森と海の学校 ~親から子供へ送る手紙~

この春休みに末っ子が森と海の学校で1週間石垣島に行ってきました。この催しには過去に長女や長男も参加させました。主催は現在山口県会議員をされている岡村精二さんのNPO法人森と海の学校です。岡村さんは自ら大学生のときに手作りヨット「シンシア3世号」で太平洋横断をされています。その時、八丈島沖でヨットが転覆して一度はあきらめかけた夢を継続して太平洋横断という偉業を達成されています。その偉業を達成した源は親から子供への愛情があったからだと個人的に想像しています。

まずこの会について簡単に説明します。岡村さんが平成3年に設立され「プロジェクト松陰 ジュニア洋上スクール」と題して約1週間の沖縄往復のフェリーを利用して、心豊かな冒険心あふれる青少年及び指導者を育成し、社会教育の推進と青少年の健全育成に寄与することが主目的です。参加対象は小学生から中学生の6人程度で縦割りの1班として子供たちが主体で、洋上生活を通して思いやりと協調の精神を学びます。直接子どもたちを指導するリーダーは、高校生・大学生の若いリーダーで大人はほとんど関与しません。リーダーが大きな責任を担い、真剣に取り組む姿が、団員に大きな感動を与え「自分もいつかリーダーになりたい」という思いを強くさせます。そして、そのような団員が、高校生や大学生となり、リーダーとして、この事業を引き継いできたそうです。この一節は岡村さんのホームページの説明文から引用しています。長女は小学生のときに班の中では低学年だったため中学生の班長に多くのことを助けてもらいました。そして中学生になった長女は班長として二度目の洋上スクールに行きました。いろいろ大変だったと思いますが貴重な経験をさせていただき、今でもその時の班員とは手紙のやりとりがあります。

実際の洋上スクールでは朝、高校生のリーダーのもとまず「少年よ、大志を抱け」の英語版「Boys, be ambitious」の暗唱から始まり、このフレーズの後にまだ長く続きます。子供たちはすぐに覚えてしまいますが、恥ずかしいことに大人の我々はなかなか覚えることができません。それから1日が始まります。自然に向き合って人間はどう生きていくのかを学んでいきます。人間は一人では生きていけない、助け合って生きていくものだということがテーマです。その他に二つの大きなイベントがあります。まずは秘密に旅先へ郵送された親から子供への手紙。親が子に生き方を教える手紙。夜の暗い部屋の中、懐中電灯を照らして、思いもかけない両親からの手紙を読んで涙する子供たち。「自分に親とは何なのか。どういう生き方をしなければならないのか」ということを涙の中で子供たちは学びます。それとライフサイクルプラン、つまり「10年後の自分は何になりたいのか?なるとすれば今から何をしなければならないのか?」を自分で未来年表を作ります。勿論、その通りにいくとは限りませんが、始めの一歩を踏み出さなければ二歩目もありません。そんなこんなの価値ある1週間なのです。そしてスクールから帰ってきたとき子供はちょっぴり成長しています。私も少しでも岡村さんのような生き方に近づきたいと思っています。

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恩師の定年退職

今年の桜は満開が早くそろそろ散り始めてきました。桜の季節、それは日本では出会いと別れという旅立ちや出発の季節で、おめでたくもあり寂しい季節でもあります。「来年の桜が咲く頃には、自分は何をしているのだろう?」と皆さんも郷愁に浸ったことも一度や二度あるでしょう。そのような人生の区切りの行事が四季折々の花で思い出させてくれるのも日本古来の伝統でこれからも大切にしていかなければなりません。

先週、昨年度まで田舎の素晴らしい中学校の校長をされていた私の中学の恩師の国語の先生が晴れて定年退職されました。まずはこの場を借りて御礼と「長い間、教育一筋でご苦労様でした」と申し上げたいと思います。以前からちょくちょくとこのブログにも登場されていましたが、今回は教育一筋の先生に恐れ多いのですが、はなむけの言葉を送らせていただきたいと思います。

先生との出会いは36年前の13歳、先生は大卒2年目の24歳です。まだ新米でクラス担任ではなかったのですが、ちょうど自分のクラス、1年4組でしたが、国語の担当でした。その当時は中学生になりたてで自分にもまだ余裕もなく、先生との思い出といってもたいそうなものはありません。しかし国語の授業を受けるたびに一生懸命に我々生徒にぶつかっていこうとする姿はヒシヒシと子供心にも感じられました。その1年間だけの国語だけの付き合いです。それから34年、先生の名前は記憶の片隅にあるものの自分の人生の舞台には登場してきません。

ところが2年前の春、桜が散って若葉が芽生え新緑の季節にさしかかるすがすがしい日の午後、学校保健医の仕事で和田中学校を訪ねたときに先生の方から呼び止められます。「僕のことを覚えていますか?」という会話で34年ぶりに再会します。こちらはそれこそ想定外の出来事で「はあ、どちらかでお会いしたでしょうか?」としか答えることができません。これが同窓会など想定内の行事での再会なら「あの先生かも?」と思うのかもしれませんが。その後「国語を教えた・・・」とワンポイントのヒントを頂くといきなり想定外から想定内に30年という過去まで脳裏が蘇り、一気に頭の中だけは30年前にタイムスリップです。そのジェットコースターのような記憶の遡りの快感は言葉ではなかなか表現できません。「あーっ、先生!」と一気に記憶が蘇り、あとは昔話に花が咲き、仕事の話どころではありませんでした。横で養護の先生がじれったそうに待っています。養護の先生は二人の会話には当然入り込む隙間などこれっぽっちもありません。それから2年。

