横須賀の防衛大学見学~前編~

以前から次男は自衛隊に興味を持っています。昔は航空自衛隊のパイロットになることが夢でした。しかし視力が悪く現時点ではレーシック手術がパイロットに認められていないため、いつの間にか海上自衛隊に興味が変わってきました。また以前から毎年の防衛省から発刊される防衛白書を買って目を皿のようにして読んでいます。ですからこと日本の防衛事情に関してはかなり詳しくその姿は今世間をお騒がせの防衛大臣がご覧になられたら感極まり号泣して喜ばれるかもしれません。そして週末にたまに帰省した時は小学時代の友人とスカイプで艦コレゲームにはまっています。現在憲法論議で日本を守る自衛隊は違憲だという憲法学者がいるのですが、個人的には国を守る人々を国が守らないのであれば積極的に憲法を変えるべきだと思います。戦争するのではなく自衛だから問題ないはずですが、その線引きが困難だと彼らは言いたいのでしょうが、それでも自衛隊の方々のご苦労を察すれば早急に安倍総理に解決していただかなければいけない問題だと思います。そのように強く思い始めたのは、将来の次男が本当に自衛隊に入隊するかは別にしても現在日本のために海外の危険地域で活動されている自衛隊員やそのご家族の心情を考慮すればその献身的な気持ちに対して日本国憲法は平等にその地位や役割を認めなければならないと思うのです。一方的に個人的な意見を述べましたが、かつての日本のように自ら戦争をしかけることと自衛のために戦うことは明らかに異なります。現在の緊張した朝鮮半島事情や世界情勢からみれば自国の平和を維持するには自衛は避けて通れないと思います。繰り返しますが、戦争という過ちは二度と繰り返してはなりません。しかし自衛隊はしっかりと日本国民が認めてあげなければなりません。将来、本当に争いのない世界がくれば憲法第9条なんて不要なのです。しかし生き物の中で一番高等で賢いと勘違いしている人間こそ一番欲深く嫉妬深い生き物ですので決して9条がなくなることはないと思います。

今年の5月の憲法記念日に合わせて安倍総理が憲法改正について9条の1、2項はそのままにして3項目に自衛隊について1行付け加えたいと言われました。世論調査でも約半分が賛成しています。しかし逆に言えば半分は賛成してないわけです。自衛隊は違憲で廃止せよとどこかの党がかつて言っていましたが、流石に現在の複雑な世界情勢と現に存在する自衛隊を解散させるわけにもいかずに最近の流れとして存在自体は認める現実路線に舵を切っていますが、それでも加憲には反対しています。どこで線を引くかはとても重要なことはわかります。そしてその線まではどんどん拡大解釈してきた戦後の与党の進め方にも問題はあったと思います。その最たるものが第二次世界大戦だったわけですから憲法改正絶対反対と唱えるのも理解できます。それを考慮しても我々を守るために自衛以外にも災害があれば危険を顧みずに真っ先に助けに来てくれる頼もしい存在です。そのような自衛隊に次男は憧れを持っているわけです。親としてはどうしてもこの目で防衛大学を見に行かなければならないと思い今回のオープンキャンパスに参加しました。詳細は次回に。

