夜間高血圧

最近めっきり朝晩冷え込んできました。この時期になると血圧も上昇してきます。以前に早朝高血圧のお話をしましたが、夜間高血圧というのもあります。これは夜間の血圧が高く、昼間より高い場合は非常に病気を起こしやすいといわれています。夜間高血圧を発見するには24時間ホルター血圧計が必要です。当院ではその検査を実施していますが、実際にはつけると夜間睡眠中も1時間に2回程度は血圧測定のため腕が締め付けられるため十分に安眠できず、普段よりも更に夜間の血圧が上がる患者さんもいらっしゃいます。

なぜ夜間高血圧が悪いかといいますと、人間は寝なければ死んでしまいます。寝るといっても現代の24時間コンビニ時代や大企業の3交代勤務の方は昼夜逆転している場合も珍しくありません。「24時間戦えますか?」という栄養ドリンクのCMが過去に流行しましたが、一晩だけの徹夜ならまだしも毎晩では耐えられません。体も一緒です。夜は心臓も腎臓もその他臓器の皆さん休みたいわけです。しかし高血圧があると夜間に休みたい時も心臓、腎臓など臓器が血圧の高い分だけ昼間と同じようにせっせと余分に働かなければならなくなります。昼間だけでは仕事しきれない場合は、世のお父さんは残業します。本当は早く帰りたいけど帰れないわけです。夜間高血圧も同じです。昼間にやり残したことを皆が寝静まった夜に残業してせっせとこなすわけです。翌朝、徹夜したからといって代休にはなりません。なんか現在の病院医師の救急勤務体制と同じようです。また朝からは通常の日常業務が待っています。体の中でも同じことが起こっているわけです。体がオーバーワークになり病気になるわけです。そしてそれが続くと運が悪い場合は過労死で倒れかねないわけです。夜間高血圧は自分では測定不能です。寝ているときの血圧ですから、検査でしかわかりません。しかし、夜寝る前の血圧と朝起床時の血圧を家庭血圧計で測定して見せていただければ、ある程度予測はつきます。つまり朝晩の血圧が高い患者さんは夜寝ているときも血圧は高いに違いないということは容易に推測できるわけです。このような患者さんの場合は昼間に高い血圧の患者さん以上に積極的に降圧剤を服用して徹底的に血圧を下げて、夜間は体の臓器を休ませてあげなければなりません。そうしないといずれ体が破たんして脳卒中や心筋梗塞などを起こしてしまうからです。将来、臓器が破たんしないように今から治療していくわけです。

このような話をしていると「将来の子供たちに現在のつけを残すわけにはいかない!」と総理大臣がおっしゃっている社会保障制度、年金制度、医療制度の一体改革と消費税率引き上げの話にも相通じる部分がありますね。しかし一方では「今は瀕死の状態で輸血が必要なときに献血するなんて、もってのほかだ!」という意見も同時に聞こえてきます。それも納得です。ということは、医師も政治家も目指すべき道の根本は一緒だということでしょうか。話は逸れましたが、夜間高血圧は放置できません。しっかり治療しないとどこかの国と同じように財政破たんして後戻りがきかなくなります。

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「世界に一つだけの花」と「世界で一番きれいな花」どっちが好きですか?

先日、この30年間に日本で最も聴かれて歌われた曲トップ10の発表がありました。つまり日本人に一番親しまれた曲ということになります。30年間という長期のロングランですからトップは美空ひばりさんや昔からの往年の曲かなあと思いました。結果は予想外でしたが、後から考えれば納得です。それが今回のタイトルであるSMAPの「世界に一つだけの花」でした。皆さんもニュースでご存じかもしれませんね。

ところでこの「世界に一つだけの花」はカラオケ以外にもいろいろな場面で登場してきます。例えば、昨年の事業仕分けで「ナンバー1でなくてナンバー2でもいいのではないか」と某国会議員が発言して物議を醸しだしたことは記憶に新しいことと思います。また良いか悪いかは別として、「ゆとり教育」という御旗の元、子供の個性を引き出すことができれば、運動会での徒競走や通知表に順位をつけなくてもいい?などとさまざまな問題まで波及しているように思えます。

