもしれませんが、自分たちの中ではこれが結構きつくて「早く連休なんか終わってしまえ」と思っていました。そして干支が3周した頃まで遡ると自分が現在の子供たちと同じ立場になります。連休は受験の第一の天王山でした。第二の天王山の夏休みまでに45日まとめて休みが取れるのはここしかありません。自分の親は全く受験勉強に関わっていませんでした。しかしやらなければいけないことに変わりはありません。現在の子供たちの気持ちは痛いほどわかるつもりです。やりたいと思ってやっていた勉強ではありません。早くこの灰色のハイスクールにピリオドを打つべく「来年の今頃は花の大学生になって遊びまくるぞ」との思いを抱きながら嫌々していました。結局、三回り以上周ってみると昔の自分と今の子供たちもそうたいして変わらないことに気づきました。歴史は繰り返すということです。やりたいことをしているという点では現在の連休が一番幸せなのかもしれません。

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