山口弁ってぶち好きじゃろ!

先日、NHKの夕方の山口県の地方ニュース番組の特集で山口弁を取り上げていました。じゃから、じゃけえ、幸せます、ご無礼しました、えらい、のんた、ぶり、ぶち、ちょるなどあげればきりがありません。

私が大学生になり初めて山口から東京に出たとき、まず東京弁若者版と言っていいのか標準語と言った方がいいのかわかりませんが、友人と話す言葉と言葉の流れに合わせることが大変でした。「だからサー、今言ったことだけどサー、とってもサー、難しいとサー、思うんだよね」というように語句の終わりにサーがついていました。なかなか「サー、サー言葉」についていけませんでした。これを山口弁に直せば「じゃから(じゃけえ)、今ゆうたことは、ぶち(ぶり)えらいと思うんじゃけど」といった感じでしょうか。これを聞いた東京育ちの同級生は目を丸くして「今サー、何て言ったの?」という反応でした。山口弁はまだ標準語に近かったらしいのですが、最初の頃は苦労しました。疲れるとつい「えらい」と口走りますが、それが周囲にはいつまでたっても通じません。「なんでサー、お前が偉人なの?」って感じです。しかし半年もたって田舎に戻った時はいつの間にか自分も「サー、サー言葉」になっていました。若いということは順応性が早いのですね。

今回の視聴者からの投稿で「・・・・幸せます」という言葉が美しい山口弁だと言われていましたが、本当にそうだと思いました。「・・・していただけたら幸いです」という文句はよく使いますが、それをもう少しいじって「・・・・していただけたら幸せます」という言葉をこれからは使ってみたいと思います。やっぱり「しあわせ」という言葉の響きの方が「さいわい」という響きより更にパワーアップされているように思えます。

人種のるつぼである大都会東京に出て、ふとした会話で「もしかして山口の人?」って聞かれた時の嬉しさも感慨深いものがありました。その場合は、「自分は都会に住んでもう何十年にもなるけど、親が山口県に今でも住んでいます」とか「お墓は山口県にあるのですが、もう実家は山口にはないから戻ることってほとんどないんだよねえ」というようなパターンが多かったのですが、「故郷は離れて初めて懐かしくなる」のですよね。今はどっぷり山口県人をしていますのでなかなかその境地に達することはできませんが、今回の同窓会で山口県に住んでない同級生は皆同じようなことを言っていました。やはり帰れる故郷があるのとないのとでは全然違いますよね。

今回のNHKの方言特集は山口県でしか見ることができなかったのですが、何かの機会にネットなどを通じて視聴できたらいいんじゃないかなあって思います。見たい時に検索して見るのがネットのいいところなのですから。年に34回は仕事絡みで上京しますが、その時は自分では気づいてないだけでバリバリの山口弁を話しているはずです。聞いている人も意味不明の語彙もあると思います。しかし山口県人として誇りをもった方言ですのでこれからも胸をはって使っていこうと思っています。

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インフルエンザ予防接種

今年もインフルエンザ予防接種の季節になりました。昨年までは周南市のインフルエンザ予防接種の65歳以上の公費補助は11月からでした。周辺の市町村では10月から開始したところも多く足並みの乱れがありました。そのように自治体ごとで異なるルールは医療機関にとってはとても厄介です。今回はそれをふまえて開始日を統一したことは喜ばしいことです。価格についても補助金額が自治体ごとに異なります。勿論、価格協定を結ぶ、つまり独占禁止法に違反するカルテルにあたる可能性もあり、なかなか難しい問題だと思います。しかし医療自体が公的負担と自己負担でセットなわけですから、予防接種の価格も一律にした方が望ましいと個人的には思っています。

