またまたやってきた小学校の運動会

今年も9月の第3土曜日がやってきました。高校は8月の下旬、中学は9月の第1日曜と脱ゆとり教育のための授業時間数の確保のためかどんどん早まってきています。受験などあまり気にしない地方都市の小学校でさえ授業時間数確保のためきゅうきゅうとした年間行事予定になっているようです。今年は天気の心配を全くせずに当日朝を迎えました。

Blog201309302

運動会の話題といっても何回か書いているうちに内容がだぶってしまいそうですので、今回は自分の運動会の競技の思い出にふれてみましょう。「何が一番思い出に残っているか?」と自問自答してみました。「やっぱり組体操かなあ?」当時の組体操は今の子供たちよりもう少し難度が高かったような気がします。別に今の子供たちがひ弱だと言っているわけではありません。あと全校皆で一斉に踊ったフォークダンス。あれは少し恥ずかしながらの遠い想い出です。今の小学校の運動会でフォークダンスがないのはなぜでしょうか?他の小学校ではあるのでしょうか?皆さんの子供さんの小学校ではありましたか?文科省の指導要綱の改定のためにフォークダンスが姿を消したようですが、定かでありません。先日、35年ぶりに再会した同級生とのんだとき、私が富田東小学校の校庭の風景写真をこのブログに出しているのを見て「まだ、あの当時の上り棒があのまま残って使われているなんてメチャクチャ懐かしかったよ」というコメントをいただき、そういうことを聞くと「ブログをやってよかったなあ」と嬉しくなってしまいます。

さて今回も無事小学校の運動会が終わり、残すところあと2回です。勿論、中学や高校に行っても運動会はありますが、運動会観戦をして親として一番心に残り一緒に楽しめるのは小学校だと思います。なぜなら子供が小学1年のときの運動会はドキドキものだったのを思い出しませんか?それから学年が上がるに連れて少しずつたくましくなって徒競走も速くなっていきませんでしたか?そして最高学年では今まで上級生にお世話にしてもらってようやくいろいろなことができていた我が子が低学年のお世話をするようになって子供の成長を6年がかりで見届けたこと思い出してみてください。親子ともどもとってもいい想い出になっているはずです。小学4年生の晴れ姿は今年も午前は仕事で観ることができませんでしたが、午後の競技は観戦できました。我が子以外の他のお子さんやご両親ましてや祖父母の皆さんもいい笑顔で観戦しています。「子供は社会の宝」だとよく言われますが、まさにその通りだと運動会を観戦しながら感じている自分がいます。今回の運動会でうちの子供も親バカながら少しは大きくなりたくましくなったなあと思いながら観ています。先々週も書きましたが、「この中からもしかしたら東京オリンピックに出て金メダルをとる子供がいるかも」という可能性を秘めた夢と希望を抱きながら、全国の運動会で観戦している両親がたくさんいるに違いないと思っています。

最後の写真は運動会当日の早朝6時に花火と同時に校門が開いて〝雪崩のごとく一斉に走り出す一瞬〟でさすがにぶれました。清々しいとはいえない残暑の残る秋の1日でした。

Blog201309301

カテゴリー: 日常のこと, 趣味のこと | タグ: | 2件のコメント

親子三人でダイビング

昨年の夏に長男がスキューバダイビングライセンスを取得しました。今までは長女と二人で潜っていたのですが、昨年から三人になりました。昔は一人でダイビングをしていました。その時いつも思っていたことは、一人で潜ってその海のあの碧さやあの静寂さに感動しても、その素晴らしさを家族に伝えることができず、また共有できないことでした。独身の頃からモルディブ、パラオ、プーケット、沖縄など多くの海で潜ってきましたが、海はどこでも同じではなくそこの海の碧さには違いがあります。絵の具で表現すれば黒く濃い青から明るい青までありもっと深く潜れば、緑色から果てしなく光が届かない黒まで千差万別なのです。その素晴らしい色さえ伝えることができないわけですから、生きている魚などの生物のリアルな表情を伝えるなんて到底できません。そのためにまずは長女にダイビングライセンスを取得させたのが小学4年。ダイビングって早ければ8歳から可能なのですが、さすがに体も小さく不安もありました。しかしやってしまえばスイミング延長のようなもので小さいほど適応能力も早いことは間違いありません。今回長男は12歳ではれてダイバーのライセンスを取得しましたが、車でいえばペーパードライバーです。これから経験を積んで独り立ちしていくのです。私は100本以上をあしかけ20年で潜ってきましたが、それでも海は自分にとってまだまだ神秘のベール覆われています。

