長男はスキューバダイビング同好会とダンス同好会

長男の大学のクラブ勧誘戦争は連休明けに一段落して新入生はいずれかのクラブや同好会に入部したようです。中には帰宅部も一部はいるのでしょうがごく少数だと思います。結局、我が長男は同好会に入ったようですが、運動部には入らなかったようです。そのあたりを先日詳しく聞いたのですが、やはり昔のケータイが無くスポ根世代の我々世代とは一線を画しているようです。現在の何かするとハラスメントと言われる世の中がまかり通るスマホのピコピコ世代は、我々の頃のスポ根感覚は通用しません。長男からすれば週3日練習があって週末は試合で年に週末が3分の1つぶれるような体育会系のクラブはブラックと思っているようです。勿論、同級生の半分以上は運動クラブに所属して週の半分は活動していますのでブラックかホワイトかは個人の考え方によるところが大きいと考えられます。しかし長男にしても運動部に入部したい気持ちに変わりはないようで、夏休み明けから週2日程度の活動している運動部を模索していますが、早々に同好会は決めたようです。同好会は部と異なり格付けが一段低いため好きな時に参加すればよく週何回という縛りがないためハードルが低かったのでしょう。私がスキューバダイビングをして子供と一緒に潜りたいという考えで長女と長男にライセンスを12歳で取得させたのですが、それが今回に生かされたわけです。ダイビングなんて普通は大学生になって初めて取得する場合が大半で、入学時にライセンスをもっている者なんてまずいません。ですから入学時の勧誘で「ダイビングライセンスもっています」と言えば自動的に「幽霊部員でもいいから在籍して」と先輩から頼まれます。長男からすれば最初から入部するつもりでしたのでいの一番に即決です。しかし長男の場合はライセンスを取得しただけでその後はほとんどダイビングをしていないペーパードライバーならぬペーパーダイバーです。親からみれば一番危ないパターンだと認識していますので「お前はペーパーダイバーの初心者だからライセンスを持っていない部員と同じように行動するように」と口が酸っぱくなるほど繰り返してきました。むしろライセンスを持たない方が緊張感もあって安全な場合もあり、「お前は金魚の糞のようにインストラクターにくっついて潜るように」とも言い続けています。

先日新宿のダイビングショップで度付きマスクを購入して私の愛用のダイビングコンピュータいわゆるダイコンの電池を入れ替えて渡しました。ダイコンとは潜るときに水深や体内の窒素量を計算してくれる優れものです。また私が以前使用していたBCやレギュレーターなど一式ありますのでそれを持参させて夏休みにダイビング同好会の合宿で八丈島に行く予定で羨ましいかぎりです。しかし海は一度荒れ狂うと人間の命など一飲みにしてしまいますので今後もずっと注意し続けるつもりです。ダイビング以外にダンス同好会にも入部して年2回の公演のために練習にも参加しているようです。ダンス公演は秋の学園祭で披露される予定です。入寮して同好会と更に運動部にも入部して勉強と両立できれば将来全てに渡って貴重な財産になるのは間違いありません。

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先輩夫婦とその息子さんと飲む

私が医師になって2年目に島根県立中央病院で研修をしました。その当時の3年間に今回お会いした先輩と一緒に仕事をしたり遊んだりと一番忙しく大変な時期でありながら充実した時間を送りました。その先輩はその後に実家に戻られて継承開業されましたが、何年かに一度はどこかでお会いしていました。今回は7年ぶりに突然電話がかかってきて今度周南に来るので一緒に飲もうということになりました。そこまではどこにでもよくある話ですが、今回は少し違います。先輩夫婦が来られるのでこちらもかみさん付きです。それにプラス先輩夫婦の長男が山口県に戻られて現在研修医として働いておられてその5人で食事でもしようという話になったのです。先輩は3年上で島根には私の方が半年ほど早く赴任しました。そして先輩は島根に来られた時に結婚されて長男が生まれました。私が研修医3年目の時です。また先輩とは別に直属の1年上の先輩は私が赴任した年に長女が生まれました。ですから学年の近い3人と先輩夫婦と子供さんとで家族ぐるみのお付き合いをさせていただいたのでいろいろな思い出が一杯あります。直属の先輩のお子さんも3人おられて立派に成人されておられます。そんな関係の深い中での先輩夫婦と医師として立派になられた長男さんと食事をするわけですから懐かしい気持ちと重なって頭が混乱してしまいそうです。先日、自分の長男と東京で同級生夫婦と飲んだ時の同級生の気持ちにやや似ているかもしれません。なんとなく複雑な気持ちで当日を迎えます。

