一の俣温泉

角島この連休を利用して角島を周って一の俣温泉に行ってきました。角島までは橋でつながっています。以前に沖縄北部の古宇利島に行ったことがありますが、そこも角島と同様に橋でつながりコバルトブルーの海を一本の橋が果てしなく続いているという感じでした。角島はこの10年で映画の舞台となり有名になった島ですが、海と山の自然に恵まれた素晴らしい場所でした。昼は観光客でいっぱいだったため、少し離れた場所でととろの里という手打ちそばの店で食べました。そこに着くまでの道は対向車とのすれ違いもままならない細い山道を登ること15分、着いた先は緑の木々に囲まれた自然豊かなお店で、お味も絶品でした。こういうお店を大人の隠れ家というのでしょう。その夜は一の俣温泉に一泊しました。この温泉はアルカリ泉でスベスベという前評判でしたが、その通りでした。周囲には何もなく緑に囲まれたのどかな落ち着いた雰囲気のホテルでした。山口県に住んでいてもなかなか地元の温泉に行くことはありません。行っても日帰りが多いでしょう。皆さんも同じかもしれませんが、温泉に泊まるときはむしろ他県の方が多いのではないかと思います。多分それは少しでも地元から離れること即ち脱地元で見知らぬ土地への憧れとでもいいましょうか、そんな気持ちが強いのかもしれません。OLYMPUS DIGITAL CAMERAずっと自宅兼仕事場の家の中での往復が人生の大半を過ごしている自身にとっては特にその場から逃げたくなることって多くあります。今回も人里離れた温泉宿といった雰囲気のため夜も早くから更けて久しぶりにゆっくりと寝ることができました。

翌日は温泉から近くの弁天池に行きそこでニジマス釣りをしました。なぜ釣りかというと自分は釣りがあまり好きでないためほとんどしたことがありません。よって子供たちも釣り竿をもって釣りをしたことがほとんどありません。ですから一度は体験学習の意味もこめて今回の釣りとあいなったわけです。釣りをされたことのある方ならあの釣り針にかかった瞬間のあの手がグイッと引かれる感触はやってみないとなかなかわかりません。私が最後に釣りをしたのは中学生時代でしたが、そのときの手がグイッと引かれる感触は今でも脳裏に残っています。そしてその釣ったニジマスをその場で唐揚げや塩焼きにして食べさせてもらいました。これも子供たちにとってはよい経験になったことと思います。

釣りのあとはサファリランドに行きました。子供が動物を好きなのは万国共通で、動物園やサファリランドには何回も行きましたが、行くごとに子供たちの反応が変化していきます。最初は「わぁー」の一言だったのですが、成長するにつれ動物の名前などいろいろな雑学が増えていきそれを説明してくれます。その話を聞く度に子供たちの成長を実感します。しかしいつまで一緒に動物園に行けるのでしょうか?あと数年もすれば家族一緒に行動することはまず皆無に近くなることを考えれば、今という一瞬の時間を大切にしなければならないことを我々親自身が感じ始めています。今回のサファリランドは大型連休のため園内は大渋滞で、車窓から見た動物たちが呆れ顔で車を眺め返していました。

