アメリカの友人を招いて

11月初旬に10年来のアメリカの友人が来日しました。その友人と出会ったのは約10年前に娘が子供英会話スクールに通っていた時の講師でした。そこの英会話スクールは外国人講師が1年ごとに交代していきます。自国で少々のガイダンスはあるのでしょうが、いきなり来日して徳山という地のワンルームマンションに住みながら、スクールで英会話を教えるのです。勿論、日本語は通じません。子供たちは身振り手振りでコミュニケーションを取り始めるのです。大人と違って子供は順応性が高いためすぐに慣れてしまいます。

以前にもお話しましたが、「人類にとって最大のツールは?」と聞かれたら、すかさず「言葉!」と答えます。言葉によって人と人とのコミュニケーションが始まり、それを後世に伝承していくのです。他の動物と異なり、言葉があるからこそ、後世の子孫にいろいろな経験や知識などを会話や記述で伝えることができるため、次世代の人間は過去の知識を土台にして新たなことを積み上げることが可能なのです。わかりやすく言えば、ドラゴンクエストを皆が必死にのめりこんでできるのは、やっている途中でもやめたくなったらそこまでの道のりをセーブさせることができるからです。もしセーブができなかったら、また次回は振り出しにもどって初めからやり直しです。そんなことを繰り返していたら永遠に終了できずに飽きてしまい、ドラクエはあんなに売れなかったでしょう。つまり、言葉とは、全ての事柄を文字という記号に置き換えて自分の頭の中に入力する手段なのです。

彼女は日本通でその後も何度も日本に日本語を勉強するために来日しています。今では普通の日本人よりも日本語が上手かもしれませんが、来日したときは自分も必ずつたない英語という言語を駆使してコミュニケーションを図ろうとします。自分の気持ちや言いたいことを伝えようとしますが、自分の持っている単語を組み合わせるだけでは中学生程度の日常会話のため、なかなか思うように伝えられずにもどかしい思いをします。すなわち、表面上の会話はどうにかこなせますが、感情などの内面を心の中の叫びとして表現しようとしてもなかなかできないのです。

彼女と会うたびにその部分を表現したいと思い、インターネットでNHKのニュースで英会話を聞いています。少しはネイティブスピーカーの流暢な会話を聞き取れるようになってきましたが、まだまだ先は険しそうです。まして感情を込めた会話なんて遥か彼方です。今回もそんなことに思いをはせながら、和食好きな異国からの友人を懐石料理に連れて行きました。

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