先輩夫婦とは何回もお会いしていますのですぐにわかりますが、長男さんは1歳か2歳の頃しか知りませんので初対面といっても過言ではありません。自分の長男の子育てもかなり苦労しましたので、先輩夫婦もかなり子育てには苦労したはずです。以前からときに電話で話すときもそのような事を聞いたことがありますが、その当時は自分たちがまだ子育ての苦労を実感する前でしたので他人事として聞いていたのだと今になって思います。しかしその苦労を同じように体験すると共感する場面が多々あって本日の飲み会は一層昔の話題で盛り上がりました。子供からすれば「うるさいな」くらいの感情でしょうが、親からすれば話せばきりがありません。また私と先輩の長男さんは世代は違えども同じ2世には変わりありません。「2世はつらいよ」の気持ちでは共感もあるはずです。医師になってから最初の5年はかなり忙しいのですが、それ以上に乾いた頭のスポンジに水がドンドン吸収されるような感覚の充実感があります。睡魔との戦いに変わりはありません。それでもこの歳になって自分の人生を振り返ってみると社会人になってから一番苦しくもあり楽しい時期であったことに間違いありません。そのような時代を一気に駆け抜けていく先輩の長男さんや我が子供たちを我々から見れば羨ましくもあり眩しすぎるのです。

そんなことを考えながら身内で盛り上がってしまいましたので、先輩の長男さんが今回の飲み会が楽しかったかどうかは疑問です。あと20年もすれば長男さんも今回の楽しさがわかる日が来るに違いありません。

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医師会理事はあと残り1年

徳山医師会会員になって早20年が経過しました。昨年までは副院長でしたので正会員でしたが、開設者や院長職の1号会員ではなく2号会員でした。昨年、院長交代しましたので晴れて?1号会員となりました。1号や2号の正会員とは関係なく医師会の理事はある程度年数がたてば順番で回ってきます。周南市を西部、中央、東部という地域ごとに分けて割り振ります。会員の少ない地区では開業5年程度で回ってくることもありますが、この新南陽地区は会員が多いため20年目にして初めて回ってきました。昨年の6月から微力ながら徳山医師会のお手伝いをさせていただいています。理事になるまでは遠目から見て「面倒くさそうで嫌だな」という印象だけでしたが、実際やってみると組織というものの動きが見えてきてそれはそれで勉強になることも多々あります。また理事になると行政の各方面との橋渡しになるための委員などが割り当てられます。私の場合は内科で市から委託された住民健診をしていますので、住民保険行政の委員に割り当てられ年に数回ほど現在の健診システムの効率化や来年度以後の健診の改善点やいかにして市民に住民健診に関心をもってもらうかなどを話し合う会合に出席しますし、県の医師会にも年に数回程度は出席して現状の報告を聞きに行くこともあります。押し並べて平均すれば2か月に1回程度は会合に出席して医師会内部の理事会も月に1回から2回あります。理事になるまではもっと忙しそうで面倒くさそうに見えましたが、実際にやればまあこんなものかというが実感です。6月下旬に医師会の定期総会が行われ1年の経過報告がされました。私たちの平理事は黙って座っていればよいだけですが、執行部である幹部理事の先生方はいろいろ業績の指標である小難しい営業利益や損益や貸借対照表やキャッシュフローを発表されます。個人的には自分の医院の売上表を税理士から見せてもらいますが、内容はさっぱりわかりません。本当は理解しなければいけないのかもしれませんが、何度理解しようとしてもすぐに忘れてしまいます。結局のところ収入と支出の差が黒字であればそれで良しという単純明快な指標しか私の頭の中には入力されていません。何か自分の医院が大ピンチになれば背に腹は代えられずに必死で勉強するのでしょうが、今は必要ないようです。

理事の任期は2年ですのでやっと折り返し地点を回ったところです。最初の1年は見ることすること全てが初めてでしたのでかなり戸惑うこともありました。しかし2年目は1年目と全く同じ流れで仕事をこなしていけばよいのでかなり楽になると思います。会長や副会長などの役職の先生は何年もこの仕事をされていらっしゃいますが、平理事の私からすれば自分の仕事にプラス社会奉仕的な理事長職をされておられますので頭が下がる思いです。私は性格的にこのような理事職には向いていないと実感していますので、来年の任期が終了すれば次の先生にバトンタッチの予定です。新南陽地区は私の後にも順番で理事になる先生が多くいらっしゃいますので安泰です。あと残り1年を無難に平理事職をこなしていこうと思っています。

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今年の梅雨入りは遅かった

今年の梅雨入りは6月26日で異例の遅さでした。例年なら6月の第1週目には梅雨入りして6月下旬は梅雨半ばでムシムシして早く梅雨明けしないかと思い始めます。ところが今年の6月下旬までは昼間は暑くなりましたが、夜は涼しく湿度が高くて寝苦しいという感じはほとんど皆無でした。また夏至前後の夕暮れは19時をまわり、20時頃にやっと暗闇に包まれました。朝は5時前から明るくなり1日の始まりも早く、早起き人間の事を言い換えれば年寄りになるのですが、早朝型の私にとっては朝から1-2時間を有効に使うことができます。ここ2年はこれからの人生のため?に毎日数学の問題を解いていますが、早朝は数学の難問を取り組むには頭がとてもクリアなためサクサクと理解できシャープペンシルがスムーズに動きます。同じ行為を昼休みにしようものならすぐに睡魔が襲ってきて全くと言っていいほど捗りません。また冬場は朝が寒くて早朝に目が覚めてもなかなか布団から出るまでに心の中で何回も気合を入れて葛藤しなければなりません。それだけで30分以上のロスが出ます。ですから6月中下旬がこれだけ気候が良いのは数十年に一度のことで思う存分時間を有効利用しました。また毎年の夏至前後は雲に覆われてお天道様を見上げることは稀ですが、今年は毎日ほぼ真上から夏至前後の強い日差しを受けて肌が痛いくらいでした。なかなかこのような経験はなく貴重でした。

