旅立ちの季節

毎年小学校の桜が満開になる頃、旅立ちの季節がやってきます。毎年いろいろな気持ちが交錯します。昔は4月になってから桜が開花して小学校の入学式の頃に満開でしたが、今では入学式には葉桜になっていることがほとんどです。将来、下手をしたら卒業式に桜が満開ということにもなりかねません。私が小さい頃に見た絵本でも桜の下での入学式でしたが、「今は昔」です。これも地球温暖化の影響かもしれません。

桜が満開の我が母校富田東小学校です。毎年の旅立ちを見守ってくれていますが、入学式にはやっぱり葉桜です。

桜が満開の我が母校富田東小学校です。毎年の旅立ちを見守ってくれていますが、入学式にはやっぱり葉桜です。

3月31日、この日は年度末でもありますが、私たちにとっては学校でお世話になった先生とのお別れです。まずは3月27日の朝刊の山口県教職員人事異動という欄を必死に目を皿のようにして1行1行見ていきます。昔は人事異動先の学校に先生の氏名が書かれていたため、現在の勤務先ではなく探すのに一苦労でした。そのような不満もあってかここ最近は現在の勤務先の欄に移動予定の先生の氏名が載るようなりました。数年前までは自分が小中学校時代に習った先生の氏名が定年退職欄に花を咲かせていましたが、昨年の中学校の恩師を最後にもう自分たちの時代の先生は小中学校には残っていません。なんとも寂しい思いと自分も歳をとったのだなあと実感が湧いてきます。今年の3月27日はそのような思いのこもった朝になりました。

今年の教職員の人事異動は特別な想いのお別れです。明日、娘が新たな出発で旅立っていきます。今日、娘が小学6年生でお世話になった先生の離任式が小学校であります。その先生は娘が小学6年生になった時に転任されてきて娘の担任になりました。転任早々の1年目でしたが、とてもお世話になりました。そして娘の小学校の晴れの卒業式も感極まったことがつい先日のように思い出されます。またその先生の息子さんがちょうど同じ日に地元の小学校を卒業されたと後に聞きました。担任の教師としての卒業式が優先されるのは致し方ないことですが、父親としての子供の晴れ舞台をこの目で見ることができないのは残念だったと思います。しかし教師という職業は我が子ではない子供たちと接してたくさんの教え子ができるということに関しては素晴らしい聖職だと思います。本日の離任式に次男は当然のことながら参加しましたが、長女と長男も挨拶をしてきました。親が「お世話になった先生だから出席したら」という言いつけに従った部分もありましたが、やはりお世話になった先生です、自らも「行ってくる」と出かけて行きました。毎年この季節になるとこのように気が忙しくなります。今年は尚更に心ここにあらずという気分です。

今年は例年より早く咲いたボタン。本当なら桜が終わってから咲くのですが…

今年は例年より早く咲いたボタン。本当なら桜が終わってから咲くのですが…

4月1日の朝も普段通りやってきました。娘に「いってらっしゃい。がんばるんだぞ」とありきたりの声しかかけてやれませんでした。朝日に輝く桜の花がまぶしいのか?目の前がぼやけてしまってまっすぐに娘の姿を見ることができませんでした。人並みの父親だったのでしょう。またお世話になった先生の息子さんも同じように旅立ちがあったのかもしれません。今度は子供の親と担任という立場を離れて、お互い旅立つ子供の父親として杯を交わせることができたらいいなと思っています。

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