神秘的な海って聞こえはいいのですが、とても恐ろしくもあります。ちょっと油断してしまうと人間の命なんて一瞬で飲み込んでしまいます。しかしそれ以上に海は自分たちを大きく包み込んでくれます。一旦、潜ってしまうと外界からシャットアウトされ、余計な雑音は聞こえてきません。ボコボコという自分の呼吸する音が静かに響くだけの静寂の世界です。目の前には海の中でしか生存できないたくさんの動植物が存在します。海の中では人間ってとてもちっぽけに見えてしまいます。毎日の仕事と生活に追われてあくせくしている自分。その中で自分が自分を客観的に見ることができるのです。

三人でダイビングできるようになり、とても楽しくなりました。しかし今年は長女の受験や長男のホームステイでまだ一緒にダイビングができませんでした。今回も長男と二人きりのダイブです。自分の感動を言葉で伝えなくても一緒に共有できること、それが一番です。人間って感動しても誰にも伝えることができなければ自分の中だけで留めておいて何も嬉しくはありません。誰かに自分の気持ちをストレートに伝えることができてこそ本当に満足できるのだと思います。「世界中の海の色をこの目に焼き付けたい」これも自分にとっては果てしなく実現が困難な夢だと思います。しかし生きているうちにあと何か所くらい世界中の海を旅することができるだろうかとシステム手帳を覗き込みながら頭の中で旅をしているのです。本当に行って潜れば夢の一つが達成されるわけですが、そこに行くまでの途中経過も「いとおかし」といったところで、その楽しみを家族で共有できることこそが、価値のある生き方ではないだろうかと思っています。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA OLYMPUS DIGITAL CAMERA

カテゴリー: 日常のこと, 趣味のこと | 2件のコメント

TOKYO 2020

TOKYO 2020あの瞬間を皆さん何回見たことでしょうか?私もご多分にもれず、朝4時頃には目が覚めてしまってそれからテレビにくぎ付けで5:20にその瞬間をテレビの画面で見ました。その後、テレビであの瞬間とそれまでのいろいろな秘話や当日のプレゼンテーションが何回も繰り返して登場してきますが、ロゲ会長に封筒が手渡されて開封するあの数秒間の沈黙の長かったこととその次の瞬間の一言でわれんばかりの歓喜に変わったあの一瞬は忘れられません。「お・も・て・な・し」あのスピーチも最高でした!

今までにもいろいろな感動の瞬間をテレビで見てきましたが、今回の感動はちょっと違いました。その時は「なぜ感動が今までと違うのか?」よくわかりませんでした。しかし現実に戻りながらその映像を繰り返し繰り返して眺めていると少しずつわかってきたことがあります。それは7年後という時間的な約束がその時点で確約されたのです。その約束した相手はたくさんあります。体面上は日本が世界の国々に対して、国内では各種競技団体や政府や東京が約束したわけです。更に言えば個人個人にもその約束というか将来の夢が託されたわけです。皆さんもすぐに頭の中で7年後という言葉が一人歩きし始めて、「7年後の自分は何をしているだろうか?」と考えたはずです。また自分に子供がいれば、「日本の子供たちの中からもしかしたら自分の子供かもしれないし、同級生がオリンピックに出場するかもしれない」と一瞬でも思いませんでしたか?そうです!TOKYO 2020は7年後という将来の夢や希望が生まれた瞬間なのです。今は1年先も見通せない世の中ですが、7年後までの努力する目標ができたのです。それが自分の場合は7年後の子供の成長という時間経過を見届け、2020.7.24の東京オリンピック開会式の日をどのような姿で見ているのかを今からいろいろと想像するのです。そのとき子供はどんなに成長しているだろうかと考えながら。