そして6月26日にやっと3週間遅れで梅雨入りしました。山口県は適度に雨が降りましたが、南九州は災害級の豪雨でした。7月中旬になるといつ梅雨明けするのだろうかソワソワし始めます。しかし梅雨が明けたからといってパラダイスというわけではありません。寧ろ地獄の猛暑を通り越して酷暑週間が始まります。梅雨明けからお盆までの20日間はクーラーの中で忍の一文字で耐え抜かなければなりません。それを思えば少々梅雨明けが延びたとしてもその後の地獄を考えれば儲けものかもしれません。昔は1日でも早く梅雨が明けるのを数えるようにして待っていましたが、最近は少し考え方も変わってきました。しかし梅雨末期のあの大雨とネトネトジメジメした環境はよくありません。今年の梅雨もそろそろ終盤にさしかかって嫌な時期になりました。今年はどこも大きな災害が起こらなければよいのですが、こればっかりはわかりません。

今年の夏はエルニーニョ現象と地球温暖化で梅雨明けが遅れ、最高気温が40度突破する地域が続出するのでしょうか?考えただけでもウンザリしてきます。そしてこの時期は熱中症で日本のどこかで毎日誰かが亡くなります。特に高齢者は熱中症にかかりやすく「私だけは大丈夫などと思わないように運が悪ければ誰でも死亡する可能性がある」と口を酸っぱくして外来では言い続けています。来年の今頃は東京オリンピックです。梅雨明けしていれば酷暑に対する万全の熱中症対策が必要ですし、梅雨明けしていなければ雨に対する災害の対策が必要です。半世紀に一度の大イベントですのでお天道様には無難な天気にしてもらえるようにお祈りするばかりです。

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Tokyo2020チケット抽選~その2~

6月20日の朝のニュースで早速当選発表の手順を説明していました。どうせ午前中は仕事ですからこちらもそこまで必死でPCとにらめっこしようとは思っていません。申込者には個人宛にメールで合否通知が来るそうです。しかしID登録だけで700万人いますので早々にメールが到着するのも順番というものが存在します。木曜ですので仕事が半日で終わりますので午後にゆっくりと見ようと思っていました。昼過ぎに長女からメールで「落ちた」との一報がラインで届きます。それで少し気になりメール箱を探しますが、つまらないダイレクトメールばかりで肝心なメールは見当たりません。そこで登録IDから検索しようと東京五輪のHPに入りますが、「現在、あなたは130万人目で確認に1時間以上かかります」とのコメントが入り断念します。そうこうするうちに長男からも同じく「落ちた」との一報が届きます。これはかなりの難関で宝くじ並みかと不安が過ぎります。その時です。私のID宛にメールが届きました。Tokyo2020と書いてあります。「やっと来たか。でもどうせ当たってないだろうな」と期待せずに開きました。「当選」という文字が目に飛び込んできました。流石に閉会式は当たりませんでしたが、最終日の午前中の女子バレーボールの3位決定戦を4枚ゲットです。勿論家族で行くため席は一番後方の安い席ですが、それでも1枚8000円の合計32000円也です。女子バレーは最初から狙っていました。私がバレーをしていたこともありまた女子は世界ランク5-6位ですので地元開催の利を生かせばもしかすればこの試合はプレミアものになるかもしれません。これで今年の運は使い果たしかと思っていましたが、家内や次男のID宛には一向にメールが来ません。もはやこれまでかと思いましたが、それでもやはりこの目で確認しなければ気が済みません。仕方ないが100万番目だけど待つかということでHPの待機で待つこと1時間、忍の一文字です。

やっと自分の番が回ってきました。家内のIDを入力すると「当選」と出ていました。勿論閉会式は落選ですが、閉会式の前日の国立競技場の陸上決勝の一番後方の席をゲットしました。開会式や閉会式を観たいのですがそれは困難でも、責めて国立競技場で金メダリストと同じ空気を吸いたいのは皆同じです。これで死ぬまで東京五輪で国立競技場に行って観たと後世まで言い伝えることができます。こちらは1枚5800円で合計23200円也になり合わせて5万円を超えます。当選貧乏とはよく言ったものです。それに取れるか取れないかわからない東京の高い宿代や交通費を含めるとかなりのお盆休みの旅行代金になりますが、それでも一生の記念旅行になるはずです。そんなことを考えながら次男や母のIDを調べますが、皆落選でした。一応2勝4敗という結果になりましたが、それでも家内へのメールは届きません。結局吉報が届いたのは翌日です。

ここで我々の今年の運は全て使い果たしたのかもしれませんが、これで1年後までのお楽しみが増えました。やはり少し遠くに人参がぶら下がると毎日の仕事や生活に張りが出てくることを改めて感じました。

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