記憶と想い出はお金よりも貴重な財産

先日ネットを見ていると前澤氏が「お金の無い世の中を作りたい」と語っていました。お金を配ってお金を使って宇宙旅行をしてふるさと納税でもいろいろな場面でお金にまつわる話題で登場する日本でも有名な実業家です。前澤氏とお金は切っても切れない関係であるにも関わらずに相反することを言われています。薄っぺらに見れば「何を馬鹿な」で一蹴されそうですが、ISSに搭乗した前澤氏が言われると妙に期待感が高まります。以前からよく言われていますが、お金とは個人、会社そして国まで全ての地球上のありとあらゆる物の価値を数字で表現したものと言われます。つまり言語が異なり宗教が異なり考え方や生き方が異なる場合、その共通言語がお金でありその大小によってお互いの価値観を共有するものなのです。また「地球上が全てダイヤで覆いつくされていたら一すくいの土で人類は血を流すであろう」という名言もあります。前澤氏がどんな人物かはマスメディアを通じてしか知りませんのでそれ以上の事は何とも言えません。以前までは一見「金の亡者」という印象が強かったのですが、今回の発言でかなり前澤氏への見方が変わったのも事実です。なかなか「お金の無い世の中を作りたい」とは言えません。仮に同じ事を言ったとしても大金持ちが言わなければ説得力もありません。多分前澤氏はそこまで見越して発言されたのでしょう。

そこでお金の重要性はちょっと横に置いて「記憶と想い出はお金では買えない」といことに言及してみます。勿論、楽しい事や苦しい事そして貴重な経験など全てその背景にはお金が存在しています。ですから行為そのものが成立すること自体にお金が関与していることは事実です。しかしその行為をしたことによる経験値が記憶や想い出になるのであってその記憶や想い出をお金で買うことはできないのです。少し禅問答のようになって恐縮ですが、お金を使用して行為や物という対価を得ること自体を否定してしまうとその先が無くなります。その結果としての経験値は貴重でその経験値はお金では図ることは不可能なのです。その経験値というものは人それぞれ異なりそれに数字で優劣をつける必要性はなく、それぞれの持つ大切なものです。ですから他人から見れば「あんなお金の使い方をして道楽そのもの極まりない」と思われてもその個人にしてみれば記憶と想い出となり貴重なものなのです。人それぞれの価値観の違いを論じても意味がありません。一方でそれでも人間とは卑しい生き物ですので「隣の芝生は青く見える」のです。そのために数値化して標準値を決めようとしてしまうのです。「そんな世の中から逃げ出したい」と前澤氏が思っているのかどうかはわかりませんが、私には何となくそのように聞こえます。

3月2日に次男は高校を卒業式しました。中学生から親元を離れて寮に入れてお金も結構使いましたが、お金より大切な貴重な経験を多感な青春時代に送れたと思っています。それこそ記憶と想い出はお金よりも貴重な財産なのです。現在は浪人生という肩身の狭い身分ですが、将来振り返ってみればお金には代えられない貴重な経験になるはずです。

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