まず「ナンバー1かオンリー1か」という命題は人間が生きていくいろんな場面で使い分けていかなければならないのではないでしょうか。一律に「こっちが正しく、あっちは間違い」などと発言するとブログ炎上にあうでしょう。人間が他の動物と異なるところは脳が発達して「感情をもつ動物」なのです。また人間を含めて生きている動物は全てにおいて「戦う本脳をもつ動物」でもあります。アフリカの草原にポツンと1人で立っていたら生きるか死ぬかの弱肉強食の世界が待っているわけです。何万年もの昔から2本足で立ち始めて脳が発達したからこそ、「オンリー1がいい」もしくは「オンリー1でいい」と意味は若干異なりますが、このような議論になるのではないかと思うのです。だから人生の難局に立たされて、ここぞと火事場の馬鹿力を発揮させなければならないときは、何が何でもナンバー1を目指さなければならないでしょう。周囲と協調しながら事を進めなければならないときには「俺が一番!」とナンバー1を追及すると協議は破たんするだけです。そこで今度はオンリー1の登場です。いつもトップを目指していると疲れちゃいます。そのような人生の場面では、「個性があればナンバー1でなくてもいい」という考え方も芽生えてきます。人はそれぞれ長所をもっているし、その長所を伸ばしてあげることも大切です。とかっこいいことを書いていますが、「一番身近な存在である自分の子供の長所をあなたは本当に伸ばすことができますか?」と質問されたら答えに窮してしまいます。

「ナンバー1かオンリー1か」というテーマに正答などなく、「どちらも正しい」が正解だと私は思っています。人生で直面する場面局面で間違わずに使いこなせればという条件付きですが。「今の自分はどっち?」と聞かれたら、間違いなく「ナンバー1ではなくオンリー1」と答えるでしょう。そこで勝手な造語ですが、自分にとってのベストな選択は「ナンリー1が一番」だと思っています。オンリーとナンバーの掛け合わせの造語です。素晴らしい歌詞と曲をSMAPが歌ったから一番になったのだと改めて納得しました。

Shingo Nobuhara

ⓒShingo Nobuhara

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文化祭今昔物語

文化祭という言葉の響きに皆さんは何を感じとりますか?先日長女と長男の学校で文化祭がありましたので今回は文化祭を中心に今昔物語をお話しましょう。文化祭といえばやはり高校や大学時代の文化祭が思い出に残っている方が多いと思います。中学までの文化祭はまだ幼少の身の延長でなかなか企画がまとまっていなかったり、先生の指導のもとでの賜物であったりします。高校くらいからは自分たちで企画立案して実行し始めるため、まだまだ未熟な面はあるものの脳裏の記憶という思い出にはいつまでも残るものです。

今年5月に行った兵庫の某有名高校の文化祭はとてつもなく凄いもので以前のブログにも書きましたが、見ていてワクワクするようなものでした。しかし普通の高校の文化祭では企画ものや露店での焼きそばや合唱コンクールやクラブの発表などが多く、自分たちの時代の文化祭と比較してもそう大きな違いは無いように思います。どこでも同じですが、来ていただく両親や友人にも披露して楽しんでもらいたいけれども、やっている自分たちが主役であり自分たちがまず楽しむことが重要なのではないかと思います。

親からすれば日頃学校に行っている子供たちがどんな友人とどんな学校生活を送っているのかが非常に興味あります。しかし授業参観だけではなかなか普段の学校生活が見えてきません。勿論、文化祭でもよそ行きの顔しか見ることができないのかもしれませんが、それでも授業参観と異なり学校で友人とリラックスした雰囲気を見せてくれます。そこが親としての文化祭見学の楽しみでもあります。今回の文化祭でも中学1年の長男のクラスの発表と高校2年の長女の露店での焼き鳥ではかなり雰囲気が違います。4年も違えば当たり前といえば当たり前ですが、どちらもとても生き生きとした表情をしていました。

