次男の自転車旅行~準備編~

佐賀から帰省する直前に次男が来週友人と3人で広島から四国に渡って自転車ツーリングに行ってくるといきなりの電話。そこからドタバタ道中前夜祭が始まります。まず次男は小学生時代の変則ギヤ式の一般的な子供用自転車しか持ってない。以前に防府まで友人とツーリングしたことはあるが、遠距離の本格的なツーリングはしたことがない。またこの時期は40度に迫ろうとする猛暑で体力の消耗と熱中症対策が必須でそこまで過酷な状況ということを本当に理解しているのか?友人と人で行くと言っているが宿泊施設は決まっていないなどなど疑問点が山のように出てきます。本人に一点ずつ確認していくとほとんど行き当たりばったりの状況です。これでは流石に親として許可できないと次男に言いまました。ではどうしようか?と本人と相談です。まずは自転車。流石に小学生の時の自転車で100km以上の長丁場にチャレンジさせるわけにはいきませんので、早速自転車店に買いに行きました。ロードサイクルは高値と聞いていましたが、10万円強もするのでビックリです。一瞬「ツーリング行くのをやめたら」と言いそうになりましたが、心の叫びを抑えました。次男が何かにチャレンジする時に金銭面で不可能なら諦めさせるのですが、少し背伸びをすれば届く範囲でしたら、子供にとってこの夏の冒険がこれからの人生に何かしら役に立つかもしれないと思い即決で購入しました。

冒険まで残り1週間、翌日から新車で初乗り練習です。日目には予想通り?転倒して手や足にかなりの擦り傷を作りましたが、子供の治癒力は凄いもので出発日にほぼ治っていました。次に計画です。こればかりは相手があることですぐにはどうにもなりません。中学生だけで本当に外泊は良いのか?など気になることも多く、どこから情報が漏れたのか?中学校の担任から電話があり、「クラスの友人達でツーリング計画を立てて広島から四国に渡ると聞きそのメンバーに次男も入っているようだが、保護者は知っていますか?」と確認がありました。てっきり学校側がストップをかけたのだと思いましたが、そうではなく「ご存知ならよいです」との返答でこれが事実上のゴーサインとなりましたが、学校側もおおらかでこれもビックリです。次は宿泊先です。本人たちはお金を節約するために野宿をするとか、24時間営業のファミレスで夜を明かすとか宣っています。親としては同意できません。未成年人組が深夜に店たむろっていたら流石に夏休み期間中といえども警察は職務質問をするでしょう。そこでお咎めなしならよいのですが、何かトラブれば親と学校に連絡がいくでしょう。親までならまだいいのですが、学校まで行くとややこしくなりますので、「頼むからビジネスホテルに泊まってくれ」と今度は親からの懇願です。夏休みで直前のため広島のビジネスホテルの空きをネットで探すもなかなかみつかりませんでしたが、やっとのことでトリプルをゲット。翌日の松山では中学の同級生の実家に頼み込んで泊めてもらうとのことでした。なにからなにまで初体験で見ている親の方もハラハラドキドキです。道中は次回に続く。

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成功にとらわれるな、成長にとらわれろ

今日ネットでサッカーの本田圭佑選手がこれからの目標ということで語っているのを目にしました。彼は言わずと知れた天才ですが、イチロー選手と同じように努力の天才でもあります。才能ある人が一流になるためには継続する努力も必要です。そして彼もイチロー選手と同じように独特な表現をします。初めてワールドカップに出場した頃から優勝したいとマスコミのインタビューで答えました。普通なら「何言ってんの?この若造が」と予想通り叩かれたこともありました。本当は結果を出してから言えばいいのですが、夢や目標に向かって進む場合には大ボラも時には必要です。人は言葉に出して自分の退路を断って結果を出そうとすることもあります。彼はよくその手段を使います。スケールでは私は彼に遠く及びませんが、自身でもどうしてもやり遂げなければいけないことがある場合には先に周囲に公表して退路を断ちがんばることはよくあります。一方で寡黙に行動して完成後に公表して周囲を驚かすという手段もありますが、これもなかなか達成するまでは大変です。両者は結果までのプロセスは同じですが、自分を追い込むか追い込まないかで自分にかかるプレッシャーは異なります。ロシアワールドカップではベスト16にとどまりましたが、彼の存在が日本のサッカー界の底上げをしたことも間違いありません。そして終了後に代表引退、そしてもしかしたら中田選手みたいにスパッと現役引退もするかと思いましたが、今回のネットの記事を読む限りそうではないようです。今回はバハマからの取材でしたが、彼は目標がないと突き進めないタイプのようです。そこで目標を4年後におかずに目の前の東京五輪出場に定めたと書いてありました。これも32歳の肉体にとっては大変な目標だと思います。また彼は自分を窮地に追い込んだのでしょう。