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「子供の教育を真剣に考える会」発足

先日、本日のタイトルである「子供の教育を真剣に考える会」を私的ながら発足させました。なぜこのような会が発足したかという経緯を簡単に説明します。私はあまり製薬会社の方とは利害関係が絡むため交流しないようにしています。最近は接待も非常に厳しくなり私が医師になった30年前とは雲泥の差です。そのような理由から18年前にこの新しい診療所をリニューアルオープンした時に製薬メーカーのMRさんとその会社の学術部門の方でペアを組み製薬会社対抗ディベート大会を年に2回程度開催していました。最初は大いに盛り上がり5年程度続けたのですが、マンネリ化してきたこととやはり売ってなんぼの世界ですのでどうしても利益誘導に繋がって本来の「相手と自分が切磋琢磨してお互いに賢くなる」というギブ&テイクが維持できなくなったことが原因でやめました。もう一つの大きな理由はやはり医師である自分が司会をして仕切らなければならないので、公平に判定をするには製薬会社のディベーター以上に私自身が勉強しなければならずに自分の負担がかなり増して限界に来ていたのも事実でした。そんなこんなで結局10年前にやめましてそれからは製薬会社の方がいらして薬のセールスはされるものの学問的に話す機会はなくなりました。そしてMRさんもサラリーマンですから転勤で交代していきますが、当時一緒に頑張ってきMRさんには転勤の際に「偉くなったらまた必ず来てください」と約束して今日に至ります。

当時の山口県の所長は広島の支店長に昇進され、課長だったMRさんは所長になって戻ってくる年代になってきました。今回当時一緒に勉強させてもらったMRさんと学術さんがいて10年ぶりに山口県の所長として当時の学術さんと一緒に挨拶に来られたのです。転勤されて10年ぶりの再会です。また同期の所長と部下のMRさんも連れて4人での来院となりました。あの頃のように薬に関して勉強するパワーが今の自分にないことは自分でよく理解していますので、寧ろ私の方が今回の再会には躊躇していました。いざ会えばお久しぶりと会話が弾んでいくのですが、なにせ少し引き気味の私ですので相手の出方を伺いながら「あの頃はお互いにがんばりましたね」とたわいもない無難な会話で時間が過ぎていきます。「なんとなくやばいな」という気持ちがもたげてきたので正直に「自分も歳もくってこの10年の優先順位としては仕事と同等に受験に伴う子育ても最重要課題で突っ走ってきたという旨を話しました。私はいつも迷った時は正攻法でぶつかるようにしてそれで散れば仕方なしと思っています。すると10年来のMRさんで今は山口の所長となり偉くなっていますが、実は単身赴任で子供さんが近畿の中学受験予定の小学6年生とのこと。私は受験関連にはかなり詳しいので、近畿の受験校や塾までドンピシャ当たりです。すると隣の所長さんが「実はうちは千葉の高校受験で」と切り出され、学術さんは大学受験を終えた子供さんでしたが昔の苦労話になりました。そのご縁で意気投合して仕事上の利害関係とは全く関係のない「子供の教育を真剣に考える会」が発足して8月に第1回会合です。

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海の日があれば山の日、昭和の日があれば平成の日?

今年も暑い夏がやって来ました。昨年から8月11日に山の日が制定され祝日が増えましたが、昨年はその休みを利用して盆休みを長めに取ってハワイ島の叔母さんと従姉に会ってきました。医療機関のように日曜や祝日のみ休診をして盆と正月に気持ちだけ長めに休診させていただくような業種では国民の祝日を増やしていただくと非常にありがたく思います。以前4月29日の昭和天皇誕生日が廃止されるかと思いきや一時的に緑の日に変更され後に昭和の日として残されました。そのためこれからもゴールデンウィークの1週間を国民が有効に使って休めるようになりました。山の日も盆休みの始まりとしては最適な好位置にあります。赤日しか取れなかった医療機関などでは少しでも長く盆休みを取得するには取りやすい日にちの並びとなりました。海の日があるから山の日なのでしょうが、それとは別に山の日の翌日の8月12日は御巣鷹山で1985年に史上最悪の日航ジャンボ機墜落事故の追悼の日です。当時私は大学生でその2週間前に生まれて初めて飛行機に乗って感動した矢先でしたのでその墜落は自分にとって非常にショックでした。8月には広島や長崎の原爆投下や終戦日など国民が決して忘れてはいけない日が多くありますが、この日も未来永劫忘れてはいけない日だと思っています。

