記念の400回とこの1か月の目まぐるしさ

今回は約8年前から始めたこのブログが400回目を迎えました。目標の1000回にはまだまだ道半ばです。この間にいろいろな出来事がありましたが、過去のブログを読み返してみると昨日のことのように思い出されます。400回も書いたのかと感慨深くなりますが、それでもまだ600回も残っています。これからもよろしくお願いします。

今回は400回記念で過去からの回想を書こうと思っていましたが、この1か月で目まぐるしく私の人生が変わっていきそうですので急遽この1か月の回想に変更します。まず年明け早々父が亡くなり「日本のお役所は!」と疑問を抱きながら毎週木曜の午後は金融機関やお役所巡りで1カ月経過しましがまだ手続きは終わりません。公的機関は土日が休みで通常は私も仕事でなかなか時間が割けません。唯一の木曜午後に手続きを集中させています。本来なら母がすべきことなのですが、母も体調を崩していて私とかみさんで巡っています。また今回の葬儀には子供達は出席させませんでした。勿論、孫も出席できればそれにこしたことはありませんが、状況が困難ならば仕方ありません。今回は特に日程的に最悪で、長女は学年末の後期試験の最中で忌引きは認められるかもしれませんが、敢えて進級に不利になる可能性も否定できず葬儀の参列を断念しました。また長男はセンター試験1週間前で東京にいます。葬儀に参列は可能でしたが、インフルエンザの大流行で体調管理やそれ以上にセンター試験への精神的な緊張感の途切れを最も心配しましたので参列させませんでした。それなら亡くなった事自体を知らせることが良い事かどうかもわかりません。結局長女には1月下旬の後期試験が終了した後に訃報を知らせ、長男には2月中旬にこの文章を書いている現在にも知らせていません。しかし長男も薄々は気付いているかもしれませんが、敢えてお互いにその会話には触れません。長女にも長男にも帰省したときにはいつも「父とはこれで最後かもしれないから最後のお別れをして出発しなさい」と繰り返して言ってきましたので、上京する時はその覚悟をして出発して行きました。次男は唯一葬儀の参列の可能性がありましたが、彼も運悪く父が亡くなった翌日に県の弁論大会があり彼がその世話役になっていましたので参列できませんでした。よって子供達は3人とも葬儀に参列できませんでした。これを読まれている方によっては「なんて非常識」と思われる方もいるかもしれませんが、私の祖父から父そして私に至るまで「個人の大切なことがある場合は個人を優先して残った家族の誰かがカバーする」という暗黙の了解があります。亡くなった父もちゃんと結果を出した孫たちが後に会いに来てくれる方を望んでいたのです。

次の49日の納骨の時は、長女の後期再試験の可能性、長男は国立前期の直前、次男は学年末試験の真最中です。本当にタイミングが悪いというのはこういうことを言うのでしょうが、子供達それぞれが己の結果をしっかりと出した後にゆっくりと父の墓参りをさせて頑張った成果を報告させたいと思っています。

カテゴリー: 日常のこと パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です