TOKYO 2020で思い出させてくれたこと、それは最近の数ヶ月先さえわからない不確実な世の中で、3.11を機に不安が世の中をとりまきこれからもその不安がすぐに消去できないこと。福島の方が「オリンピックも嬉しいけど、震災を忘れてほしくない」とか「今は復興が先で素直に喜べない」とも言われていました。当然のことだと思います。しかし皆、明日に向かって歩いていかなければならないこともわかっています。近い将来の方が遠い未来よりも大切なことも承知の上です。皆がもがいている中で7年という期限をいただき少しでも早く成就するにこしたことはありませんが、「東北・日本の復興」という大きな目標ができたわけです。重要なことは7年後という未来に向けてがんばるぞという覚悟や自分や家族に対しての約束を心の中に抱いたことです。TOKYO 2020その時自分はどうしているかはわからないけれど、笑って家族と一緒に開会式で日の丸が上がり聖火がともされるその瞬間を目に焼き付けたいと思います。なぜならその次の日本でのオリンピックは自分が生きているうちには絶対にないだろうから。

カテゴリー: 日常のこと | 4件のコメント

ニュージーランド50日間の短期留学で子供はどう変わったか?

先週、長男がニュージーランドから帰国しました。この50日間持って行ったノートパソコンから数行程度のメールをたまにしか送ってきませんでした。「便りがないのは元気な証拠」と昔からよく言われていますが、やはりメール1本でも待ち遠しいものです。いつの間にか夏は過ぎ去り秋が主役で2学期も始まりました。「今年の夏はどんな夏でしたか?」と聞かれても個人的には「何となく慌ただしく過ぎ去った夏で、いつの間にか秋が押し寄せてきていた」という表現がぴったりです。長女は受験生夏の陣で家にいてもいないような生活で会話もほぼ皆無に等しい状況でした。このまま猛スピードで冬まで駆け抜けていきそうです。今回は自分がホームステイに行ったわけではありませんが、ニュージーランドでの長男の冬の思い出(南半球です)を書いてみたいと思います。

まずニュージーランドは治安がいいのですが、子供だけで外出が許可されていません。必ず15歳以上の付き添いがいなければ外出できないという決まりがあります。治安のよい日本でさえそのようなことはありませんので「じぇじぇじぇ」です。今は南半球は冬から春ですが、日本と同じ海洋性気候で暖流が流れているためか、あまり寒さは感じられなかったとのことです。ちょうど南半球で日本をひっくり返したような位置にありますよね。

それでは本題です。この50日間で彼は何を学び得てきたのでしょうか?率直にその質問をぶつけてみました。私も過去に行きたかったけど行けなかった海外ホームステイです。興味津々です。「ニュージーランドでは自分のことは自分でしなければいけなかった」当たり前のことですが、日本の自宅では洗濯などはしなくてもしてもらえます。まず海外に出るということは自立しなければいけないことだ。これも当然ですが再認識されました。週1回はその日の自前の昼食弁当を朝作らなければいけなかったとのこと。サンドイッチやスパゲッティを作ったらしいです。日本の自宅では考えられないことです。また海外のスクールでは日本のように教師が板書して子供たちがそれをノートに書いて教えてもらうという教育が主体ではありません。これは以前から指摘されていたことですが、日本は受け身の教育が多いということです。やはりこの7週間の講座ではつたない片言英語であってもディベートつまり議論が中心だったそうです。ペーパーテストや暗記に強い日本の教育が現在見直されつつある理由のひとつでしょう。TPPなどで相手と議論して自国の国益を有利にする交渉では、小さい頃からディベートを重んじる欧米に日本が苦戦を強いられるのは自明の理かもしれません。早く日本も追いつかねばなりません。

