水中散歩

毎年梅雨明けから10月中旬までの間、スキューバダイビングをします。ダイビングライセンスを取得してから早20年になりますが、なかなか仕事が忙しくて当初はほとんど行けませんでした。やっとこの4-5年で仕事も落ち着いてきましたのでこの近辺の海に出かけるようになりました。

「なぜダイビング?」とよく質問されます。その時の答えは「自身がプールや水風呂に入った時に顔まで含めて全身をつけたときどのような感じがしましたか?」と尋ねます。一瞬答えにつまるかもしれません。その時には「周囲の音が遮断されて静寂の中で自分が吐く息の音ともいうべきボコッボコッという音が聞こえませんか?」と続けます。そうなのです。他の動物には持つことのできない言語を身に着けた人間という生物が水の中ではそのコミュニケーションを奪われてしまい他の生物と同じ状況になってしまうのです。つまり人工的な会話や音は通用せず、原始的な音のみが存在する世界なのです。生物は長い年月を経て海から陸にあがってきました。生命誕生という昔にもどれば、多分水の中も音のない世界だったかもしれません。まるで胎児が羊水という水の中で一人泳いでいる状態とでもいいましょうか。

最近、海猿の影響で海上保安庁の人気が上がっています。人命救助で一見かっこよく海に潜っていますが、海の中はとても危険なことがいっぱいなのです。ダイビングをするときは必ず仲間と一緒に潜らなければなりません。一人では万一危険な状況に遭遇してもどうすることもできないけれど、ダイバー仲間がいれば助け合えるからです。しかし基本的にはダイビング中は音もなく周囲に仲間はいても結局はただただ一人の世界です。ケータイも通じませんし、ポケベルの呼び出しもありません。最近になって気づいたのですが、自分が医師という職業柄、いつも無線という見えない糸の首輪でつながれていた反動がダイビングをして一瞬でもその鎖から逃れたかったのがダイビングを始めたきっかけかもしれません。たかだか1時間程度の潜水ですが、ダイビングをしている間は地上でなにが起こっていても全く気づきません。例えば「水中で地震が起こったら?」と考えることもありますが、目の前の岩が揺れているのを簡単に感じることができるのでしょうか?

よく行く須佐の海ではミノカサゴによく出会います。大きさが手頃で近寄っても逃げずに水中カメラ初心者には絶好の被写体です。ただ触ってはだめですよ。あの刺々しい背びれはとっても痛いそうです。勿論、私も触ったことはありません。あとよく写真に出てくるのがニモの映画で有名になったクマノミです。このクマノミはサンゴの中を出たり入ったりと忙しく動き回りじっとしていないのでなかなかうまく撮れません。しかし最近は高性能の小型一眼レフの水中カメラが登場して初心者である私でも写真の出来栄えは別としてそれなりに撮影は簡単にできるようになりました。もっと腕前を上げてすばらしい被写体を撮影して、これからもこの貴重な水中への逃避行を続けたいと思っています。

Blog20130805-111

カテゴリー: 日常のこと, 趣味のこと タグ: パーマリンク

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