恩師の定年退職

今年の桜は満開が早くそろそろ散り始めてきました。桜の季節、それは日本では出会いと別れという旅立ちや出発の季節で、おめでたくもあり寂しい季節でもあります。「来年の桜が咲く頃には、自分は何をしているのだろう?」と皆さんも郷愁に浸ったことも一度や二度あるでしょう。そのような人生の区切りの行事が四季折々の花で思い出させてくれるのも日本古来の伝統でこれからも大切にしていかなければなりません。

先週、昨年度まで田舎の素晴らしい中学校の校長をされていた私の中学の恩師の国語の先生が晴れて定年退職されました。まずはこの場を借りて御礼と「長い間、教育一筋でご苦労様でした」と申し上げたいと思います。以前からちょくちょくとこのブログにも登場されていましたが、今回は教育一筋の先生に恐れ多いのですが、はなむけの言葉を送らせていただきたいと思います。

先生との出会いは36年前の13歳、先生は大卒2年目の24歳です。まだ新米でクラス担任ではなかったのですが、ちょうど自分のクラス、1年4組でしたが、国語の担当でした。その当時は中学生になりたてで自分にもまだ余裕もなく、先生との思い出といってもたいそうなものはありません。しかし国語の授業を受けるたびに一生懸命に我々生徒にぶつかっていこうとする姿はヒシヒシと子供心にも感じられました。その1年間だけの国語だけの付き合いです。それから34年、先生の名前は記憶の片隅にあるものの自分の人生の舞台には登場してきません。

ところが2年前の春、桜が散って若葉が芽生え新緑の季節にさしかかるすがすがしい日の午後、学校保健医の仕事で和田中学校を訪ねたときに先生の方から呼び止められます。「僕のことを覚えていますか?」という会話で34年ぶりに再会します。こちらはそれこそ想定外の出来事で「はあ、どちらかでお会いしたでしょうか?」としか答えることができません。これが同窓会など想定内の行事での再会なら「あの先生かも?」と思うのかもしれませんが。その後「国語を教えた・・・」とワンポイントのヒントを頂くといきなり想定外から想定内に30年という過去まで脳裏が蘇り、一気に頭の中だけは30年前にタイムスリップです。そのジェットコースターのような記憶の遡りの快感は言葉ではなかなか表現できません。「あーっ、先生!」と一気に記憶が蘇り、あとは昔話に花が咲き、仕事の話どころではありませんでした。横で養護の先生がじれったそうに待っています。養護の先生は二人の会話には当然入り込む隙間などこれっぽっちもありません。それから2年。

先生のこれからの残りの人生の集大成をどのように送られるのかは存じ上げませんが、このような再会を機にこれからも何かしら人生の節目に自分の舞台に登場するキャスティングの1名に加えさせていただき、「出会い」という素晴らしい宝物を頂いて自分にとっても大変な財産になりました。今回の退職にあたりほんの一言「ご苦労様でした」という気持ちを込めて胡蝶蘭を送りました。花は散っても「記憶の花」は永遠です。

今回は目の前の小学校の桜です。例年は小学1年生を迎えてくれますが、今年は卒業生を見送ってくれました。入学式までもつでしょうか?

桜

カテゴリー: 日常のこと タグ: , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です