受験も診断も子育てもロジックである

「ロジック」を国語辞典でひくと「論理」と出てきます。数学で論理というと仮定から情報を集めて結果を推理して結論を出していくことで、医療では患者さんの訴えを聞いて情報を集めて検査をして診断を下して治療をして結果を出すことです。まるでバラバラに散らばったジグソーパズルの断片を重ね合わせて一枚の絵にするが如くです。また最近の経験でそれが受験や子育てにもあてはまることがわかってきました。

子育てでは第一子が生まれた時には先輩や親や本などから知識を吸収して見様見真似で何もわからずにいろんなことを経験していきます。その経験の中でも喋れずに泣くだけでしか表現できない子供の様子を丹念に観察していろいろな推論を立ててミルクをあげたりおむつを替えたりします。そのうち慣れてくるとちょっとした仕草で赤ん坊が何をしてほしいのかがわかってきます。これも病気の診断や治療と同じで経験則と本や先輩からのアドバイスによる「ロジック」なのです。小難しいことを言っているようですが、人間全ての行動では過去の経験則を頼りに最善の方法や手段を考えて実際に行動するのですからそれは論理的であるわけです。受験も同じです。受験生当時に数学はロジックであるとわかっていましたが、その他の教科はそう思いませんでした。しかし年齢を経るに従い国語のしっかりとした文章ほど論理的な展開になっていることがわかってきました。当時の受験生時代には国語とはわけのわからない相手の気持ちを汲むための教科であると思っていましたので、当時の共通一次で平均点を切ったのも頷けます。歳を取り人生経験と他者の経験を読書によって学んできた現在では国語は数学と並んで立派な論理的な教科と断言できます。昔何かの本で国語のできる人が「国語とは読書と人生経験である」と言われていたのが今になって身に沁みます。うちの長男も最近になって「国語は歳を取ればできるようになる」と主張していましたので当時の受験生の自分よりは一歩も二歩も先を行っているのかなと思いました。

そして最近3人の子供の受験を経験して受験教科の勉強以外に受験校を選択や試験を受けて合格した場合や不合格になった時の再チャレンジも論理的な手段を駆使しなければいけないことにようやく気付きました。遅かりしといえば遅かりしなのですが、それでも今からでも間に合えばと思っています。まず受験についても正確な情報を集めることに尽きます。現在では一次と二次の合計で高得点に追加として小論文や面接重視の大学もかなり増えました。また推薦入試や地域枠入試なども探せば一般入試の正面突破よりも少しでも合格しやすい手段がある大学も増えてきました。それこそ多様化時代に即しているのかもしれません。そして結果が不合格でも今度はどこの予備校が良いかという情報収集が始まります。昔みたいに駿台から東大へという一辺倒の時代ではないのです。やはりその個人にあう適性や相性をみつけなければなりません。これこそが人生の進路を決定する最大のロジックと言って過言ではないでしょう。

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