先生のこれからの残りの人生の集大成をどのように送られるのかは存じ上げませんが、このような再会を機にこれからも何かしら人生の節目に自分の舞台に登場するキャスティングの1名に加えさせていただき、「出会い」という素晴らしい宝物を頂いて自分にとっても大変な財産になりました。今回の退職にあたりほんの一言「ご苦労様でした」という気持ちを込めて胡蝶蘭を送りました。花は散っても「記憶の花」は永遠です。

今回は目の前の小学校の桜です。例年は小学1年生を迎えてくれますが、今年は卒業生を見送ってくれました。入学式までもつでしょうか?

桜

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専門医制度について

医師国家試験に合格して医師免許を取得すると、法律では医師は内科や外科、更に経験がなくとも産婦人科でも標榜できます。現状の日本の法律ではそれが可能なのです。また経験豊富なゴッドハンドも医師免許を取得したばかりの研修医でも治療内容が同じならば治療点数つまり治療費用は日本全国一律なのです。国民皆保険制度のもとでは当然といえば当然ですが、よくよく考えてみればペーパードライバーも経験豊富なベテランドライバーでも運賃が一律であるのと同じです。しかしその医師が本当にその標榜科目で信頼がおける技術や知識を持ちあわせているかどうかは一般の患者さんからみてもわかりません。そこでこの専門医制度が存在するわけです。例えば内科であれば内科の研修を経て5年以上内科に所属していろいろな病気の患者さんを診療してその実績を症例としてレポートに書きます。病気の種類でいえば約50症例程度を作成して、そこに在籍した所属長から在籍証明をもらって所属学会に提出します。その書類審査を通過すれば医師国家試験のようなペーパー試験が待っています。そして専門医資格を取得できます。またその資格は5年ごとに更新しなければなりません。更新には年に1-2回の学会に出席して最新の医学知識を見聞きして単位を取得します。その単位を5年で75単位取得しなければ更新できない仕組みになっています。この単位を取得するための年1回の全国学会が春から秋にかけて主に都会であります。私は総合内科専門医と循環器専門医を取得しているためその単位取得のために上京することが多いのです。

このように医学の進歩に追いつくためには全国学会の出席や自ら医学雑誌を読んだりしないと5年もしないうちに最新の知識から取り残されていきます。自分としても嫌だし、患者さんも無知の医師は嫌なはず。最近はネットの発達で一般の素人の患者さんでも最新の医療情報を入手して質問されることもよくあります。最新の医療技術や医療機器を持っていなくても、最新の医療知識だけは身に着けて必要あればその技術を持つ医療機関に紹介することが我々末端の診療所の医師の役目だと思っています。だから交通費から宿泊費と学会参加費用などを含めればざっと1回行けば約10万円はかかるため、代わりにネットなどを利用してもう少しお金がかからないシステムへの改革をしてほしいなどといろいろ不満もあるのですが、専門医制度は必要でその費用は必要経費だと割り切っています。

今回は横浜で金曜から日曜までの3日間、日本循環器学会が開催されました。土曜の午後から飛行機に乗って1泊2日の学会出張で、現在羽田行きの機内でこのブログを書いています。春本番の暖かさのポカポカ陽気で桜も開花しています。そのためか快晴の空を飛ぶ機内から富士山を望みたいと思っていましたが、やはり春霞でしょうか、霞んで見えません。しかしきれいな夕日を機上から望むことができました。最近は新幹線でも飛行機でも不運にも富士山をみることができません。明日の帰りの飛行機で望めることを期待したいと思います。では会場から見た横浜の海と東京タワーの写真を掲載しておきます。

東京タワー 横浜

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世界中、どこでもケータイ、にらめっこ!

先日、東京に出張に行った時のこと。都内のJRや地下鉄に乗っているとき、車両の中で半分近くの人が液晶画面に向かっていました。なんとなく現代的な光景を見たような気がしました。25年前に東京にいた頃の朝の通勤ラッシュの中では、目をつぶり瞑想にふけるか、新聞か文庫本を読むか、パスポートサイズのウオークマンを聴きながらイヤホンからシャカシャカと音楽が漏れ出ていました。今回は週末の上京で、朝夕のラッシュ時のことはわかりませんが、やはり液晶画面を見ている人が一番多いのではないでしょうか?以前海外に行ったとき、アジアのリゾート地ですが、そこでも現地の人は皆ケータイ片手に歩いています。むしろ異邦人である我々の方が旅行雑誌や地図を片手にアナログ人に変身しています。一週間後に帰国するとデジタル人に戻る予定ですが。もう世界中、多分アマゾンやアフリカのジャングル奥深くに行かなければ、どこでもこのような光景が当たり前になっているのでしょうか?

