日曜参観日

毎年、梅雨の季節になると小学校の日曜参観日があります。先日梅雨の晴れ間に日曜参観がありました。今は小学校に通学しているのは1人ですのでゆっくりと見ることができますが、以前2人いたときは1時間の授業(とはいっても40分授業)を半々に分けて見る気忙しい時期もありました。今回からはオープンスクールといって1時間目から5時間目までいつ見に行ってもよいとのことでかなり自由に参観することができます。参観日とはいっても通常の学校の授業が日曜日にあり、それを行きたいときに自由に見に行くという表現の方が適切かもしれません。

参観日に行くと決まって中学時代の同級生に出くわします。「おー、元気?」と一声かけて通り過ぎるだけですが、これもまた地元に住んでいるからこそできるもので楽しいものです。そして恒例のバザーが体育館であります。この催しも昔から変わらず続いていて、買うか買わないかに関係なく見て回りますが、今でいうフリマの感覚と同じです。同級生の1人がおやじの会なるものを結成して毎年うどんを体育館の横で振る舞っています。いろいろなところで古き良き伝統が受け継がれているなあと感心しています。

本題の授業参観では校舎はほとんど全て建て替わり昔の面影は残っていませんが、黒板や机やイスなどは当時のものと同じ型で変わっていません。見ていて懐かしくその当時のことを思い出そうとしますが、なかなか日曜参観日のことは思い出せません。しかし小学校でのたくさんの記憶の写真は頭の中の引き出しから溢れるように出てきます。セピア色でかなり傷んでいるものもありますが、それがなんともいい色を醸し出しています。不思議と遊んだり怒られたりしたことはよく覚えていますが、授業の内容などは全くといっていいほど白く抜けています。以前は日曜参観の後は午後から親睦会を兼ねて先生方とソフトボール大会をしていました。しかし時代の流れでしょうか、最近はそれらの催しもなくなってしまいました。参加者の減少が大きな理由だと思われますが、慣れないスポーツで怪我をすることもあったようです。

今回、教室の横にミニ図書館なる文庫を見つけました。どの本も子供たちが手に取って読んでかなり傷んで年期が入っていましたが、その中に「野口英世」という本を見つけました。発行日は昭和45年4月30日、値段390円でした。昔からの定番の偉人物語です。私が小学校1年の時です。40年あまり経ってその当時のものは何も残っていないだろうと思っていましたのでちょっと感激しました。当時間違いなくその本を一度は手に取って読んだはずです。書物は捨てない限り時を超えて存在するのですね。また何十年かしたら子供たちがまた同じことを思うのでしょうか。それまで傷んでもセロハンテープをはって修繕しながら残してほしいものです。時間は刻々と過ぎていきます。昨日はもどってきませんし、明日はまだやってきません。今日できうることをしっかりとやって、毎日毎日を大切にしていかなければいけないなと思う1日となりました。

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ブログ開始して1年!

去年からブログを開始しまして今回が第53回目の掲載となりました。早いものです。自分でいうのもなんですが、時間や期限に結構うるさく何事もきっちりとこなさなければ気がすまない性格ですので、毎週月曜にはかかさずブログを更新してきました。医学的にはこういう性格をタイプAと分類します。このタイプAは後期高齢者になるまでに心筋梗塞などの心臓疾患やうつ病などになりやすいと言われています。ちなみにタイプBはタイプAと反対で、一言でいえばおっとり型でのんびり屋さんの性格です。ではどちらのタイプが人生にとって得だと皆さんは思いますか?隣の芝生が青く見えるのと同様に自分に持ってないものに憧れ、興味を惹かれるのは当然のことでしょう。

小さい頃から夏休みの読書感想文は大嫌いで文章を書くこと自体もあまり好きではありませんでした。しかし何のはずみかホームページを立ち上げブログを書かなければいけないはめになりまして、最初の第1回目を書くまでは相当プレッシャーがありました。しかし1回目を掲載するとなんとなく気が楽になりどんどん書けるようになりました。また書く内容や言葉使いにもかなり注意を払うようにしています。なぜなら自分では些細な内容と思っても相手を傷つけてしまうことってよくあるじゃないですか。勿論、自分は文学者でも作家でもありませんので、文法や表現方法には誤りも多々あると思います。しかしいつも心掛けていることは旬な出来事を自分の言葉に置き換えて書いて相手にわかりやすく伝えることです。またこういう表現をすれば読み手の心に直に届くようにということを常に考えるようにしています。言葉って人類最大の発明ですものね。内容は医学的なことにも触れますが、それ以外の世の中のことや自分の中での出来事を中心に皆さんに興味をもっていただき、また考えてみてほしいと個人的に思うことを話題に取り上げるようにしています。少し堅苦しさのある文章かもしれませんが、自分では精一杯書いてきました。またこれからもできる限り今のペースで書き続けていきたいと思っています。

