命と継承どっちが大事

今だからこんな話ができますが、昨年の527日の日曜の朝の6時頃でした。晴天の気持ち良い朝で今日も1日何をしようかとコーヒーをのみながらくつろいでいました。そこに1本の電話が自宅にかかってきます。「こんな朝早くから何事?」と思いながら出ます。相手は父が入院している病院の看護師からです。「急変して心臓が止まりましたので心肺蘇生を施しています」という内容でした。その後はよく覚えていませんが、電話を切って家内や子供を起こして一言「心臓が止まったのですぐに病院へ」と大声で叫んでいたように記憶しています。弟にも連絡するのですが、手が震えてスマホの番号がうまく押せませんでした。心の中で「落ち着け」と何度も呪文のように繰り返しますがなかなかうまく電話をかけられません。それから病院へと駆けつけ一命はとりとめるも人工呼吸器や点滴やモニターなどがいっぱいでICUにいます。そこまでは流れに身を任せて病院スタッフの言う通りに従うだけですのである意味何も考えなくてもどうにかなるのです。しかしその後に頭の中に「診療所の継承はどうなるの?」という不安が過ります。もしこのまま亡くなればお役所手続上では閉院手続きをしてそれから開院手続きをしなければなくなります。勿論以前から準備していましたのでまだ冷静に事を運べましたが、それでもこの非常事態では頭の中はかなり混乱しています。遡求手続についてもある程度は理解していましたのでどうにかなるとはわかっていましたが、それでも頭の中はぐるぐると巡り巡っています。人一人の命がかかっているのに一方では死んだら困るので死ぬまでに書類手続きを済ませなければなりません。ですから人の生き死によりもお役所手続の方が妙に頭の中でリアルにうごめいているのです。多分この感覚は以前、祖母が亡くなった時にDrからご臨終ですと宣告されるまでは手をさすっていたのに宣告されたら急にどこの葬儀社に電話するのかとか市役所に死亡届を提出しに行かなければならないとかそんな雑念が頭の中で悲しい回路とは別の回路で周り始めた時の感覚と似ています。「ああ、あの時の感覚に似ている」と感じたのです。

どこの国でも一緒なのかもしれませんが、ことお役所手続に関しては万国共通でその手続きが終了しない限り、ルールはルールで例外は認められません。なんか変な話ですが、本当に故人を慕う気持になれたのは葬儀社がしっかりと死化粧をしてきれいな顔を御棺から覗いたときに初めてホッとしたことを覚えています。今回も同じようにその日は1日のうち大半は継承手続きのための連絡で医師会の事務長さんや税理士さんなど多方面の方に電話しまくっていました。「頼むから、継承手続きが終了する一両日中までは生きてくれ。それが終了すればどうでもいいから」などと冷静な状態では考えられないような回路に電流が流れていました。お役所手続は重要ですが、もう少し融通の利くような対処をしてほしいと思います。特に日本のお役所は本当に融通が利かないと思うのは私だけではないでしょう。ピンチの時に助けるのが本来のお役所仕事だと思いますが、甘い考えでしょうか?

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