小学校卒業式

今年も3月19日にわが母校の富田東小学校の卒業式が挙行されました。特に今年は長男の卒業式でもあり感慨深いものがあります。当院は東小学校から通りを挟んで西隣に位置していますので、毎年仕事の傍ら卒業式が終了して校庭に音楽が流れ始めて卒業生が学校の正門を在校生や恩師の先生に見送られて出ていく瞬間に幾度となく遭遇してきました。毎年必ずその瞬間を見逃さないように努力するのですが、患者さんを診察していたらその瞬間を見ることができません。ここ数年はそのような状況が続いていました。4年前には長女の卒業式だったのですが、卒業証書授与だけは是非この目で見たく、授与直前になったら連絡するようにケータイ片手に万全の手筈を整えていました。しかしことはなかなかうまく運びません。行く直前に患者さんが来院され診察をしてダッシュしましたが、卒業証書授与は隣のクラスの名前に移っていました。

自分がこの卒業式に臨んだのは36年前になります。その当時は父親が卒業式に出席するのは現在より少なかったように思います。自分の場合も母親だけが来て、父親は来ていません。今は昔と違ってフレックスタイムで時間が自由になるのでしょうか?少子化のためでしょうか?結構、父親の姿を見かけます。当時の卒業式の内容、校長先生の言葉や担任の先生の言葉はとうに忘れてしまいましたが、「蛍の光」と「仰げば尊とし」のフレーズと学校の門を出ていくときの瞬間は今でも脳裏に鮮明に焼き付いています。まだ少しヒンヤリとした肌寒さの感覚も残っています。今は定番の曲もあまり聞こえてきません。

いつ頃からでしょうか?卒業式の定番の「蛍の光」と「仰げば尊とし」が我々の耳に入ってこなくなってきたのは。一時期、金八先生の「送る言葉」が流行りだした頃からでしょうか?その流行に一気に飲み込まれてその後は最近の流行歌に取って代わった感があります。国歌斉唱は昔も今も変わりありませんが、この国家斉唱も大阪市をはじめとする各自治体で起立をしない学校の先生がいると最近話題になっています。その先生方も年齢でいえば我々と同年代です。個人の政治、信条、思想、宗教の自由は誰も異論はないと思います。しかし起立もせずに国家も歌わない、これが正しい判断かどうかは私にはよくわかりません。ただ昔は当然と思われていたことが当然ではなくなり、どちらが正しいかを判断する際の価値観が多様化しているにもかかわらず、実際には判断する機会や個人の判断する能力が乏しくなってきているように思います。

そうこう考えているうちに、今回も卒業証書授与だけでも見ることができるように万全の対策はしてあります。まずケータイメールが鳴り、その時患者さんがいらっしゃらなかったら、すぐに外套をはおりダッシュ。小学校の体育館まで3分。時間との闘いです。

今回の結果は・・・・◎でした。ジャストタイミングで見ることができました。まだ、もう一人この春に小学校3年になる次男がいます。まだまだ4年先。長い長い道のりになりそうです。

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