そこで本日の話題ですが、このフレーズは本田圭佑選手の独特の言い回しのようです。20176月に大学の講演で言われたらしいのですが、引用されたのか自身のオリジナルかは不明です。いずれにせよ成功と成長と韻を踏みながら一時の栄冠よりも更なる高みへ突き進む彼らしい表現です。今回初めてネットでこのフレーズを聞いた時今の私にピタッとはまりました。別に自分は成功したとは思っていませんが、失敗したとも思っていません。成功とは周囲の人が決めることであって自分で決めることではありません。多分本田選手も周囲は成功したと言うけれど自身はそう思ってないのでしょう。そんな彼が成功より成長、つまり目標を掲げて前に進んでいくには言霊の力が必要なのです。自分を追い詰める言葉が必要なのです。その彼の意気込みがそのフレーズの一言で伝わってきました。私からみればスポーツ選手で大スターですが、自分とは畑違いですのでその凄さは正直あまり実感がありません。自分より二回りも若い世代という感覚しかないのですが、今回のネットの記事を読んでイチロー選手に劣らず素晴らしい精神の持ち主だと思いました。スターはどの世界にも多くいれどもワンフレーズで相手の心をグサッと鷲掴みにする大スターはなかなかいません。そいう意味では小泉元総理も言葉を操る天才かもしれません。

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銃規制と核放棄と教育

毎月世界中のどこかで銃乱射が起きて犠牲者が発生しています。あるところではイスラム過激派が乱射していますが、アメリカという国では一般人でも銃が簡単に所持できて自分を守るための権利として認められています。日本人からすれば信じられない事ですが、お国が違えば思想も違うし自分の意見を言ってもまかり通らないことは多くあります。そして理不尽な殺戮が起きて非劇が待ち受けています。そしていつも民主党が銃規制を打ち出して共和党は銃を作る側からの献金もあり、更に危険に対しては銃で身を守らなければいけないと堂々巡りです。そして世論も半分は銃規制反対とでます。いつまで経っても変わらないアメリカ社会の現実です。そこで核放棄問題が登場します。国連安保理決議違反と銃所持規制の内政問題を一緒に論じることは不可能ですが、なんとなく北朝鮮の核保有と似ているとは思いませんか?ルール違反ですから北朝鮮は非難されるべきですが、一方でアメリカの攻撃から身を守るために我々は核武装をすると言います。決して認められるべきものではないのですが、アメリカ社会の不毛な銃規制の論議と同じで堂々巡りになっています。そしてアメリカ社会で何回も悲劇が繰り返されていますが、宇宙船から地球を覗くとアメリカ社会の銃問題も北朝鮮の核武装放棄を迫るアメリカのトランプ大統領はどっちもどっちに見えてくるのは私だけでしょうか?アメリカだけでは無理で中国やロシアはまた別の方向を向いています。日本は日米同盟でアメリカと同じ方向を向いているように見えますが、こと銃規制に関してはアメリカとの意見の相違は対極にあるのではないかと思います。別に北朝鮮を擁護するつもりは全然ありませんが、銃という問題からみれば北朝鮮もアメリカも同じように悲劇を繰り返しているのに引くに引けないのでとても不思議です。

メンツと実利はとても大切でその二者で世の中が流れていると言っても過言ではありません。その二者をうまく使い分けて交渉するのが外交術なのでしょう。単細胞である私にとってはその使い分けをうまくできないかといつも思いますが、事自分に関しては盲目になるといいましょうか、ちょっとした事でも堂々巡りになって結果を出せないことが多くあります。そのような小さな一つ一つの積み重ねがコミュニティをなして民族間の大きな問題となると銃規制なり核武装放棄問題へと発展していくのでしょう。

最後に今回の私の意見ですが、北朝鮮は国際間のルールを守るべきで核放棄を実行すべきです。そしてアメリカには銃で犠牲になることを考えたらもっと発展的な解決策を模索すべきだと思います。なんでも利点と欠点はあります。車だって同じことです。とても便利な代物ですが、一歩間違えると銃と同じように凶器に変わってしまいます。しかしその走る凶器を規制することはできません。できるとすれば車社会を放棄して江戸時代に戻るのかそれとも操る人間をしっかりと教育するしかないのです。だからこそ教育は大切で未来の人間をしっかりと育てて行かなければなりません。

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本音と建前

世の中の普通の人は本音と建前を使い分けます。アメリカ大統領しかりです。トランプ候補が大統領選で訴えていた非難中傷は大統領当選後には影を潜めました。候補者としてのトランプ氏は自由奔放に好きな事を言う我儘な人にしか映りませんでしたが、当選してしまえば豹変してしまいます。これは本音と建前の典型例と言っていいでしょう。しかし今でもトランプ大統領の言動には本音と建前の境界線がわかりません。このように政治の世界を覗くと「理想と現実」や「本音と建前」などいろいろな表と裏が見えます。また毎日の日常生活でもたくさんの建前が横行しています。例えばお客さんからこれやってと頼まれれば嫌な事でも喜んでと答えます。心では面倒くさいと思っても顔には出しません。そのような積み重ねが毎日毎日更に積み重なっていきます。