ケータイを自分が持ち始めたのは約20年前の1995年です。ポケベルで緊急時に呼び出しを受けるとその周囲の公衆電話を探さなければいけません。現在ほど探すのに苦労はしませんが、それが面倒で購入しました。つまりポケベル付電話で本当に必要不可欠の代物でした。しかしそれがどんどん付加価値ばかり高められていき本来の目的である人との緊急のコミュニケーションという意義が薄れていきました。現在はスマートフォン一色ですが、個人的にはまだそこまでいくことにためらいを感じています。買い変えてしまえばそのような思いは一蹴されるのでしょうが、なかなか踏み切れません。昔なら両親に「あまり画面ばかり見ていると目が悪くなるからやめなさい」と怒られていたでしょう。今は親子連れでも親は親のケータイで子どもは自分のゲーム機で画面を追いかけています。田舎では電車の中に人がぎゅうぎゅうに押し込められている光景は見かけませんが、バスの中でも歩行中でも画面に食い入って見ている人はたくさんいらっしゃいます。

あと20年したら今度はどんな光景になっているのか予想もつきません。文明、技術が発達して、いろいろ便利なものが発明され、日常生活が便利になるのは非常によいことで否定する気はありません。しかしコンピューターなどの電子技術が発達した現代は昔と比べてなんとなく人と人とのコミュニケーションの取り方が下手になったのではないかと思っています。自分を例に取ってみてもメールはとても便利でいいものだと思っていますが、昔と比べて、直接人に会ってまたは電話で会話してという手段は明らかに減り面倒くさく思うようになりました。このような文明的な功罪が将来の人類に与える影響はどのようなものになるのかはわかりませんが、どんなに機器が発達しても人間社会では人と人とのコミュニケーションなくしては成り立たないことは明らかだと思います。

「世界中、どこでもケータイ、にらめっこ!」という標語が当分は続きそうですが、果たして本当によいことなのかどうか疑問に感じることがあります。

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あれから2年。
あなたはどう思いますか?どう向き合いますか?何をしますか?

あれから2年。世の中はあの悲惨な出来事がまるで嘘のように流れていきます。今日はどの新聞やテレビでも同じような画一的な特集を組み「あの日の出来事を忘れないように」という言葉が並んでいます。昨日から特集が組まれているものもあります。勿論、メディアが時節の折々に社会に思い出してほしいことを訴え続けることに異論はありません。今回はタイトル通りにさらさら流の見方をしてみたいと思います。

自分の中で忘れてはいけない出来事はたくさんあります。この半年だけでもアルジェリア邦人テロ事件、グアムの事件、体罰などを筆頭にたくさんあります。メディアには大きく報道されずに私たちが知らないけれどその家族にとっては一生を狂わされてしまう事件もたくさんあるはずです。しかし世の中は何事もなかったように時計の針だけが進んでいきます。タイムマシンなんてありませんから、過去に戻ることはできません。どこでもドアもありません。スーパーマンもいませんので、すぐに最愛の人を助けに行けません。

では今私たちは何ができるのでしょうか?皆さん、一人一人が考えてほしいのです。仕事や子育てが忙しくてボランティアには行けない身であっても、またはお金がなくて募金をする余裕がなくとも考える時間だけは確保できるはずです。考えても何も浮かんでこないこともよくありますよね。その時は一旦保留。「寝さして、保留して、熟して、取り出す」ようにしてみるのです。この出典は外山滋比古さんの著書で東大生に最も読まれた本で有名になりました「思考の整理学」を引用したものです。簡単にまとめればいい考えが浮かばない時は一旦そこでストップ、保留しておきます。人間の脳って不思議なもので考えてないと思っている時でも脳の神経回路は動いているのです。だから何気ない一言や見聞きしたときに突然、「あー、これだ!」と合点がいくことってよくあるじゃないですか。あれです。また夜寝る前にいろいろと「あーだ、こーだ。いや待てよ、違う。いや、こっちの方だ。でもやっぱり最初に決めたことが一番いいのだ」なんて思い巡らして眠りについて翌朝に「なんで昨晩、あんなに悩んだのだろう。アホらしい」と思ったこともよくあるはずです。このように時間をおいて脳の中の回路を巡らせ熟してやると、突然いいアイデアが湧いて出てくるのです。しかしその熟す期間は一晩の時もあれば10年後に腑に落ちることもあるし、一生かけても熟さないこともあるわけです。

話は少しずれましたが、何が言いたいかと言えば、3.11のように忘れてはいけないことは人間誰しも忘れようがないのです。しかしそればかり考え続けることも不可能です。だからメディアは画一的ではありますが、その人間の忘れてはいけないことをそれぞれの頭の引き出しに少し手をかけてくれるのです。あとの引っ張り出し方つまり個々の考え方は千差万別です。自分でも今回と来年または5年後で考えが異なるかもしれません。しかしきっかけがあると3.11に対してまた考え始めるのです。日本人皆が幸せに暮らせるような国であり続けるためには自分はどう向き合っていけばよいのかを。

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