人生はジグソーパズルのようなもの

皆さんもジグソーパズルをしたことがあると思います。ジグソ-パズルって人生の縮図に見えませんか?1ピース、1ピースどれもいろいろなデッパリがあり、あたかも一人一人の人間の性格と同じように凹凸が激しく隣のピースと合致しません。特に子供の頃は小学校の先生に「皆と仲良くしましょう」と言われて誰とでも分け隔てなく手をつないだことでしょう。中学生くらいになると少し自我が芽生えてきて友人に少し意地悪をしたりします。しかし自分たちのティーンエイジの頃はかわいいイジメだったように思います。今のように個人を自殺に追い込むことは全然なかったとは言いませんが、今ほどありませんでした。現在のイジメによる自殺報道を聞くたびに胸が詰まるような思いに駆られます。

ジグソーパズルを効率よく埋めていこうとするとまず周辺の枠の部分から埋め合わせていくとはかどりますよね。その最初の行為こそ義務教育で人間としての枠をはみ出さないように型を決めていくことなのだと思います。最低限、人間として生きていく上で守らなければいけないルールがあることを。その後は中心から攻めようが、地道に周辺から攻めようがそれは個人の人生観によるものです。最後の最後の1ピースをはめこんで完成したその時に「自分の人生はいろいろあったけどよかった」と思えればいいわけです。しかし「人生は山あり谷あり」でそうなかなかうまく事は運びません。ピースをなくすこともあるでしょう。ピースどうしが合わずに大ゲンカをすることもあるでしょう。その時、自分のピースのデッパリを少しヤスリで丸くしてみてください。そうするといろいろな人生の場面でピースがうまく隣と合致することも増えてきます。自分は人生でもう半世紀を生きたことになりますが、20歳から40歳頃までは若い分だけ勢いはありましたが、トゲだらけのピースだったような気がします。勿論トゲも必要不可欠ですが、もう少し丸くてなってもよかったのではないかと50歳の自分になって思うのです。これからの残りの3分の1強の人生はトゲをもちながらも先端が吸盤のような丸く柔軟性のある先っぽになって何でも吸収できるようにしていきたいなと思います。

生まれてから医師という免許を取得するまでに24年という年月がかかりました。医師になってから同じだけの24年が経過し、とうとう追い越してしまいました。そして半世紀が過ぎました。あと20年で70歳。健康のままでいればまだ医師をしているのでしょうか?それとも別の人生を歩んでいるのでしょうか?その頃には人生もほぼ終焉に近づいてきています。生まれたときにはギザギザのピースで山の頂上からその刺々しい原石が川を流れて転げ下っていくうちに角のとれた丸い石に変わるようなものです。海まで到達して砂になっているかもしれません。そうなっていれば本望な人生といえるのでしょう。自分の人生という壮大なジグソーパズルはどんな絵になるのか?全体像はまだまだはっきりと見えてきませんが、そろそろ完成したときの絵を想像する時期に来つつあります。個々のピースどうしをうまくつなげて人生の壮大なる絵を完成していきたいと思います。

カテゴリー: 日常のこと パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です