では自分たちの高校の文化祭は?と聞かれるとあまりよく覚えていませんが、合唱コンクールで優勝したことくらいでしょうか。確か全校で33クラスあり、クラス対抗で男子クラスである我がクラスが女子クラスを抑えて優勝したのは感激でした。勿論、合唱部の連中が文化祭前にしっかりと準備してくれたおかげです。我々は彼らの指導に従って2週間みっちりと朝と放課後に練習させられたのも今ではよき思い出です。あと定番のフィーリングカップル55もありました。その頃の思い出も記憶から手繰り寄せると1人でニヤリと笑うこともたくさんあります。あの頃は青春真最中といったところでしょうか。

今回の子供たちの文化祭も将来彼らの記憶の片隅には残るはず。学校での思い出なんて授業の内容なんて皆無で、むしろ先生に殴られた(昔の場合)とか運動会や文化祭などが記憶にはよく残ります。あと修学旅行なんかも記憶に残りますよね。特に長女と長男の学校は新設校でもあり自由な雰囲気の中で英語に力を入れているため、あちこちにネイティブの先生やその関係者がいらっしゃってとても国際色豊かな文化祭でした。そして何よりも主役である子供たちが限られた時間の中で準備してがんばった努力とその成果を誉めてあげたいと思います。

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東京出張

冬から春までは大きな学会や会合もないので上京することはあまりないのですが、春から秋にかけては出席しなければならない学会などが増えて上京が増えます。以前は山口宇部空港までマイカーで行って飛行機で上京するのが一般的でした。所要時間はドアtoドアで考えれば新幹線とそんなに大きく変わりはないのですが、決まった座席に座ってじっとしていることが性格的にはあわないので、飛行機を利用していました。しかし昨年から新幹線で上京する機会が増えました。なぜなら東京までは約5時間程度かかるのですが、ちょうどその時間を利用してノートパソコンを開いてブログなどを書くのにちょうどよい時間が確保できるからです。作家ではありませんが、机に向かって「さあ、何を書こうか」と悩んでもなかなかいい題材がみつかりません。しかし流れ行く車窓をみながらリラックスして物事を考えると意外にいろいろなことが脳裏を駆け巡るのです。

実は、今も東京行きの新幹線でこのブログを書いています。人間の思考回路とは面白いもので、いつもの見慣れた状況では新しいことが思い浮かばないけれども、違う国や世界を眺めると、今までの白黒のモノラルな事象に新たに着色がなされて全く新しい事象へと変貌を遂げます。しかしそのような別世界も車窓の中だけです。いざ東京に着いたらあの人ごみの多さに戸惑ってしまいます。学生時代は東京に住んで満員電車に果敢に乗り、駅構内の人ごみの中もかき分けて歩いていた昔の自分がとても懐かしく思います。

「東京での所用が終わったらまずどこに行く?」と聞かれたらまず一番に大型書店に行きます。勿論、買う本が決まっていたらネットでの購入が便利でしょう。しかし最近どんな本が出ているのかを何気なく見て回り、自分の専門分野ではない雑学的な本を探すにはやはり手にとってみなければわからないこともたくさんありますよね。そういう時には田舎の書店では本の絶対的な数が少なすぎると感じたことが皆さんはありませんか?一度大型書店に入ると、ワンフロアを見るだけでもかなりの時間がかかります。ましてや全てを見て回ろうなんて1回の出張では全然時間が足りません。ですから今回はこのフロアを制覇しようなどと目標を立てて行っています。東京に住んでいた時はそんなことをつゆにも思わなかったのですが、遠く離れてもう一度東京を見渡してみるとたくさんのやりたいことが残っています。「灯台もと暗し」とでもいいましょうか、これからも普段は見過ごしてきたものをしっかりと見逃さないようにしていきたいと思います。

