清き1票とは?

今年の春に次男が18歳になりましたので、今回の参議院補欠選挙と衆議院選挙の投票用紙が郵送されてきました。住民票は周南市にありますが、実質は佐賀市民のため今回の選挙については本人確認や投票などいろいろと制約がかかります。そして面倒なことは学校寮で対応すると次男は言っていましたが、本人は選挙をやる気満々です。大学受験の直前のため親からすれば「言っちゃあ悪いが、今の時期に選挙に受験生の貴重な時間を割かなくてもいいのに」というのが本音です。しかし決して選挙を軽んじているわけではありませんのでその点はご理解いただきたいと思います。

現在の選挙制度で18歳から選挙権を与えて少しでも未来を託す若者にもっと政治に参加さしてもらおうというのが趣旨であるのは理解できます。一方で今回の参議院補欠選挙でN党のへずまりゅう氏に6809票の投票がありました。選挙権の行使は国民の権利であると日本国憲法にも書かれていますので、誰に清き1票を入れようがそれをとやかく言う権利は誰にもありません。ですから今回の投票行動を責めるべきではありません。しかしそのような投票行動をとった人が山口県民に6800人もいたという事実の方が衝撃です。なぜ衝撃かといえば当選しないと思っていてもそれだけの人が現在の政治に不満を持っているのかもしれませんし、投票したい候補者がいなかったからなのかもしれません。とは言っても「その投票行動をダメだ」と言うのは簡単ですが、本当にそうなのでしょうか?「それなら最初から選挙年齢を18歳に引き下げる必要もなかった」と言う人もいますが、そのような意見もよくないと思います。政治家の汚職や問題行動などこの1年でもかなりの事案が新聞沙汰になりました。またこのコロナ禍での社会の閉塞感など数えればきりがありません。そして飲食業や観光業などあらゆる業種の方々も疲弊しきっています。そのような背景も一因になっているのかもしれませんが、そのような投票行動を起こさせる社会にも問題があると考えなければいけません。

今回の任期満了の衆議院選挙は自公の与党と立民を主体とした野党も統一候補を立て一本化して実施される選挙区が増えています。自公対野党という構図での二者選択の選挙になりますのでそれはそれで良いことなのですが、選挙権を持った方々の投票行動は今回の参議院補欠選挙のような少し危ういことが起こる可能性もあるわけです。そのためにもまず立候補者は君子でなくてもいいですが、嘘をついてほしくありません。そして市民の代表なのですから考え方に偏りはあってもかまいませんが、清廉潔白であってほしいと思います。皆が皆、同じ考え方なんてあり得ませんし、そうであったら日本はとても恐ろしい国家になってしまいます。このブログが出る頃には衆議院選挙の大勢もほぼ確定していると思います。与党が自公で継続しても現在の野党が少しでも踏ん張って睨みを利かせないと自公政権が暴走しかねません。そのためには健全な数のバランスも大切で、若者の正しい選挙権行使も必要なのです。

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