AならばB、BならばC

本日のお題は何を言っているのか想像することは困難かもしれませんが、簡単な例を挙げてみます。鳥は生き物である。これがAならばBです。では生き物は鳥である。これは一部当たっていますが正解とは限りません。鳥でなくとも他にも生き物はたくさんいるからです。これを数学の世界では必要条件と十分条件と言います。小難しいことは置いといて何を言いたいかというとその中でも「AならばB」と「BならばA」というどちらもOKという条件の事を二つ合わせて必要十分条件と言います。つまりどちら側から見ても真実は一つという場合に使います。私は○○である。○○は私だ。この○○に自分の名前を入れてみてください。同姓同名という例外は別として11対応になるでしょう。そのような関係の事を言います。つまりその条件ならば自分しかいないという事実を数学的に表現したものです。次に更に発展させてみましょう。23より小さい。12より小さい。その結果13より小さい。これが本日の題目であり題目には敢えて書きませんでしたが、答は「AならばC」であるという真の答を導けます。数学の世界では解答が複数のこともありますが、ほぼ解答は一つしかないことが多いのです。ただしその正解に至る過程にはいろいろな手段があります。例えば歩いて地道に時間をかけて計算する場合やどこでもドアという公式に当てはめて一瞬で解答できる場合もあります。結果としてゴールにたどり着けばどの手段でも正解なのです。

ではこれを一般社会で考えてみましょう。「この仕事ができるのはこの世界でもそんなにいない。その中でもこの仕事だけは絶対に誰にも負けない」という自負が自分にあるとすればそれは「AならばC」であるという考え方に近いでしょう。「この仕事なら私に頼めば一番よい仕事をする自信がある」これは最初に挙げた「AならばB」と「BならばA」という必要十分条件を満たしているでしょう。つまり自分の誇れるものつまり「オンリーワン」を持つことの重要性を説いています。ときに日々の生活や仕事で「どっちにしようか」と悩むことも多々あります。例えば「今日の夜は肉にしようか?魚にしようか?」と悩みます。「昨日は肉だったから今日は魚か」と答えを出します。これが正に「AならばC」という考え方の原点なのです。小難しいことを書き並べましたが、人は物事を考えてどちらかを選択しなければならない時にはこのように数学的な発想を取り入れて論理的に進めようとします。自分自身ではそんなことを考えているつもりはないのですが、数学的体系的に沿って物事を考えるのです。人がこの世の中を生きていく上で多くの悩み事を抱えますし私も同じように悩みます。その時私はいつも数学のこの論理を最大限に駆使して考えるようにしています。悩み事や選択肢をシンプルに2個若しくは3個挙げてみてそれをABCに当てはめます。そしてそのABCの順番をいろいろと変えてみます。結果としてどの順番でもその条件が成立する場合はその論理は普遍性をもっていると判断して現時点での正解として選択します。勿論、現時点での正解であって未来永劫の正解ではありません。

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