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こいのぼり

富田川のこいのぼり昔は大型連休の前から各家庭で物干し竿より少し長めの棒を家の庭の柱やベランダなどにくくりつけて自家製のこいのぼりをあげていました。子供が紙で作った「オリジナルの魚くん」といった方がピンとくるかもしれませんね。五月の爽やかな風に吹かれてヒラヒラと舞っていました。雨が降ろうものならお手製の鯉は濡れて絵具はにじんでしまい、最悪の場合は紙が破れてしまってこどもの日まで待たずに作り直しというケースもあったように記憶しています。うちでは私の祖父母が布製のりっぱなこいのぼりを所有していましたので、小学生にあがる頃までは毎年10m程度の長い竹の棒を庭に杭で打ち付けてしっかりと固定してそれに雄雌のおおよそ4〜5mもあろうかと思えるほどの大きな鯉を泳がせていました。多分、私が生まれた頃にその鯉を新調してくれたのだと思います。その当時は多かれ少なかれどの家庭も大小の違いこそあれこいのぼりをあげていたように記憶しています。その当時はこの周辺には都会と違ってマンションなどなくどこも平屋か2階建ての一軒家でしたので、ベランダからかわいらしく鯉が泳いでいた家庭もありました。あれから半世紀の時間が過ぎましたが、今では各家庭でこいのぼりを見かけることは皆無となってしまいました。しかしこの周南地区でも更にのぼって田舎の方にいくと緑の田んぼの中に大きなこいのぼりが舞っている光景を目にします。すると一瞬でもほっと懐かしい気持ちになってしまいます。大都会と私たちの住んでいる田舎、あるいは私たちの住んでいるプチ都会と周辺の山々に囲まれた自然豊かな本当の田舎では、比較すれば一長一短ありますが、都市化が進んだ一方で昔の良き伝統をここでも忘れてしまっているのではないかと思うのは私だけでしょうか?

少し話題を変えて国旗掲揚について。昔は祝日ともなれば各家庭が日の丸を掲げていたのを思い出しませんか?今では祝日にそのような国旗掲揚をしている家庭はほとんど見かけません。勿論我が家でも掲げていません。なぜなのでしょうか?昔づくりの家では玄関の軒先に国旗を掲げるために固定する金具が取り付けてあり、それが今では錆びついています。多分10-20年以上使用してないようです。国民として国家を思う気持ちをどう表現するかは個人の自由意志で決まると思いますが、最近の国歌斉唱や国旗掲揚や靖国参拝などの問題をみても価値観の多様化や戦後社会における日本の歴史教育問題が根深く影を落としています。何が正しいかは個人判断にもよりますが、日本人としての誇りをもった生き方を見失ってはいけないと思います。

最近は家庭で見ることができなかったこいのぼりを憂いてでしょうか、地元の富田川に有志の方々がこの時期にたくさんのこいのぼりを泳がせています。そのような地域活動は大変で御苦労なことと思いますが、これからも続けてくださること祈願しています。「五月の風にこいのぼり…(みどりのかぜにさそわれて)が本当ですが」の歌にもあるように元気に舞い上がるこいのぼりを見るととても爽やかな気分になります。

富田川のこいのぼり

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想いでの牡丹

やまほうし毎年桜の花が散り、ヒノキ花粉が一段落する頃、当院のやまほうしにみずみずしい若葉が芽生えてきます。また昨年の秋から冬にかけて植えた球根から色鮮やかなチューリップの花が咲きます。そして今年も大きなピンクの花、そう牡丹の花がきれいに咲きました。この牡丹は「毎年今年で終わりだろうか?」と心配しながら見守っています。

この牡丹は10年前まで遡ります。3.11のアメリカの同時多発テロが起きて世界情勢が混沌としている中、2003年春にアメリカがイラク戦争に踏み切ります。そのようになんとなく「これから世界は一体どうなるのだろう?」という不安と出口の見えない不況に見舞われていた日本、なんとなくどんよりとしていました。そんなある秋晴れの日の午後、私は新南陽総合支所(旧新南陽市役所)に出かけて所用を済ませて車で支所を出ようとしたときのことです。コンコンと車の窓を叩く音が聞こえます。「なんだろう?」と振り向くと二人のいかにも田舎の行商らしきお婆さんが立っています。歳の頃ではおおよそ70歳くらいでしょうか。さすがにここ新南陽の田舎町でもなかなか旅行商の方をお見かけするのは皆無です。「すまんけど、駅まで乗せていってもらえんかね」と少しなまりのあるしゃべり方でにこやかに話しかけてこられました。普通なら車に乗せたら強盗でもされかねないご時世です。「申し訳ありませんが、急いでいますので」と断ることの方が多いのではないでしょうか。しかしこのときはある想いがよぎって快く乗せてあげたのです。