いつから人間は本音と建前を使い分けるようになったのでしょうか?生まれたときは使い分けていません。しかし物心がついたときには子供は親に対して既に小さな使い分けをし始めます。それは「親の顔色をうかがう」という言葉が存在していることからも証明されます。母親から何か言われても物心がつくまでの子供は嫌なら嫌という素振りを示しますが、もう少し周囲の事が理解できるようになってくると自分の思うことを押し殺して肯定するような返事や行動を始めます。しかし全てがそうとは限らず嫌なことはまだ駄々をこねます。それが成人して仕事を始めると余程の重大事態でない限り上司にたてつくことはありません。社会に出ると上下関係が厳しい職場では黒だと確信しても上からの天の声が白だと聞こえたら白と言わなければならないこともたくさん出てきます。それが本当に正しいかどうかは二の次なのです。そのような社会にどっぷりつかっていると感覚が麻痺してきて真面な判断が出来なくなる場合もあります。そのようにはなりたくないと常々注意しています。「昔はよかった」という言葉は後ろ向きに聞こえるので嫌いですが、昔の自分だったら素直に嫌なことは嫌と言えた自分がいたことは間違いない事実です。歳をとればとるほどストレートな物言いが影を潜めて言葉にオブラートを包むようになります。それが良いことか悪いことかは別として本音を言えずに建前で体裁だけを繕おうとします。50年も生きてそんな自分になった姿を昔の自分が見たら「しょうがないよ」と言うのかそれとも「昔の自分がよかった」と言うのかは定かではありません。

建前は社会を生きていく上で必須のアイテムですが、これからもできる限り本音で生きていきたいと思います。なぜなら本音で喋る方が他人に対して自分を取り繕わなくて済みますので最終的には悩まないで済むことが多いのです。一方で相手とはいろいろと衝突も起こります。全てにおいて衝突することはありませんが、建前で生きていくよりははるかに増えるはずです。失言も多くなり嫌な思いも増えますが、自分を殺して心の中で不完全燃焼してわだかまりを残すよりも自分にとってはそのような不器用な生き方の方が結局楽な生き方ではないかと思っています。

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青桜を読んで

昨年夏に防衛大学のオープンキャンパスに行きましたが、できれば行く前に読みたかった漫画です。うちの次男はこの漫画を愛読して自衛隊や防衛大学に興味を増幅させていったようです。アマゾンの一部の書評ではこの青桜なる漫画は政治的思想にも左右しますのでいかがなものかという意見もありましたが、表現や思想の自由が日本国憲法で保障されていますので堂々と書店で売られています。私の高校の同級生が一人防衛大学に行きましたが、卒業以来会っていません。風の便りで現在海上自衛隊の幹部として働いているようですが、行動は隠密事項なのかもしれません。自分の学生時代は今から思えばとてもルーズでしたが、更に世の中のルーズな大人社会を垣間見るには絶好の機会でした。自分の生活規律はとても胸を張れるようなものではなかった一方で同級生は同じ18歳で横須賀の防衛大学の門を通った後は多くの忍耐が待ち受けていたのだと思います。国を守るために国民の血税で賄われているこの大学ではこれから日本の防衛を守る為に必要な知識や忍耐や正義を学ばなければなりません。漫画のストーリーで常に問われている「防大の中での理不尽」とは事の大小にもよりますが「世の中の理不尽」と同じ種類のものです。「世界の中での理不尽」がまかり通って戦争が起きて非のない人々が殺されます。「なぜ、殺し合いをしなければならないの?」と問いかけても明確な答えはありません。理不尽であっても仕方なくその理不尽を受け入れて最善の努力をするしかないのです。その理不尽さを入学早々から嫌というほど叩き込まれるという内容です。当時の大学生の自分だったら間違いなく逃げ出していたと現在の自分でも確信します。そのような厳しい世界に自ら飛び込んでいった同級生やこれから飛び込みたいと思う次男を見ると「自分とは住む世界や価値観が違うな」と思います。誰でも自分と異なる世界の人間を見ると「決して自分には真似できなくて凄い!」と尊敬してしまいます。相手方の眼差しも多分同様で「同じ命を守る仕事でも、医師の仕事は絶対に俺には向いてない」と思っているのかもしれません。

最初は学費が無料で更に給料まで貰えて勉強もできて資格も取れるという身分で申し分のない待遇で喜んで入学しますが、入学後の「理不尽な扱い」を受けながら同期生と励ましあって同室の先輩とぶつかりながら主人公が少しずつ大人へと成長して行くのですが、全く防衛大学の内部事情を知らない私にとってはこの青桜という漫画を通して僅かですが防衛大学に入学する意味を考えました。そして卒業後に自衛隊幹部になって日本を守り部下を命がけで守るためにはこの二十歳前後の青春の時期に心と体を「理不尽という鞭」で鍛えあげなければならないのかもしれません。まだ次男は興味を持っているだけで本当に受験するかどうかもわかりませんし、偏差値だって60オーバーが必要で今の次男の成績では行けないかもしれません。また「親として本当に防衛大学に行かせたいか?」と聞かれたら自信を持って「行かせたい」とはまだ言えません。国民のために働く自衛隊は尊敬しますが、親心と一般論はまた別の論理でこれからも悩ましい日々が続くでしょう。

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