第1回子供の教育を真剣に考える会で語り合ったこと

8月初旬に第1回子供の教育を真剣に考える会を徳山で開催しました。もう少し早く掲載したかったのですが、夏休みのいろいろなイベントブログがたくさんありまして1か月遅れのアップとなりました。今回は父親として母親として子供を育ててきた、またはこれから育てるための貴重な経験を語りあうプライベートの会で割り勘です。

今回の会は医師とかMRとかの立場は関係なく父親としてまたは母親としてどうやって若しくはどれほど子供と真剣に向き合ってきたかを語り合うことが主眼です。また子供の教育にかける時間と仕事との両立は困難極まるかもしれないけれども、それでもどれだけ子供に愛情を注げたかを語り合いたいと思っていました。私は子育て教育論も当然のことですが、受験関係の情報やその対処の仕方もこの10年間考え実践してきました。そのような受験情報は毎年それも学校によって変わっていきますので日々ネットで調べていかなければなりません。また子供に関与することこそが子供への愛情表現であると信じてやってきました。私は昔ながらの人間ですので気合と根性の世界です。ですからどうしても子供に気合が入っていないと活を入れます。それが時に往復ビンタになることもあります。それが現代社会では受け入れないことは重々承知ですが、それでも現代社会の常識を受け入れることはしませんし今後も受け入れる気もありません。それを教育専門家達が間違っていると言うかもしれませんが、聞く耳を持つ気もありません。それを受け入れるか受け入れないか、どちらが正しいかは今の自分にはわかりません。

一方でこの会に賛同された会員もそれぞれが子育てについて語ります。おかしいと思えば話の途中でも意見や質問が差し込まれます。今回の会は皆さん年齢も育った環境も違う中で仕事という関係では上下関係があり、一方で私との関係では利害関係が発生するのですが、その殻を取っ払ってしまえばただの親父、お袋の教育論を語る会になります。そうすると全く皆が対等に意見を言い合えて非常に建設的な飲み会になりました。世の中を生きていくにはなかなか自分の本音を出すチャンスなんてありません。その意味では今回は非常に貴重な会でした。具体的な内容は個人情報がありますので差し控えますが、大切なことはお金のあるなしや身分地位の関係などの外殻を取っ払って話せば結局最後は人対人になるのです。そしていろいろな条件はありますが、最後はどれだけ子供の事を思うかに行きつくのです。そんなことを語る事こそ青臭いと意見される方もいるかもしれません。ただ今回集まった人間はそういふ風に冷めた人間ではなかったということなのです。そのような考え方を突き詰めていくとそれは個人の子育て教育論にとどまらずに会社の人材育成にも必ず役に立つでしょうし、その結果として売り上げにも繋がっていくのではないかと確信しています。

次の第2回会合は会員の子供さんが私を含めて4名来春に受験を控えていますので、桜が咲く3月頃に開くことを決定して本日の会は散会となりました。

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中学同窓会は5年ぶり~後編~

今回は5年ぶりの中学の同窓会を開いての率直な感想を羅列していきたいと思います。個人名は出しませんが、今回私が再会して印象に強く残った先生や同級生を当時と現在のギャップを添えながら書き出していきます。まずは恩師の中でも強烈な印象を放つのは当時バスケットボール部の顧問の先生で何かあればすぐ手が出る先生でとても恐ろしい先生でしたが、そのような先生に限って卒業してからは他のどの先生よりも人間味にあふれる人物なのです。今回も少しの間お話をさせていただきましたが恐ろしさは全くなく懐かしさが倍増しました。まだまだお元気です。次に卒業時の我々のクラスの担任の先生は高校生になってからもグループでよく家に遊びに行き深夜までトランプでナポレオンをしましたが、60代後半でまだまだお元気です。現在は主婦ならぬ主夫で料理などの家事もバッチリだそうです。出席された先生の中で最年少は我々が中学に入学した時に新任で赴任され最後は私が校医を務めている和田中学の校長をされ定年退職されましたが、それがご縁で現在でも交流が続いています。当時は剣道部の顧問で部員の信頼も厚く当時で言えば「俺は男だ!」の主役の現千葉県知事の森田健作氏を重ね合わせてしまいます。あまり先生に紙面を割くと主役である同級生の事が書けなくなるので恩師はこの辺で終了です。