そのよぎったある事、それはその日から遡ること2か月、私の祖母が90歳で転倒して大腿骨頸部骨折で寝たきり状態になって市民病院に入院中でした。もともと百姓でほんの数年前までは野良仕事をするほど元気だったのですが、高齢者のお決まりのパターンです。ちょうどその頃に体調が悪化して何となくヤバイ雰囲気になりつつありました。旅行商のお婆さんが自分の祖母の姿と一瞬でも脳裏に重なったのでしょうか?

その二人のお婆さんを乗せると、向こうから「わしらー、島根県の中海の大根島から出稼ぎに来て牡丹の苗を売っとるんよ」と懐かしい島根なまりです。私も約20年前に島根県の病院に6年間勤めて、その当時大根島に牡丹を観に行った記憶も残っています。なんとも懐かしい気持ちで一杯になりました。いろいろなご縁というものを感じながら駅までほんの5分ほどでしたが世間話をしました。降りるときにお礼にということで牡丹の苗木をもらいましたのですぐに植えました。その約1週間後に私の祖母が亡くなったのです。だからなんとなくその牡丹が祖母の想い出のように思えてなりません。一時期、花をつけない年もあり「もうこれでこの牡丹の命もこれまでか」と思ったこともありますが、必死で肥料をやり、植えかえてまた花を咲かせるようになって現在に至っているのです。そのような個人的にはちょっぴり思うところのある花なのです。

今年も元気に花が咲いています。命あるものは必ず終わりが来ますが、来年も再来年もできる限りずっと咲き続けてほしいものです。

牡丹

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白衣高血圧と仮面高血圧

健診ではいつもドキドキして血圧が高くなり高血圧と診断されて精密検査に回されるという患者さんがよくいらっしゃいます。これを白衣高血圧といいます。また逆もあるわけです。つまり健診ではいつも正常といわれているのに自宅で測定すると高い場合もあるわけです。これをいつも人前では仮面をかぶったように真の姿をみせないが、自宅で仮面を脱ぐと実は高血圧だったという意味だと思うのですが、仮面高血圧というわけです。

どちらも家庭での血圧を自分で測定しなければわかりません。それでも不明ならば24時間ホルター血圧計といって腕に巻いて24時間測定します。お風呂には入れませんが、その他はほとんど日常生活をそのまましていただきます。ただし腕に血圧の布性のカフを巻きっぱなしなので汗をかきやすい夏場にはつらいものがあります。また冬場は寒くてたくさん服を重ね着しますので腕がモコモコになって検査しづらいという側面もあります。ですから当院でも家庭での血圧計をチェックしてもはっきりと高血圧がわからない患者さんに実施していますが、何せ一晩中巻きっぱなしで30分ごとに腕が加圧されますので緊張して眠れなくて通常より更に高くなり検査した意味がない場合も若干ですがあります。

白衣高血圧は簡単にいえばあがり症です。もちろん正常血圧の方と比べれば将来高血圧になりやすいといわれていますが、「もうちょっと薬をのまないで経過をみましょうか」と申し上げることが多いです。仮面高血圧は白衣高血圧よりも少ないのですが、高血圧による臓器の障害つまり心臓や腎臓や脳などの臓器に圧力がかかり過ぎて病気をきたしやすいといわれていまして、積極的に治療をしなければなりません。いずれにせよ、自宅でマイ血圧計により診断がつきますので、自宅での血圧測定を面倒くさがらずにしていただけなければなりません。

