長い長い年末年始

本日は皆様にご報告をしなければなりません。半年余りの闘病生活の末、平成31110日に私の父が亡くなりました。以前から状態は悪かったのですが、超低空安定飛行でどうにか飛行を続けていましたが、先月末の天皇参賀の上京から帰ってきた翌日の早朝に電話で父が危篤状態になったのが1225日でした。奇しくもその日は父の90歳の誕生日でした。それまでも超低空飛行で危なっかしい時期もありましたが、やはり昭和一桁生まれは強いという一言に尽きます。ほぼ意識の遠のいた父もせめて自分の誕生日までは頑張りたかったのかもしれません。

それから長い長い年末年始が始まります。最初は数日で年末くらいには結果が出るだろうと思っていましたが、1日、2日と経過して大晦日までにはと思いながら年越しです。せめて元旦だけは避けてほしいと思っていましたが、早13日に突入です。最初の頃は脈拍が1分間に80から90回打っていましたが、過去の経験から危篤状態に陥るとおよそ48時間で脈拍が落ち始めて血圧も上が80mmHgを切り始めて脈拍が60台になるといきなり心臓が止まってしまいます。過去に多くの患者さんを見取りましたし、自分の祖母が亡くなった時も同じパターンでしたが、今回は危篤状態宣言から早8日目に突入です。その間交代で泊まり込みもしましたが、皆体力や体調維持の限界にきまして大晦日の夜は父には悪かったのですが、皆それぞれ帰宅して休ませてもらいました。またこのような状況で年末年始が過ぎていきましたので、毎日が長いような短いようなおめでたいやらそうでないやら何となく訳のわからない混乱した1週間でした。私の過去の経験からこれ程長く引っ張られたのは初めてで余程父はまだこの世に未練があったのかもしれません。しかし生きるものは必ず死を迎えるというのも事実でいろいろ考えさせられました。また少し不謹慎ですが、暦の上で友引などの日取りもついつい考えてしまいます。正月明けの仕事の予定や通夜や本葬などの日程も知らず知らずのうちに意識してしまいます。自分の性格なのか日本人はほぼ皆同じなのかはわかりませんが、家族が危篤状態に陥るとついつい次の儀式の日程が気になります。そんな事を気にせずになるようになるさと思える性格が一番幸せなのでしょうがなかなか難しいものです。

そして父が亡くなり通夜や葬儀をして一段落つきましたが、まだなんとなく宙に浮いたような気分です。自分としては仕事をしながら平常でいるつもりなのですが、実際は諸手続きの実務などもありまだ通常モードに戻っていません。本当に落ち着くのは49日が過ぎてからでその頃になるといろいろと過去を振り返って思うことが出てくるのではないかと思います。また丁度長男は現在受験戦争の真只中ですので、それはそれで頭の中では別の場所で電気回路がショートしながら動いています。ただ父の葬儀を見ているとたくさんの方に見送っていただき父の人生90年は良かったのだと思っております。この場をお借りしまして御礼申し上げたいと思います。誠にありがとうございました。

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