本業でないことは楽しい

以前、元ヤクルトスワローズの宮本選手が「仕事で楽しいと思ったことは一度もない」と言われたことをこのブログでも取り上げましたが、今回はその第二弾です。今回は子供に教えるために高校数学を勉強し直しましたが、正にその通りでした。いつも月に1回内科学会から医学雑誌が送られてきて最近のトピックスなる話題が4050ページにわたって書いてあります。自営業のためなかなか学会に出席できないし出席しても最新の話題にはついていけないことも承知していますので責めてもの思いで毎月読んで理解しようとしていますが、なかなか全てを自分の頭に吸収することができません。まだしも自分の専門領域であれば経験がなくともおぼろげに想像もできるのですが、非専門領域ではさっぱりわかりません。そしてこれが飯のタネと思えば思うほどその11行を読んでいくのが苦痛になります。プライベートで読みたい本を読むときは専門書であっても自分の趣味で読むのですから理解が困難でもそれはそれなりに楽しいものがあります。ですから今回の数学を復習するにあたっても難しい問題が出てきて理解不能でもそれなりに充実した時間を送ることができました。一方で医学専門書は自分ではやらなければいけないというmustな気持ちがあるため楽しくないし理解できなければ更にcan notな気持ちが更にモチベーションを下げる相乗効果を持っているのです。本当にやりたければwant toな気持ちで自らwillしなければいけないのでしょう。英語も子供に教えていますが、助動詞でも前向きな助動詞と後ろ向きの助動詞があります。もし私がこれから塾の講師になるつもりで勉強するならばそれこそ飯のタネにしなければならなくなりmustな気持ちとなり数学も全く面白くなくなって苦行の時間となるに違いありません。

ではその違いは何であるかと考えていくとそれが本業か本業でないかが大きな違いではないかと思うのです。本業だとそれができなければ「おまんまを食えない」ので嫌でもやらざるを得ません。本業でなければ「別にできなくても食いっぱぐれない」ためできてもできなくても気楽な事が楽しさに繋がるのではないかと思っています。ただこれはあくまでも現時点でまだ本業を10年以上残した状況での私なりの結論です。いずれ引退する時には現在とは違った答えになるかもしれません。なぜそう思うのかというとよく雑誌やテレビなどの対談で「趣味は仕事」とか「趣味が高じて本業になった」というお話を聞くことがよくあります。未熟な私にはどうしても「その心」がわかりません。言いたいことはよく理解できるのですが、実感として湧いてこないのです。だから冒頭でも話題に出した元プロ野球選手の「仕事で充実感や満足感や達成感は得られても楽しいことは一度もなかった」という言葉がすっと私の心に腑に落ちたのです。もしかしたら「楽しさ」とその他の「満足や充実や達成感」を混同しているのかもしれません。今回は1年かけて高校数学をやり遂げた達成感や充実感の中に将来本当に楽しさが同居できるかどうかは今の時点では不明です。

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