思い出の近鉄松下百貨店ありがとう!

この2月28日で旧徳山市の時代からあった地域唯一の百貨店が姿を消します。ちょうど50年の節目に閉店となってしまいました。地域の中核として君臨してきたデパートですが、不況と時代の流れには逆らうことができませんでした。以前から他の地方都市でも百貨店が姿を消していく光景を見てきましたが、いざ地元となると何とも言いようのない寂しさでいっぱいです。

近鉄松下百貨店での思い出はいろいろあります。小学校に上がる前の物心ついた頃から買い物に行っていました。当時はおもちゃ屋さんなど多くなくて誕生日やクリスマスなど季節ごとのイベントの買い物やプレゼントはいつも6階のおもちゃ売り場でした。また屋上の広場で乗り物に乗ったり、食堂で食べた記憶があります。父母には勿論のこと現在は亡き祖父母に連れて行ってもらったのも良き思い出です。40年前の当時は近鉄松下以外にもダイエーなどのストアが何軒かありましたが、やはり地域での一番の高級イメージの店舗は1軒のみでした。東京でいえば三越や高島屋や伊勢丹といったイメージでしょう。中学時代には友人同士で新南陽から徳山まで距離でいえばおよそ4km程度でバスに乗って10分でしたが、親同伴でなくとも百貨店に入ることができて、そこの最上階の食堂でラーメンを食べた記憶は今でも鮮明です。

ではなぜこのように地方から名門の百貨店が消えていくのでしょうか?昨年のブログでも書きましたが、思い出のボーリング場や映画館も姿を消しています。企業努力が不足していたと言われればある程度否定もできません。しかし大都会と違って田舎では人口が都会の100分の1なんてざらで、ちょっとしたことで倒産なんてこともよくあります。都会派国会議員がいろいろと言っていますが、本当に地方のことを考えての発言かどうかは耳を疑いたくなることもあります。例えば原発問題にしてもしかりです。安全性については誰もが文句をつけようがない部分ですが、立地場所や電気料金や寄付金など諸問題については地方と都会では温度差があるのが現実だと思います。生産地と消費地の違いと言えばそれまでですが。選挙での1票の格差では説明しきれない部分もたくさんあります。

話題が逸れましたのでもとに戻しますが、お世話になった百貨店がなくなるのは勿論寂しい限りですが、それ以上にそこで誇りを持って働いてがんばってこられたスタッフの気持ちを考えるとただただ残念としか言いようがありません。今回の閉店だけではありませんで、将来また思い出のお店や会社が閉店していく可能性もあります。現総理は山口県出身で、「努力したものが報われる社会にする」と言われています。勿論、その通りで異論はありません。一方で努力してもどうすることもできないことも多くあります。あと数日で閉店ですが、今は有終の美を願うばかりです。このような暗い世の中が少しでも明るくなればという思いを持ちながら地域に少しでも貢献していければと思っています。

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