同級生の一番出世は生徒会長で東大に行って北野オフィスで映画監督兼評論家をされています。いろいろな場所で挨拶をされますが、彼のような生き方は常人ではなかなかできません。小学校から高校までずっと一緒でよく家に遊びに行きました。まだ独身で自分の人生を好きなように楽しんでいるようです。同窓会会長の彼は建築会社専務で立派な社会人ですが、当時は本当にやんちゃ坊主で先生泣かせの人物でした。当時は全く彼と交流はありませんでしたが、何の因果かこの同窓会実行委員会を通して話すようになり当時の話を聞くと度肝を抜かれる逸話の連続です。当時の私の知らない青春時代の一面を披露してくれて今となっては漫才のネタにもなりそうです。もう一人は言わずと知れた副会長の元お相撲さん。彼は地元でちゃんこ屋さんをしていてこの20年来贔屓のお店として私は通っています。また前回は出席できなかったけど今回は出席してくれた同級生が20人くらいはいました。前回は出席したけれども今回は都合で欠席の同級生を含めれば前回と今回で約120名と再会したことになります。そして2回とも欠席ですが、仕事の都合でどうしても参加できないという友人も多数いますので次回の6年後の還暦では仕事や子育てなどある程度人生の区切りの同窓会では多数の参加を期待できるのではないかと思っています。

同窓会が無事終了して安心すると同時に寂しさを感じます。それぞれ同級生の全く違う人生ですが、昨夜の一瞬だけは当時にタイムスリップして童心に帰ることができました。そして今日からまた全く違う人生をそれぞれが歩んでいきます。それでよいのです。日本のどこかでそれぞれ頑張って生きていればまた再会できます。次回の6年後の還暦の2023年8月13日に再会を誓いました。やっぱり中学の思い出は自分にとっては格別です。

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中学同窓会は5年ぶり~前編~

お盆の週の日曜に中学の同窓会を開催しました。5年前に同窓会をして以来です。前回は住所録の作成のための同級生の実家訪問をして行方捜索の案内状などやることはてんこ盛りでかなりハードでしたが、その分同窓会が盛会に終了したときには感無量でした。今回は住所録ができているために前回のようにハードスケジュールではなく余裕で、往復葉書などの印刷をする担当者が一番忙しかったのではないかと思います。前回と今回の2回の経験から開催にあたり住所録作成という情報集めが一番苦労するということがよくわかりました。今年の年賀状でまず同窓会告知してその際に所在不明で返送されてくる年賀は前回から行方知れずになった同級生です。それはラインなどのSNSで当時親しかった同級生に送って探し出します。次に5月の連休前に正式な往復葉書の案内状を一斉発送します。後は待つだけで、結局今回も300人中前回からの行方知れずの同級生がやや増えて約8割の240名に発送して75名が当日出席となりました。また今回の目玉は当時お世話になった御健在の恩師5名お呼びしたことです。前回は最初の開催で先生がいない方が盛り上がるのではと考えてお呼びしませんでしたが、今回お呼びしなかったら次回の6年後にはご高齢の先生の出席が不可能になるのではと危惧されましたので出席していただくことになりました。