今年は10月から開始と書きましたが、現実的には101日にいの一番に接種を希望される方はまずいらっしゃいません。なぜならインフルエンザが流行するのは早くとも12月中旬以後で、一般的には正月明けの民族大移動の後からです。そして春一番の吹く頃までにピークを迎えます。流行はA型が主体です。A型には香港やソ連型、そして3年前に大騒ぎをした新型(現在では2年以上経過したため新型とは言いません)などがあります。そしてスギ花粉症のピークが過ぎて終わる頃に小学校や幼稚園でB型インフルエンザが一部流行します。そして桜が咲いて散る4月中下旬には終了というのが定番です。

ではいつ予防接種をするのがベストか?ということになります。一般的に予防接種の有効期間は45か月程度と言われていて抗体ができるまでに約24週間かかりますので、11月下旬までに接種すれば間に合います。しかしその頃はインフルエンザ以外にも普通の風邪や嘔吐下痢症なども流行し始めます。一度体調を崩すと12週間は予防接種のタイミングを逸してしまいますので、体調がよければ10月中旬から11月中旬までに接種するのも全く問題ありません。早めの接種をお勧めします。

では、インフルエンザにかかってしまったらどうするか。その場合はタミフルという内服薬もしくはリレンザという吸入薬を使用して安静にして5日程度休養することです。学生ならまだしも、世の中の働くお父さんは自分も含めて「そんなに休めないよ!そんなに休んだらクビだって言われてしまうよ。おまんまの食い上げだ!」という声も聞こえてきます。全くその通りです。しかしこのような風潮は欧米人とは異なった日本人の考え方でもあり、国民性の問題も関係していますので、あえてコメントはしません。ただ外国の一部ではタミフルなども使用せずに自然治癒に任せるという考え方もあるようです。全部ではありません。またタミフルなどの使用量は日本がダントツだそうです。1日でも早く治して仕事をして社会に貢献するという日本人魂はやはり健在のようですね。「狭いにっぽん、そんなに急いでどこへ行く?」という交通事故予防の標語が以前に一世風靡しましたが、本当にその通りだと思います。勤勉な国民性は素晴らしいのですが、その他の部分でかなりほころびがきているように思うのは私だけでしょうか?

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山崎八幡宮の秋祭り

先日、少しですが山崎八幡宮の秋祭りを話題にしました。今回はそのお祭りについて掘り下げてお話してみたいと思いますが、いつもの如くDr椎木のさらさら日記ですので他よりは少し異なった視点から覗いてみたいと思います。

山崎八幡宮 秋祭り山崎八幡宮は先日の同窓会をした富田中学校のちょうど裏手にあります。その山の頂上が夏祭りで花火を打ち上げた永源山公園になるわけです。ですからたくさんの思い出があります。まず一番の思い出は小学校のときには歩いて行ける距離で遠足の定番でした。中学ではクラブ活動の一環で基礎体力の強化と称して八幡様のふもとから頂上まで走らされるのです。これが急な山道で結構きつくて、当時のクラブの顧問の先生が鬼のように恐ろしい存在でした(今は仏のように優しくなられた先生もいらっしゃいますが)ので、山口弁でえらい(きつい)けれどもやらされていたというのが本音でしょう。でも今となってはよき思い出です。またこの富田地区の神社なわけですから、お正月には初詣に繰り出します。毎日中学校の登下校で神社を眺めながら、時節の節目にも登場してくるわけです。

さてその山崎八幡宮には、毎年春と秋にお祭りがあり秋の方が盛大です。その秋祭りが先日の運動会のブログで話題にした9月の第4週目の土日にあるのです。昔は神社の境内に上がる石段まで中学校を横目に見ながらおよそ200mの真っ直ぐに延びた道路にはいろいろな露店が所狭しと並んでいました。しかし現在は不況のせいかまたは時代のせいか詳細は不明ですが、ちらほら隙間が空いて寂しくも見えます。

