もっと歴史を勉強しておけばよかった

今になって高校時代に日本史を選択しなかったという後悔の念が募ります。当時はセンター試験対策のために倫理社会と世界史を選択しました。我々より以前は政経・倫社というツートップを理系受験者は選択していました。当時はセンター対策で必要最小限の時間で最大の得点を稼ぐための手段で皆が皆とは言いませんが、理系受験者の多くはツートップを選択していました。今考えれば恥ずかしいかぎりです。しかし我々の頃からその選択手段が不可とされて地理・歴史から一つ選択しなければならなくなったのです。私は当時日本史の授業が面白いとは思えず世界史を選択しました。これも興味を持ってというより消去法で選択したので後になって選択してよかったという記憶もありません。人生の航海の上では選択に失敗したという後悔だけが残りました。当時にもっと私が世の中に目を向ける興味があれば社会という科目の勉強の方法も変わったのでは?と今さら思います。

今、竹島、北方領土、靖国神社、尖閣諸島、従軍慰安婦、普天間基地問題など日本の歴史を知らなければさっぱりわからない史実が多く存在します。少しは自分でも新聞などを読んで理解しているつもりですが、各新聞でも意見が異なり本当に自分が読んでいる文章が正しいのかどうか判断しかねることも多いです。その時に少しでも当時日本史を勉強しておけばよかったと後悔の念にかられることがあるのです。ただし30年前の高度経済成長時代のイケイケ日本ではそのような歴史認識問題を社会の教科書で取り上げることはあり得なかったとも思います。結局は興味を抱いた時点で自分がそこから勉強を始めるしかないのでしょう。それでも本当に真の理解を得られるかどうかは疑問です。

世界を見渡しても現在、クリミア問題、パレスチナ問題など多くあります。先日のアンネの日記の事件の報道によりその日記がゆくゆくはパレスチナ問題に関する世界の人々の考え方に影響していったという史実をテレビで知りました。これも私が世界史を選択したかどうかに関わりなく当時でも社会科の授業で教えてもらってないと思います。当時の我々受験生も点数至上主義の渦中のアップアップ状態で溺れかけていましたのでそのような余裕もありませんでした。島国の日本は他国から侵略も少なく民族対立も他国と比較すれば少ないのは当然ですが、逆にいえばそれが日本の現在の平和ボケにつながっていったことも否めません。東日本大震災で日本人の素晴らしさを見た反面、世界への目の向け方を少しずつ我々は変えていかなければならないのかもしれません。

そのためにはどうしたらよいか?まずは学校教育で歴史的真実を子供たちにしっかりと教えることで、同時に我々大人も日本と世界の歴史をしっかりと勉強し直す機会を設けるべきです。そのためには社会や政治や教育の専門家がしっかりと世界の中での日本と日本の過去の真実を精査して統一見解を示さなければなりません。多くの異論や議論の噴出は覚悟の上ですが、それを乗り越えなければいつまで経っても日本人が日本のことをよく知らないまま時間だけが過ぎてしまうことになります。

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