今年の受験総括

1月下旬から2月下旬までのおよそ1か月は自分が受験はしないのですが、親として子供が受験をするのを黙って見ているしかないのも精神的につらいものがあります。数日おきに受験して1週間後に一次合格発表があり合格すれば小論文と面接の二次試験が待っています。その頃には次の大学の一次試験が待ち構えていますが、二次試験と別の一次試験とが重なったらどちらを選択するかを入試の願書を出す前は周到に考えます。しかし実際には二次試験と一次試験が重なって嬉しい悲鳴を上げることはあまりありません。寧ろ、一次試験の発表が不合格となり不安のまま次の大学の一次試験に突入するという事態が2月上旬まで続きました。なかなかそのような状況に陥ると長男にメールで励ましのメッセージも送れません。昨年から長男には事あるごとに「受験して複数の大学に合格しても行ける大学は一校のみだから第一志望の大学に合格さえすればその他大勢の大学は全て全敗でも構わない」と言ってきました。理論上は正しいのですが、実際にその通りに事が運んで第一志望以外の一次合格発表で「落ちた」とメールを見るたびに胃がどんどん痛くなってきます。理想と現実はかなり異なります。そして第一志望の大学の受験日を迎えます。私は何もすることができません。「どうか、受かってくれ!」とただただ祈るのみです。それから一次合格発表までの約1週間は生きた心地がしません。毎日毎日がとても長く感じられます。そして結果発表の日にメールで「あった」という一言をどれだけ待ちわびていたことか!その文字を見ると「やった!」という喜びが湧いてくるよりも先に力が抜けたというのが実感でした。しかしすぐに二次試験の小論文と面接がありその対策にとりかかります。傍観者はまた精神的にきつい局面へと突入していきます。二次試験のできも合否に影響はしますが、一次試験の持ち点が非常に大きく合否に左右します。一次試験のできでほぼ合否は決まっているといっても過言ではありません。ですから二次試験合格発表までの約2週間は生きた心地がしませんでした。面接が終了してメールで「面接の内容はどうだった?無難に乗り切った?」と聞くと「ヒューマンエラーについていろいろと質問されてとても重い雰囲気だった」との返信でした。我々の現役の医療現場でさえ「ヒューマンエラーの回避」には頭を悩ませているのが現実です。そのような難問を一介の受験生に質問しても正しい答えなど期待できません。敢えてそのような質問をすること自体がナンセンスですが、老獪な第三者からみればニコニコと面接が楽勝だったというケースよりもかなり合格する可能性が高いのではないかと思います。もし自分が面接官なら本当にほしい人材なら難しい質問をして新しい発想を期待しその人物評価をしてみたくなります。

合格発表の日にPCで長男の受験番号の495を見つけた瞬間は嬉しさよりもやっと終わったという気持でヘナヘナと力が抜けました。結局第一志望の大学に合格でき1勝残り全敗で一番効率よく合格できました。途中の不合格が続いたときには流石に苦しい気持ちで逃げ出したくなりましたが、その長い道のりを振り返ってみるとあっという間でした。

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