再来年に天皇陛下が退位され新しい元号になります。すると12月23日の祝日は消滅してしまうのでしょうか?私たち医療機関にはあまり関係ありませんが、クリスマス商戦真っただ中の業界では残してほしい特異日ではないかと思います。少し外国に長く住んだことがある方ならわかると思いますが、そのあたりからクリスマスをはさんで年末年始休暇を含めて10日近くの長期休暇を外国企業は取ることも多いのです。日本でも平成天皇誕生日がきっかけとなり長めの冬休みを取得する方も出てきました。しかしほんの一握りの人々だけです。我々業界などではあり得ない話です。よってこのまま平成の日として残していただく方が少なくとも消滅させるよりは良いと思います。プレミアムフライデーなるわけのわからないノー残業デーを作るくらいならよほど消費効果があると思っているのは私だけでしょうか?新しい元号の命名はわかりませんが、皇太子殿下の誕生日は2月23日ですので、2月11日の建国記念日とは12日違いで曜日も重ならず素人の私が言うのもおこがましいのですが、配置的にも良いと思います。大胆な言い方をすれば働きバチに喩えられて過労死をしてしまう日本人に「もっと休めよ」と国家が言っても利益を追求する資本主義国であり続ける限り不可能に決まっています。それなら国民の祝日を増やすことが手っ取り早いのです。それでも小売りなどのサービス業種は休めません。問題は山積です。

小中学生の長い夏休みは宿題に追われて苦痛であまりありがたく思いませんでした。大学生の長すぎる春休みは退屈でもありました。社会人になっても学校の先生は子供と一緒で長い夏休みがあって羨ましく思っていましたがそれは勘違いでした。そのような長い休みが取れなくなって初めてその貴重な日々を今になって羨ましく思ってしまいます。

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長男最後の運動会

大学生の長女の運動会を幼稚園から観戦してようやく高校で終了したと感慨深く思いきや次は長男の運動会が先週末に開催されてこれで終わってしまいました。4月には次男の運動会を観戦して思いをこのブログに記しましたが、毎日の学校生活や日常は寮生活で離れてしまうと何をしているかは全くわかりません。しかし1年ごとの運動会という定点観測をプロットしていくと間違いなく右肩上がりに身長が伸びていくように子供の後ろ姿がどんどんたくましくなっていきます。勿論、徒競走もしっかりとした走り方になりスピードも速くもう私たち親を今にも追い抜いていきそうです。他の学年の競技も工夫がされて見応え十分なのですが、他人様の子供の競技中でも自分の息子は今どこにいるのだろうと競技会場や観客席をついつい探して望遠ビデオを回してしまいます。

昼休みの休憩中に応援合戦が始まりますが、これは高校2年までが事前に練習準備しますのでお客様参加の高3は参加しません。そして毎年恒例の最終フィナーレを飾る午後の高校3年生の全員参加の名物のクラス対抗リレーが始まります。クラスごとに男女が力を合わせて一つのバトンをつなぎます。毎年観戦していますが、小学1年の頃のあの拙い走りと比較して今はとても立派に走り抜けていく姿を観ますと63312年一所懸命に子育てをしてきて本当に良かったなあとしみじみ思います。そして父兄や生徒の歓声が会場内をいっぱいに包み込みアンカーがゴールに飛び込みます。

全ての競技が終了して閉会式へと進んで校歌を歌いますが、歌詞はあまり覚えていませんので口ずさむ程度でしか歌えません。それでも「これで姉ちゃんの中1の運動会から始まり足掛け10年、広島通いの運動会もこれで最後か」と思うと更に感慨深くなります。長女の中1の最初の運動会は校庭で行われました。しかも雨天順延で月曜日に変更となり私は仕事がありましたので観戦できませんでした。中2からは現在の雨天でも快適にできる広島サンプラザのアリーナに変更されましたので、雨天順延を気にせずにずっと観戦してきました。それも今回が最後ということでもうこの会場に足を運ぶことはユーミンのコンサートでもない限りほぼないでしょう。