さてそれではこのような白衣高血圧や仮面高血圧を含めて高血圧と診断されたらどうすればよいのでしょうか?という質問をよく受けます。勿論、「薬をのめばいいですよ」というだけでは芸がありません。まず当院では血圧が上がる理由を考えます。例えば塩分とりすぎなのか老化によるものか、または別の理由がみつかることもあります。それから塩分とりすぎでもそうでない患者さんもまずは自宅で血圧測定です。そしてその間に塩分制限のお話を管理栄養士にしてもらいます。その間約1-2か月。勿論それまで待てない猶予のない高血圧の患者さんには薬を処方しますが、通常は待ちます。なぜならば患者さん本人が自分の体の状態をしっかりと把握しなければ食事療法だろうが薬物療法だろうが長続きしないからです。また薬をのんで下がったら治癒したと勘違いして自己中止してしまう人も多いからです。それでは10年20年先の脳卒中や心筋梗塞などを予防できません。三つ子の魂百までではありませんが、最初の導入時の教育がとても大切なのです。なかなかお互いに根気がいりますが、そこをクリアできて自分の病状をしっかり理解していただいた患者さんは当院では末永く良好な関係が築けています。

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日本人と外国人はどこが違うか?

日本は今いろいろな困難に直面していますが、今回は日本人と外国人の違いについて考えてみたいと思います。東日本大震災のときの海外のメディアが日本人の行動について一斉に称賛したことは記憶に新しいことと思います。緊急時に人間としてお互いに助け合うことは万国共通です。避難所の生活で寒い中で配給される食べ物をじっと待つ姿、まさに「おしん」ですが、その姿こそ日本人の世界に誇れるものだと海外のメディアが盛んに報道していました。もしこれが近隣諸国の国だったら暴動になっていたでしょうし、あの世界の警察官と自負している国でさえ、ハリケーンに見舞われた時は略奪や暴動が起こっていました。そこに見えてくるものは日本人が日本人として先達が築きあげてきたもの、質素で倹約、そして何よりも他人に対して恥をさらすことは死に値して切腹も辞さないとする武士道の精神ではないかと思います。

今回の震災で東京でも帰宅難民がじっと我慢して列をなしていつ来るともわからない電車やバスを待っている姿も象徴的でした。そこにはルールは守るものであって破るものではない。一度決めたらそのルールは変えるよりも維持することの方が重要だという日本人の基本姿勢が現れています。ですからマッカーサーがもってきた日本国憲法を時代に合ったルールに自分たちで変えることさえ60年間しないで、どうやって守っていくかを考える国民性なのでしょう。誤解のないように付則しておきますが、憲法9条は維持することが大前提ですが、今の時代に合わせた文言にしなければいけないと思います。学校教育も今まで築き上げてきた日本の伝統を子供たちに授けなければなりません。しかし日本が明治以降に戦争をして近隣諸国と軋轢を残した事実を教えるのは、いつも3学期の終了ギリギリで時間不足で我々の中高校時代にははしょられてきました。お決まりの如く縄文時代から始めて直接現在の日本が直面する戦後問題は最後まで後回しにされていました。現在の日本の歴史での戦後教育はどこまでウェートがあるのか詳細は知りませんが、もっと時間をさいてもいいのではないかと思いますが、皆さんどう思われますか。一方、近隣諸国はしっかりとしたたかに国民を誘導して、間違っていても正しいと自己主張してきます。

また日本では皆が正しいことをするという前提の性善説を唱えます。一方、外国では人間は愚かなもので過ちを犯すという前提で性悪説をもとにして動きます。武士道精神に照らせば性善説の方が合致していますが、最初から嘘をつくものだと思って行動している外国人とやりあって競争すればどちらが置いてきぼりを食らうのかは自明の理でしょう。日本人が日本人として築き上げてきた素晴らしい伝統を捨てることはあまりにもったいないけれども、相手に対して主義主張をせずに「まあ、まあ、まあ」と足して2で割り、相手がごり押ししてきたらめんどうくさがって丸く収めるというような行動は変えていく必要があると思います。そのためにはやはり学校教育に力を注ぐことが今一番重要なのではないかなと新年度早々思っています。

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