自分を信じて頑張り続ける

前回はTokyo2020についてコロナと絡めて暗さがありましたが、今回はスキッと明るくいきたいと思います。必ずこのような大会ではヒーローやヒロインが誕生します。しかし今回は多すぎて絞れません。やはり一生に一度の自国開催ですからこの8年間の各競技団体の思い入れが並大抵ではなかった証です。一方で金メダル確実と言われた選手が予選落ちというのも多く目にしました。外野は油断やスキがあったのではと言いますが、勝手に言わせておけば良いのです。このような大きな大会に出場するだけでも大変なのに出場した選手は各国の国旗を背中に大きなプレッシャーがかかります。誰しも明日のプレゼンが一世一代の大勝負という事を経験したことがあるでしょう。その時全ての参加者が成功するとは限りません。寧ろそこで悔し涙を流す人の方が多いのです。それを薄っぺらな言葉で表現するような輩は無視すれば良いのです。世の中には好きな事だけを言う人が多くいます。そしてSNSが発達した現在では、心無い批評をする人が多く存在します。表現の自由という言葉のみが独り歩きをしています。発言するにはそれなりの自己責任が必ずついて回らなければなりません。五輪期間中に選手に対するSNSでのバッシングは非難されなければなりません。匿名だけで成立するSNSが世の中に与える功罪を社会が真剣に考え直さなければいけない時期に来ています。

それでは本題です。金メダルを取った選手、惜しくも銀メダルの選手、予想外に予選落ちしたメダル候補選手、そして全く注目されていなかった選手が力を出し切って取った金メダルなどそれぞれその選手の人生を賭けたメダルがありました。選手全員に言える事は人生の全てをその瞬間に捧げてきたことに間違いありません。その長く大変な道のりを我々は全く知りませんが、最後の瞬間でその選手の向き合ってきた人生が見えてきます。そしてその重さに「自分は決してそんな大それた事なんてできないよな」と思います。以前はそう思っていました。しかし最近はそう思わなくなりました。人それぞれの人生が違うように掲げる目標も努力の度合いも異なります。その異なったゴールに向かって日々努力することこそが大切なのです。少し青臭い事を言うようですが、本当にそう思えるようになってきたのです。子供時代は頑張れば結果が悪くても努力賞をもらえました。大人になると結果を出さなければ全くダメで賞の時代も経験しました。そしてこの年になると結果よりも大切なものも見えてきます。ナンバーワンは世の中に一人しかいません。しかしその途中過程でオンリーワンが多く脱落して最後まで残って競い合ったオンリーワンが金メダルなのです。その過程で誰しも皆が自分を信じて頑張り続けます。その初心さえ忘れずに持ち続ければ最後の最後は誰もが自分に金メダルを自分の手で首に掛ける事ができるのです。今回のコロナ禍では選手は自分で自分に金メダルを掛けていましたが、誰もが自分に金メダルを掛けることができるのです。他人が評価するのではなく最後は自分が自分を評価して「いい人生だった」と言うために自分を信じて頑張り続けるのです。

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