同窓会でも小学校は当時の記憶や自分たちがあまりにも幼い年齢のために開催するにはなかなかハードルが高いと思います。高校の同窓会は発起人さえしっかりしていれば一番やりやすいと思います。なぜならある程度大人に近く卒業後も連絡をお互いに取り合うグループがそれぞれ存在していますので住所録も作成しやすいし出席に関しても現在でも交流のある友人が出席すればついでに自分も出席ということになりやすいのです。一方で中学の同窓会は一番厄介です。仲間内でのクラス会なら地元に住んでいる者同士で飲み会を開いて20人程度はすぐに集められます。しかし全体となると地元にいない同級生、商業から工業高校、普通高校、そして一部は就職している同級生もいて現在の就いている職種も本当に多種多様です。言い換えれば当時の同じ地域の同じ年代で仲良く遊んだ友人でも30年も経過すれば職種や考え方の違いに加えて地元に実家もなく物理的な距離の問題もあるためなかなか多くの同級生を呼ぶことは困難なのです。今でもその思いは変わらないのですが、前回の同窓会では300人中8割の方に案内状を送付できて約100名が出席しましたのでやればできるものだと感慨深い思いでした。しかも個人個人の生き方は高校や大学の同窓会と異なってそれぞれ波乱万丈にとんでいます。ただその15歳という同じ時代を生きたというだけで現在の共通点なんて全くない同級生も多くいます。しかし会ってしまえば「お久しぶり、元気だった?今、なにしてんの?」から始まり当時の少年時代にタイムスリップできる本当に面白くもあり不思議な集まりなのです。前置きが長くなりましたので率直な感想は次回のお楽しみに!

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今年の花火

地元で43年前から続く夏祭りでサンフェスタ新南陽があります。広域合併で周南市となった後も毎年8月の第1土曜日に新南陽駅前で開催されます。今年も夕方早くにひとっ風呂浴びてからタオルを首に巻いて駅前の行きつけの焼鳥屋のカウンターで道行く人々を眺めています。少子高齢で子供が少ない県で有名な山口県ですが、このときばかりは幼稚園から高校生までそして若いカップルや幼児を連れた親子連れがホコ天を他の人とぶつからないようにぬうように歩いていきます。「まだまだ富田も捨てたもんじゃないなあ」と生ビールを一気に飲み干してから焼酎のロックをいただきながら道行く人々の人間観察です。

そのうちほろ酔い加減の頭の中でタイムスリップが始まります。中学生の頃ではっきりしませんが、セピア色のフォトがはっきりと脳裏に蘇ってきます。目の前の通りに当時の私が暑い午後のクラブ活動をした帰りに祭りに立ち寄ってジュースを飲んでいます。ちなみに私はバレーボール部でしたが、体育会系のクラブはどの部も顧問の先生も悪いことをした時にはビンタや拳骨は当たり前で挙句には拳で頬を殴られ足で蹴られることも日常茶飯事でした。今の時代から思えば隔世の感がありますが、それはそれで今でも当時の先生は当時としては正しかったと思っています。また当時は地球温暖化という言葉すら存在しませんでしたが、夏のくそ暑い中で水分補給なんてもっての外の根性論が主流で「巨人の星」の世界でした。今の子供たちに「巨人の星」といってもわからないと思いますが、50歳以上の人ならわかる「中年の星」のスパルタ、ド根性物語です。殴られても蹴られてもちゃぶ台をひっくり返されてもひたすら耐えぬいて巨人のエースをつかみ取るという当時の「おしん」物語です。今でも同窓会などで当時の先生と話すと笑って頭を掻きながら照れておられます。おっと話がかなり逸れましたが、そんな8月の暑い土曜日の午後のクラブ活動後に友人と帰り際にジュースやかき氷を食べて帰るという非日常的なワンショットで私の記憶に鮮明に残っています。あたりが夕闇に包まれる頃にはかなり出来上がってきましたが、夜9時からの花火だけは絶対に見逃すことができません。ふらつきながらも帰宅してちょっとの間ですが、仮眠をして午後9時に備えます。昨年までは子供たちを焼鳥屋に連れてきていたのですが、今年は一人飲みです。子供たち4人で来た焼鳥屋の記憶のフォトを見つけると余計に早く酔いが回ってしまったのかもしれません。

