グーグル口コミと表現の自由

最近は初めて行くお店でも事前にネット検索で調べて訪れる人がほとんどでしょう。それにはまずそのお店のホームページを見てどんなお店かを確認して自分のニーズに合っているかどうかを調べます。20年前ならそれだけで十分過ぎるほどの情報でした。しかし10年前からはそのお店の評判即ち口コミが重要視されるようになりました。そして現在ではお店のホームページよりも口コミによってそのお店の売り上げが左右されることも少なくありません。それはそれで情報公開の原則から言えば良いことです。一方でその情報にはかなり偏りがあることも忘れてはいけません。そしてその一つの意見が更に次の口コミに繋がり負の連鎖になることもよくあります。そうなるとそれを見た人がそのお店に対して良いイメージを持つことができなくなります。勿論、本当にネットの悪い評判通りのお店もあるかもしれませんが、それはほんのごく一部ではないかと思います。ほとんどのお店はその口コミ通りのお店ではありません。たまたま通りがかりの人がそのお店に立ち寄ってその場の雰囲気に流された状態で何気なしに書き込んだ情報も多くあります。そんな口コミを読むと自分でもため息が出てきますので、最近はググって情報を集めることはあまりしないようにしています。

なぜ今回このようなことを書いたかと言いますと、私も贔屓にしていたお店のグーグルマップをたまたま見ているとその口コミで個人情報を含むひどいことが書き込んでありました。お店側はひどい評価の口コミに対しては無視するかひたすら丁重に今後のお店の改善のために努力する旨を書き込むしかありません。しかし個人情報を含む評価に対しては今まで口コミに対して無反応を貫き通していたそのお店はしっかりと反論していました。「個人情報を持ち出すことはルール違反ではないか」とその本人宛の口コミの返信に書き込んでいました。グーグルの口コミは一部では有用なことは認めますが、嘘やルール違反であっても一度掲載されるとなかなか削除できないことで有名です。今回の一件では今後その書き込みの方に対する返信も削除できなくなりましたので、お店側は非常に良い対応だったと個人的には思っています。そしてその返信の書き込みが残り続ける限りその口コミ投稿者の違反行為そのものがずっと残りますので投稿者は反省してほしいものです。

現在はそのような誹謗中傷の書き込みもマスコミと一緒で「ペンは剣よりも強し」と勝手に勘違いしていることが多いのも事実です。その際にその情報を削除するにはとてつもない労力や時間がかかり事実上不可能です。昔のように穏やかな社会ならいざ知らず、現代の生き馬の目を抜くような社会では「個人の表現の自由」が独り歩きしすぎです。もう少し投稿者の責任所在もはっきりさせるべきです。そう言うと必ずと反論されますが、それでもこのような誹謗中傷に耐えることができずに自殺者も出ています。それを許してはいけません。「表現する自由」と「表現するには責任も伴わなければいけない」という両輪の法整備も必要だと思っているのは私だけではないでしょう。

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