山崎八幡宮 秋祭り祭りのメインイベントは爺婆山、本山の山車(ダシ)を小高い境内までの坂を綱で地元の若い衆がひきあげて、それをふもとまで突き落とすのです。その山車は釘など一切使わずカズラで固定します。そして落ちた山車の傾きによって豊凶を占います。「秋の日はつるべ落とし」と言いますが、まさに秋の夕暮で西の空は朱色に染まり、少し朱色の上の方のキャンバスが真っ黒に塗りたくられる頃からこの催しが始まります。皆まだかまだかと少し肌寒く感じる秋の夜長を待っています。ピンと張りつめた冷たい空気の中に「トン、トン、トン、トン、トン」と祭り太鼓が響いています。一刻の時間が経過してどっぷりと日も暮れあたりが暗闇と変わる中、この祭事はクライマックスを迎えます。一度でも見たことのある方はあの場面が脳裏に蘇ることでしょう。もし今までに見たことがなければ、ネットのYou Tubeでビデオ録画も見ることができます。本当に便利になったものです。

この祭りが終わる頃には、秋本番を迎えます。もう3か月もすればまたひとつ歳をとってしまいます。最近は本当に時間の経つのが早く感じるのは私だけでしょうか?山車が坂を駆け落ちていくように自分の歳もみるみる増えていきます。「今年やり残したことがあったので、来年にまわそう」なんて思っていたらきりがありません。「今日できることは必ず今日中にやる。昨日はもう戻って来ないけど、明日はまだやって来ない。だから今日1日を一生懸命にがんばる!」をモットーに明日からもがんばりたいと思います。

山崎八幡宮 秋祭り

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運動会までの道のり

宮田東小学校運動会またまた運動会。今回は小学校の運動会当日とそれまでの途中経過も一緒に書いてみたいと思います。まだまだ残暑の残る暑い季節ですが、夏休みが終わると子供たちは運動会までの残り少ない日々を運動会の練習で明け暮れます。我々が小学生の頃は以前にも書いた通り10月初旬でしたので2学期が始まってもまだまだ練習に余裕がありました。しかし今の小学生はさあ大変!毎年9月の第1週目の週末が高校の運動会で、第2週目の週末が中学とくれば第3週目の週末が小学校の運動会なのです。なぜならこの富田地区は昔から9月の第4週目の週末に地元の山崎八幡宮の秋祭りが開催されるからです。このお祭りは五穀豊穣を祈願して、八幡様の小高い境内から爺さん人形の乗った山車と婆さん人形の乗った山車をふもとに転がして突き落とすというちょっと変わった伝統行事なのです。山車と言っても重さも1トン近くで、大きさもコンテナ1個分くらいあります。地元に住んでいた人は遠く離れていても「ああ、あれね!懐かしいなあ」と思い出すはず。この行事は1702年から始まり長い伝統がありますので、小学校の運動会などの行事は避けなければならないのです。ですから他の地区の小学校の運動会はこの地区より1週間程度は遅いと思います。特に今年のように1日が第1土曜で22日が第4土曜の場合、必然的に15日の土曜しか小学校の運動会の選択肢が残りません。毎年9月の第3土曜日が運動会のため秋雨前線で1日順延になって日曜にずれればいいのにと週間天気予報を眺めて1週間前から雨マークを不謹慎にも探しているのは私だけでしょうか?

9月初旬、夏休みが終わると先生も生徒も授業時間だけでは到底足りませんので放課後も使って準備にいそしみます。組体操など難関な競技種目は夏休み前から練習しているようです。なんでもそうですが、準備しながら「ああでもない」とか「こうでもない」としている時が結構楽しいものです。勿論夏の暑い最中に練習するのですからつらいこともありますが、いざ本番となると時は一気に駆け抜けて一瞬の如く終わってしまいます。あとで振り返ると運動会の思い出のワンショットは脳裏にしっかりと焼き付いていますが、ビデオのように流れる記憶の光景はその当日の映像だけではないと思います。