夜空に響く花火の音でウトウトしていた夢のはざまの世界から一気に現実に引き戻されます。急いでベランダに出て毎年のことながら花火鑑賞をするのですが、やっぱり今年は家内と二人きりの花火です。長女はテニス部での合宿、長男は大学受験の天王山、次男は佐世保の友人の家にグループで遊びに行っています。花火の音も幾分かは寂しげに聞こえるのは気のせいでしょうか?帰り際に焼鳥屋のおばちゃんが「子供が大きくなったら家族皆で一緒に時を過ごすことが難しくなるので少しでも一緒にいる時を大切にしなさいよ」と言われたのが妙に心に染みながら夏の夜の花火を見上げていました。

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横須賀の防衛大学見学~後編~

前回は自衛隊の存在意義について個人の見解を述べましたが、「百聞は一見に如かず」で防衛大学のオープンキャンパスにやって来ました。まだ次男は中学2年で数年先には希望が変わるかもしれません。我々親が子供と関わる「今がファースト」で大学受験は遥か先ですが、遥か彼方の横須賀までやって来たわけです。まず地理的に防衛大学が三浦半島の先端にあることすら知りませんでした。唯一知っていたのは学費が無料で更に国家公務員で給料が出ること、卒業したら原則自衛隊勤務をすることくらいです。それくらいの全く知識のない状況で防衛大学の正門をくぐりました。梅雨明けしましたが、当日は曇って過ごしやすい1日でした。ピンとした空気が張り詰めて気持ちのよい海風が吹いてきます。

最初に感じたことは防衛大の雰囲気の明るさにびっくりしました。20歳前後の若者ですから当然と言えば当然です。全寮制で朝から晩まで厳しい規律に則って教育や訓練がされていますが、暗さなど微塵も感じられません。講義や訓練などの一般公開も見ましたが、次男は目を皿のようにして食い入っていました。その横顔を見ていると本当に5年後に行くかもしれないこの学校を予め見に来て本当に良かったと思います。そして気の早いことですが、もし入学すれば国家公務員となり厳しい教育訓練を受けて4年後には総理大臣が卒業式に出席され卒業証書授与の後に体育館の天井に向かって白い帽子を投げる姿を想像してしまいました。やはり親バカです。まだまだ先のことで鬼も笑っています。

以前から中学受験で東は奈良県から西は鹿児島県まで10校以上の文化祭や学校説明会に家族旅行の一環としてこの10年で行きました。子育て教育に関わる我が家の一大イベントでした。オープンスクールのみの一瞬ですが、それぞれの学校の校風を見てきたのは今となっては大きな財産です。しかし今回の大学のオープンキャンパスはかなり景色が異なります。まず大学まで親が関与すべきかどうかということですが、国会で話題の憲法改正と自衛隊の海外派遣への関与は送り出す子供の親としては当然考えなければなりません。なぜなら将来子供たちが武器を持って命を懸けて日本国民を守る為に海外に出ていかなければならないかもしれないからです。現時点で次男が自衛隊に興味を示して防衛大学に行きたがっているのを「危険だからダメ」と親として簡単に言う事はできません。数年すると考えが180度変わるかもしれません。変わることは決して悪いことではなく、その変遷の過程でその時々に直面した課題を逃げずにしっかりと解決していくことこそが子供への親の関与だと考えています。ですから今回の防衛大学のオープンキャンパス見学は3年後の次男が高校生の夏に行くよりも早めに防衛大学生の目の輝きをこの目で確かめたかったのです。子育ても残り56年で終了するところまでやってきました。親として悔いのないように邁進したいと思っています。今回の掲載写真は防衛大学を象徴する建物と防衛大学生が一斉に昼食をとる大ホールです。一度に2000人近くが一斉に集まるのですからだだっ広く私を含めて入ってくる見学者皆が一様にその広さに驚いていました。

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