再びハワイ島へ ~出発までの経緯~

父が亡くなって年末に1周忌が終わりました。母の体調もすぐれませんが、体というより心の不調が主体でこの1年間を過ごしてきました。このままではいけないと思い春に母に尋ねました。「このまま父の後を追うように死んでいいのか?」何も返答はなく、ただただ窓の外をボーッと眺めています。父が生きているうちは80代には見えないような元気者でしたが、この2年で年相応以上に老化しました。やはり人間は尽くす人がいれば元気に生きることができますが、その伴侶がいなくなるとダメになってしまうのでしょうか。これこそ燃え尽き症候群の典型といっていいでしょう。心療内科や施設に入所していろいろとリハビリを繰り返しましたが一向に改善の傾向はみられません。時間が薬とよく言いますが、まだ亡くなってから1年も経っていないので致し方ないのかもしれません。

話は変わりますが、母にはハワイ島のヒロに妹がいます。私から見れば叔母にあたりますが、複雑な事情でこの20年会っていません。それまでも何回かは会いましたが数えるほどです。この数年は特に父の体調の悪化からそれどころではありませんでした。そしてこの抜け殻状態で人生の大ピンチを乗り切るには無理やりにでも母をハワイに連れて行くことしかないのでは?という気持が徐々に強くなり、家族や弟にも相談して皆も賛成してくれました。しかし当の本人が首を縦に振りません。何がそこまでして母をハワイに行かせないのか?心の奥底に潜むものが何なのかはわかりません。でもそれしか前へ進むべき道がないいうことで皆の一致した意見です。それで本人の承諾なしに正月のハワイ行の飛行機を予約しました。勿論、母には内緒です。父の初盆が終わってからハワイ行きの話を母に切り出します。予想通り母は行かないとの一点張りです。当初の想定内でまずは母のパスポートを作りに行かなければなりません。そこでまだマイナンバーカードを作ってない多くの高齢者の一人である母にこう切り出します。「最近は年寄りの本人確認も顔写真付きの身分証明書がいるが、マイナンバーは騙されると怖いからパスポートを作っておけば身分確認にいつもあたふたしなくて済むから作ろう」と言います。母もそれを鵜呑みにしたのか、こちらの魂胆を見抜いていたのかは知りませんが、その話には乗ってきました。まずは第一段階が終了です。8月下旬に市役所に母の10年間のパスポートを作りました。その時「このパスポートが切れるまで生きているのだろうか?」とふと頭の中をかすめましたが、今は悩まないことにします。

その後「行くだの行かない」などと応酬を繰り返しながら12月を迎えます。ハワイにも連絡を取りANAには85歳の高齢者で歩行はできるけれども困難なこともあると事前に連絡を入れて万全の態勢で臨みます。当の本人は行くとは言いませんが、「ハワイなら夏服がいるね」などと言う日もあれば「こんな苦しい状態では飛行機に乗れない」などと同じ会話の繰り返しが仕事御用納めの当日まで続きます。最後のダメ押しで「ここまでしてハワイに行かなければ死ぬまで呪われるぞ」と脅していざハワイへ出発となりました。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です