さあ、本番当日。朝は曇りがちでしたが、その後はお日様も顔を出して晴天の運動会日和となりました。昨年同様、朝の6時の運動会開催の合図の花火とともに親達の陣取り合戦の徒競走で幕開けです。今年は末っ子だけの運動会で通常の土曜日のため午前中は診療所で仕事です。外はまだまだ暑いのでクーラーをかけて窓は閉め切ったままですが、外から運動会のバックミュージックがかすかに流れこんできます。今年は午前中の競技を見に行けず、午後の綱引きしか見ることができませんでした。親として運動会を毎年見ながら子供の成長を年ごとに感じとります。私にとりまだ3回も成長を見届けるチャンスが残っています。今から来年の暦をめくりながら「来年の運動会の日にちと曜日の並びはいいな」などとひそかに喜んだりしています。

宮田東小学校運動会

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アメリカ学会から今日まで「言語は人類最大の発明だ!」 ~最終編~

前回の続き「言語は人類最大の発明だ!」についての最終編に入りましょう。

勤務医をしているうちはなかなか自分の思うように時間がやりくりできません。良くも悪くもサラリーマンならではの悩みの種ですよね。しかし診療所を継承して一国一城の主になると24時間中仕事とプライベートが完全に分離できない分、仕事中でもやり方次第では個人的なこともできます。今回の同窓会企画でも「なぜ同窓会が成功できたか?」といえば、地元の同級生の熱意に勝るものはありません。しかし私を含めて会長、副会長3人の共通点は皆ある意味自営業であり、自分の時間が自分の努力でやりくりできるのです。24時間営業の面はあるものの固定した時間にしばられなかったことが、お互いに有効に時間を使って同窓会の準備ができたのだと確信しています。どちらも一長一短ですね。

おっと、話がそれてしまいました。本題に戻りましょう。やはり勤務医生活で英会話を習得するなら、今では存在しませんが、駅前のNOVAに行くくらいでしょうか。当時はそれすら時間がありませんでした。しかし自営業になると自分で努力した分、仕事でも遊びでも何でも結果を残せるのです。ということは自営業になって初めてわかりました。勤務医の頭では理解できても診療所を経営して身をもって理解しました。英会話も同じです。自営業になってから本格的に始めました。始めたと言っても現実は長女に「これからの時代には英会話くらいはできないと」というよくある親バカ心で子供英会話スクールに通わせ始めたのが10年前で長女が小学生に上がる直前でした。そこで大人の英会話コースというものを目にして「これだあ!」とビビッときて始めたのがきっかけです。親が子供の塾の送り迎えのついでに英会話を始めたのです。それから2-3年は月に2回~4回コースで1年ごとに派遣されるネイティブの英会話講師が皆20歳前半の大学卒業後の女性です。その彼女たちと今でもメールのやりとりがあるわけです。その中の1人が去年のブログにも登場したアメリカの大学院で日本文化を更に勉強している彼女なわけです。現在、私は英会話スクールには行かずに、2年前から毎朝ネットでNHKの「ニュースで英会話」を聞いています。最近やっとネイティブの発音が聞き取りやすくなってきたかな?です。やっぱり「継続は力なり」だと思います。しかしスピーキングはまだからっきしダメです。このスピーキングをこれからどうやっていこうかと現在思案しているところです。

その私のひとつの目標が到達できそうになったら3回目のイギリスに出発したいと思っています。夢はみるものではなく持ち続けて実現するもの!目標はその夢を追いかける一里塚であり、通過点だと思っています。「今は夢や目標なんてないしそんな余裕なんてないよ」という声も聞こえてきそうです。そんな時期もあります。しかし持ちたくなったら持つものが夢。それまで保留でいいのです。目標は何でもいいのです、小さくてもいいのです、何か目標があればがんばれることってたくさんありますよね。そしてその先にはまだ見えないけれども夢がある。一生追い続けていく夢がある。それって最高ですよね!

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