最も印象に残った一言ですが、「50日という短期間だったが、日本語NOの英語漬けで最初は自分の気持ちを海外のルームメートに伝えられずもどかしかったが、最後の1週間でやっと気持ちが伝えられるようになった。今日から日本語だが少し不安」と言っていましたが、やはり言葉は人類最大の発明ですね。また子供は順応力が高いようです。それを聞いて大人の私でもできることなら今からでもホームステイに行きたくなってしまいました。

ニュージーランド

カテゴリー: 日常のこと, 趣味のこと | コメントする

「はだしのゲン」の閲覧制限に想う

巷で「はだしのゲン」の閲覧制限について議論がされています。この「はだしのゲン」には個人的に強い思い入れがあります。自分が小学生の頃、週刊少年ジャンプで読んでいましたが、当時はトイレット博士やガキデカ(こまわりくん)などのギャグや他の週刊誌では巨人の星やドカベンなどのスポ根もの(今知りましたが、すぽこんで文字変換できませんでした)が流行りでした。その中では異色な色彩を放っていましたが、それでも当時の小学生として違和感なく読んでいました。勿論、今回問題となった「首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」という事実はその当時もあったかもしれませんが、それ以上に戦争を知らない世代が日本の過去の戦争と平和を考えるにはもってこいの教材だったと今でも信じていますが、当時は10歳そこそこでしたからそこまで真剣には考えてはいませんでした。しかし10歳の私が現実的な戦争と原子爆弾の歴史事実を体系的に知ったのはこの「はだしのゲン」が最初だったのは間違いありません。

次にこの「はだしのゲン」を自分の記憶の中で確かなものにしたのは、以前も少しふれたと思いますが、この春に中学校長を退職された先生で当時は大学卒業2年目の新米教師だった恩師でした。当時の我が1年3組と4組の合同文化祭企画でこの「はだしのゲン」の劇をしたことです。私は裏方で主役のゲンは先日もプチ同窓会で飲みました私の友人でした。脚本は当時の恩師が徹夜で書かれ、多分準備期間が1週間くらいだったかと思いますが、放課後残って皆必死でやった記憶が遠くにあります。その当時も13歳の自分にとって「戦争とは?」と真面目に考えるほどの余裕はなかったと思います。それから35年の歳月が経過して昨年以来の同窓会や恩師の送別会で必ずその話題が出てきます。ただ昔と違うことはその「はだしのゲン」を懐かしみながらもそれぞれの35年があるわけです。戦争について友人とも先生ともマジに語ったことはありませんし、この先も同窓会の飲み会でマジに戦争の話題なんて出るはずもありません。しかし今回のようなセンセーショナルな話題が出ると違和感を覚えるのは私だけでしょうか?

この「はだしのゲン」の図書館での閲覧制限については議論が必要です。一部でも反対意見があれば耳をかさなければいけません。それが民主主義だからです。表現の自由という御旗を掲げて自分の主張だけを曲げずに通すことは好ましくないと思います。必ず表と裏があるように相手もあることですから相手の主義主張をしっかりと聞いて全員一致とはいかずとも、今流行の過半数もしくは三分の二以上の世論の支持に従って結論を出してほしいと思います。そして最終的には行政がその取扱いを決めなければなりません。30年以上も前に真っ白な気持ちで原著を読みそして劇をした私からすれば「はだしのゲン」の描写や史実に対する閲覧制限と戦争と平和という大きな意味で論点がずれたとしても、それを理解した上で世界の多くの国々で翻訳され戦争がいかに人間の愚かな行為で原爆がどんなに悲惨だったかを語り続けていかなければならないものだと個人的には思います。

毎日新聞8.16配信より

松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。

現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲン全10巻を保有しているが全て閉架措置が取られている。古川康徳・副教育長は「平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と話す。

「ゲン」を研究する京都精華大マンガ学部の吉村和真教授の話 作品が海外から注目されている中で市教委の判断は逆行している。ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。機会が失われる影響を考えてほしい。代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくというのか。

教育評論家の尾木直樹さんの話 ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤。「過激なシーン」の影響を心配するなら、作品とは関係なく、情報を読み解く能力を教えるべきだ。ゲンは世界に発信され、戦争や平和、原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着している。

カテゴリー: 日常のこと | 2件のコメント