そんなこんなブログを書いているうちに名古屋を過ぎて静岡あたりです。新幹線で遠目にきれいな富士山を見るか飛行機に乗って上から富士山を見下ろすかどちらも一興です。ただし2回に1回くらいしか見ることができません。ましてやきれいな全貌を一瞬でも眺めることができるのは出張では年1回くらいしかありません。本日は暗闇で富士山を見ることができませんでした。一泊二日の東京出張ですが、少しの間だけでも住み慣れた世界を離れて新しい世界を見ると気持ちもリフレッシュされ明日への活力となります。

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iPS細胞って凄い!

先日、京都大学の山中伸弥先生がノーベル医学生理学賞を受賞されました。日本人としてまた医師免許を持っている者として誇りに思います。過日、患者さんから「iPS細胞って何なの?」って質問がありました。医師という専門職からすれば新聞記事を読むと簡単によくまとめてありすぐに理解できるのですが、玄人でなければそのわかりやすい記事も難解のようなので、Dr椎木のさらさら解説をしてみたいと思います。よって全てが新聞と同じように正しく表現されてないかもしれませんが、わかりやすくするためでご勘弁を。

太古の昔から生命とは1個の受精卵(いわゆる卵)からいろいろな細胞(例えば心臓や脳や皮膚などいろいろな細胞)に変化(分化)して、一度変化したものは元に戻らないというのが一般的な考え方でした。しかし山中先生と同時受賞されたイギリスのジョン・ガードン先生は1960年代にカエルの卵に変化して元に戻らないと考えられていた細胞(皮膚などの細胞)を移植すると卵が孵ったということを証明しました。その40年後に山中先生が人の皮膚細胞に遺伝子を4個入れると皮膚の細胞が心臓の細胞に変化したという画期的な発見です。なぜ画期的かというとそれまでは胚細胞といういわゆる卵を使用しなければ同じことができなかったため、生命倫理に抵触するということが大きな理由でした。つまり人体のどこの細胞をとってきても遺伝子をいれちゃえば心臓などの臓器が作れてしまうという究極の方法なわけです。そのiPS細胞の目的はクローン人間を作ることではなく、難病の患者さんの皮膚をとり出し培養して心臓などの細胞に変換させてその難病に効果のある新薬を開発したり、薬の副作用を調べたり、更には病気で傷んだ自分の臓器を皮膚から作ることなのです。我々と同年代の山中先生の今後のご活躍を願わずにはいられません。

さて山中先生のエピソードも新聞記事にたくさん書いてありましたが、特に印象に残っている記事は研修医時代に整形外科に入局されて同期の医師が10分でできる簡単な手術が1時間もかかり周囲から「じゃまなか」と呼ばれていたそうで、その不器用さのため臨床医をあきらめて研究の道に進まれたとのこと。しかし研究でも大変苦労されているようですが、本人が苦労だと思っていないことが素晴らしい。仕事でも遊びでもなんでもそうですが、やるからには楽しまなきゃ損。嫌だと脳みそが反応してしまうともうダメ。だからこそ嫌だと思っても脳みそに楽しいと錯覚させてしまえばいいわけです。簡単に言えば洗脳です。これはかの有名な自己スキルアップの達人が書かれていました。また諦めなければ失敗はない。失敗すれば次は成功するかもしれないのです。いつ成功するかは保証できませんが。しかし諦めたらそこでジエンド。終了のホイッスルが鳴るだけです。これは松下幸之助さんやエジソンなど多くの偉人が語られています。

自分がノーベル賞をとることなど何十億人分の1(地球の人口)の確率で銀河のはるか彼方ですが、諦めないで自分にできることをがんばり続けること、それが大事だと思っています。その銀河の向こうにはまだ見えそうで見えない夢があるように思えてならないのです。

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