数学と物理と化学は実社会にいかに関わっているか?

高校数学と物理を自分の今までの経験と知識を駆使して頑張ってきましたが、その根本的な違いについてやっと見えてきました。数学は決まった公式、つまり実社会で言えば法律ですが、そのルールの中でいかに論理的に且つ最短のルートで問題を処理して進めるかを学ぶ学問です。そこには計算という単純な作業が含まれています。いかに優れた論理を構成できても途中経過の単純作業も見逃せないのです。一方で物理はこの世の中の現象を物質から見てその本質をいかに論理化して法則を導き一般化する学問です。ですから数学と異なり単純作業である面倒くさい計算は必要なく単なる文字や記号で表現されます。言われてみればその通りなのですが、その普遍的なルールを見出すまでに10歳から始まった義務教育や大学までの高等教育では到底間に合わず、一般社会の荒波に揉まれながら更に50歳という御年になって再び高校数学と物理を履修してその普遍性に気づくことができました。しかしその普遍性を見抜いてしまえばこれから先の数学や物理の勉学が更に楽しくなること間違いありません。歳を重ねるにしたがって計算などの単純作業は若い頃と比べると能力は極端に低下しました。計算ミスは勿論の事ですが、それ以前に面倒くさそうな計算を見ると昔なら勇ましく立ち向かっていきましたが、今では戦う気力も起こらずに敵前逃亡をしてしまいます。こればかりは若い頭脳に勝つことはできません。

では高校化学はどんな学問なのでしょうか。今回の専攻が数学と物理でしたので化学の神髄を極めていません。実社会では医学という科学をずっとやって来た者として「科学」と「化学」は全く違うと肌で感じています。しかし「化学」いわゆる「ばけがく」は物理よりもはるかに実社会の身の回りに関係することが多く生きていく上で欠くことのできない学問です。誤解を恐れずに言えば、物理は宇宙から見た普遍性を論理的に考え、化学は地球上で生きていく上で役に立つ理論を構築して生物を含む有機質と無機質な静物の現象を捉える学問です。そして理科と言う普遍的な地球の上の社会でより良く生きるために数学と言う学問が存在するのではないかと現時点では自分の中で解釈しています。

では最終的に自分が得意でもあり好きな学問でもある数学とは一体なんなのかという課題に入りましょう。数学は理科の理論を計算などで証明するための手段ですが、同時に我々のレベルでは実社会で与えられた問題や推論を論理的に進めるための思考過程を学ぶための学問になります。数学に対して勘違いをしてほしくないことは、計算以外は役に立たないのではなく、対面した問題をいかに処理していくかという論理的思考を鍛える学問であって実社会で生きていく上で必要な学問です。そしてその後に国語や英語などの語学が続いて人と人との繋がりやコミュニケーションを学ばなければなりません。社会は極論すれば人類の過ちをしっかりと検証する学問でしょうか。受験科目には理系と文系が分かれていますが、このような大きな見地から見ればそのような区別が子供の将来に本当に必要なのか疑問を感じています。

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