新型コロナ感染者数激増とゴールドラッシュのTokyo2020閉幕

昨年に続き今年のお盆も心休まる気配を感じませんでした。8月初旬は東京の新型コロナ感染者数は5000人を超えました。一方、Tokyo2020で日本選手の活躍で金メダル27個を獲得しました。どちらも数字上では史上初になりますが、水と油の混成状態で複雑な様相を呈しています。国も地方行政も「今年のお盆は自粛を」と叫ぶばかりで一向に新型コロナの第5波の収束が見えてきません。昨年も「今年のお盆は自粛でステイホーム」、正月も同様に「最後の自粛の正月」と言いながら「我慢のゴールデンウィーク」と続き、毎回「今が感染を抑える最も重要な局面」と繰り返して1年半が過ぎました。デルタ株で局面が変わったこともありますが、九官鳥のように同じ発信を繰り返すだけです。流石に国民も自粛疲れと慣れで「笛吹けど踊らず」とはこの事を言うのでしょう。

ではなぜ国の自粛要請に国民は従わないのでしょうか?新型コロナ対応の難しさは十分理解していますが、国の政策が行き当たりばったりで発信の一貫性と整合性が無いことが一番の原因だと思います。最初のうちは朝令暮改の発信でも仕方ありませんが、1年半経過してもまだ整合性が取れない発信では国民はついてきません。最初はここを我慢してワクチン接種をすれば少しはマシになると誰もが思っていました。しかし実際はワクチン接種をするか実際に新型コロナに感染するかして国民の7割以上が免疫を持たなければ結局社会は変わらないことがわかりました。65歳以下のワクチン接種率が3割程度ですのでまだまだゴールは先で見えてきません。一方でTokyo2020は日本選手のゴールドラッシュで無事閉幕しました。参加選手個々人に対しては自分の人生を賭けた戦いで素晴らしいパフォーマンスを見せていただけたことに感謝しなければなりません。

ではどうしてこの相反する事象を目の当たりにしながらモヤモヤした気持ちが残るのでしょうか?日本国民の皆が同じ方向に向いていればどんなに苦しくともやるしかないので「右向け、右!」ができるのです。それが丁度昨年春の第1回目の緊急事態宣言の頃でした。しかしその宣言が何度も続くと誰もがいらだちを隠せません。そうすると誰かがルールを破り始めますが、それを処分しない行政がワンパタでお願い自粛を繰り返すだけで「正直者が馬鹿を見る」という悪循環に陥ります。そして社会が分断されて不満が更にたまっていきます。それが現在の状況だと思っています。田舎から見れば「なぜ都会の接種していない若者は外に出歩いて感染するのか?」と思いますし、都会の若者は「田舎ばかりワクチン接種が優遇されて都会は後回し」と思っているかもしれません。統一された情報発信がしっかりなされていれば疑心暗鬼になることはありませんし、不公平感をなくせば皆は従います。そしてリーダーシップの無い人がトップに立ってはいけないということが今回よくわかりました。大番頭が社長になっても国のかじ取りは難しいのでしょう。自らのパフォーマンスを披露したTokyo2020の参加選手に感謝と敬意を表しながら、決めることのできないリーダーはこの秋に交代してもらわなければなりません。

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