時は流れて子供はどんどん成長して親のたもとから離れていきます。次男の運動会観戦も後3回限りです。「柱のキズはおととしの55日の背比べ」という童謡がありますが、このように毎年定点プロットをして子供の成長の軌跡を追っていくとそれで一つの子供史ができあがります。その付属資料として毎回のビデオはしっかりとPCのホルダーに保存して壊れても消失しないようにバックアップを複数とっています。そしていつかは必ず見返そうと思っているのですが、なかなか見返すことができません。多分、そのビデオを見る時は子供たちが成人して結婚などの大きなイベントがある時ではないかと思っています。しかし子供たちの走る姿を記録として残すよりもこの目に焼き付けて頭に記憶として保存しておく方がいつでもすぐに取り出すことができて便利だと思います。

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天皇陛下の退位について思う

先月の通常国会で天皇陛下の退位に関する皇室典範特例法が改正されて自由党を除く全ての与野党で合意可決されました。一方でテロ等準備罪は与野党が全く相容れずに委員会採決を省略して強行採決で可決されました。東京オリンピックを控えて与党が数の力で必ず可決可能とは言えちょっとやり過ぎではと思います。今回の特例法は国民の誰もが昨年の天皇陛下の思いをビデオメッセージで見て世論も後押しして国会議員も「急がなきゃ、でも粛々淡々と静かに」という気持ちで議論を進められました。一般国民としては陛下だって人間で人権がありご高齢による退位を日本国憲法によって縛られるべきではないという世論が大勢を占めたからなのでしょう。日本という国は天皇制を維持していますが、国家の維持には素晴らしいシステムだと個人的には思います。しかし第三者のよからぬ者がうまくその天皇制を利用して一旦歯車が狂い始めると過去には戦争へと向かわせてしまいました。そのために天皇は国の象徴になったのですが、その象徴でも引き際はあるのではないかと思います。今回はその議論だったわけで国民の代表である国会議員がしっかりと迅速に決めていただいて本当に良かったと思います。「他の法案も全会一致で可決されればもっと良い国になるのに」と思っているのは私だけでしょうか?ただ今回は一代限りの特例法であるため野党が主張する皇室典範の改正と女性宮家の創設に関してはこれを機に更に議論を継続して国民の皆が賛成できるように全会一致で将来可決してほしいものです。

さて実際にはいつ元号が変わるのかということが最大の関心事ですが、早速カレンダー業界から再来年の平成31年1月1日なら遅くとも平成30年初頭には告知してほしいとの要望が出されました。もっともなことで我々は日常生活で元号に慣れ親しめば親しむほど新元号に変わっても「旧元号では何年?」と換算してしまいます。今年が昭和92年と今でも高齢者で昭和一桁の患者さんの年齢を換算するときには使ってしまいます。また新元号になってもついつい古い元号で平成31年と書いてしまい書類を書き直すことが数か月は続きそうです。それなら西暦に統一すればいいのですが、頭では理解していてもなかなか心情的には全てを西暦に移行することはできません。それが過去から今日に至るまで天皇陛下を中心として栄えてきた国家の証だと思うのです。年月日の印鑑もそろそろ朽ちてきたので買い換えようかと思ってもあと1年ならどうにか使い潰そうとも考えてしまいます。また昭和天皇誕生日の4月29日が一旦緑の日に変更されその後昭和の日として記念日として残されました。ゴールデンウィークにはかかせません。12月23日も平成の日として残されるのでしょうか?クリスマス期間の催しとして消費の拡大を図るには政府として残したらどうでしょう。次の2月の天皇誕生日を新たに加えて歴代天皇陛下の誕生日をある程度残して働き過ぎの国民に少しでも休息を強制的に取らせた方がよいのかもしれません。いずれにせよ平成天皇もお人柄は素晴らしい方で上皇になられてもお元気で日本国民を見守り続けられることを願っています。

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