「読まれている皆さんはどのように読んでくれているのかなあ?」と少し気になることも多少あります。勿論、ブログですから一方通行になりがちです。自分でも他のホームページのブログを読んでも「ふーん」と思うだけでコメントを送ることもまずありませんので同じだと思いますが。内容をもう少し変えた方がよいのか?文章の量は今くらいでいいのか?などいろいろ思うことがありますが、当面はこのままネタがつきるまでは今のままで突っ走ろうと思っています。最初はネタが続くだろうかと心配していましたが、ブログを書き始めてからはいろいろな平凡なことでも物の見方や考え方を少し変えてみるだけでひとつの完成品のブログに変わっていきます。「ブログを始めて何が変わったの?」と聞かれたら、まちがいなく「自分の物の見方が変わった!」と今なら答えます。自分が変われば周囲も変わっていろいろなことが動き出します。そしてたまに意外なところから「ブログを読んだよ」と言われて嬉しく思うことが自分にとってのご褒美です。

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ヨーロッパ卒業旅行を思い出して

前回、久しぶりの大学同窓会について書きました。その時、仲のよかった同級生と思い出話をしていたら卒業旅行の話題が出ました。懐かしさもありその当時の記憶を手繰り寄せながら思い起こしましたが、酒の肴にはもってこいの良き思い出です。当時は3月下旬に大学の卒業式を終え4月初旬に医師国家試験に臨み、その後医師として働き始めるまでの約1か月半の間が最後の息抜きの長期休暇となり、その時に初めて海外へ卒業旅行に出かけていきます。医師になれば海外への学会出席や運がよければ海外留学で移住もありますが、なにせ20歳そこそこの学生が生まれて初めての海外です。ドキドキものです。私も仲の良かった友人と3人で3週間のヨーロッパ旅行に行きました。当時はヨーロッパ周遊の添乗員付きツアーに人気がありましたが、私たちの英語能力は受験英語と日常会話程度でほとんど身振り手振りの度胸試しの個人ツアーです。

飛行路は成田からアンカレッジ経由で北極上空を飛んでいく北回りです。今のように直行便はありませんでした。もしかしたらあったのかもしれませんが、学生旅行ですので安い運賃に惹かれてしまいます。まだ当時は崩壊前のソビエト連邦で確かソ連上空は飛行できなかったのではないかと思います。なにせ24年前、記憶も定かではありません。訪問先はイギリスのロンドンに3日、それからドーバー海峡を船で渡り鉄道で寝台列車に乗り翌朝にドイツのミュンヘンに3泊。そしてスイスのチューリッヒとローザンヌに3泊してからパリへ移動して一気にギリシャに飛行機で飛び、アテネとイドラ島に計4泊してからパリに戻って3日間滞在して帰国。今から思えば予定は未定で行き当たりばったりの道中です。その経験が後の旅行好きの土台になっている気もします。

その卒業旅行は楽しい思い出ばかりですが、有名観光地を周って見るよりも、自分たちの足で地元のバスに乗って道を間違えながら「ああでもない、こうでもない」と珍道中を繰り広げたことの方がより鮮明に記憶に残っていて、道中での一瞬の記憶の思い出がスライドのように順番に投影されてきます。例えばドーバー海峡を渡って到着した小さな港町オステンドでのこぎれいなレストランでの昼食、アテネで白タクに乗り片言英語で脅されて料金をぼったくられたこと、エーゲ海のイドラ島での小さな港町でのレストランで地元の人が「イシェエビー(伊勢エビ)」と観光客に叫んでいたことやミュンヘンでのビアホールの特大ビアジョッキの大きかったことなどなど。ちょっとした一瞬のワンショットが今でも鮮明に自分の脳裏に焼き付いています。80年代の日本は高度経済成長の最後の頃でバブル崩壊前でしたので、日本人の海外進出は「イケイケゴーゴー」という感じでした。

そのヨーロッパ旅行でこれからは外国語、特に英語のコミュニケーションが必要だと痛感しました。しかしその後、医者になってから当分の間は忙しさにかまけてその気持ちは忘れていましたが、次に大学病院でアメリカの学会で発表することになりまして、再度英語の重要性を思い知らされるはめになります。その続きはまた次回に。

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同級生ってやっぱりいいね!大学編

駆け足でしたが、一泊二日で大学の同窓会と学会に参加してきました。今回も久しぶりの上京で飛行機が東京に近づくにつれて昔の記憶が蘇ってきました。今回は羽田空港からリムジンバスで都心の新宿まで行ったのですが、右手に東京タワーや左手に代々木公園を見ながらおよそ1時間で京王プラザホテルに到着しました。残念ながら東京スカイツリーを眺めることはできませんでした。首都高速から新宿に降りてあの高層ビル群の連なりを見ると学生時代に戻ったような気分になります。

昔は医師国家試験が4月上旬に行われてその後結果発表までに1か月くらいかかり、ほとんどの同級生は医師免許取得後の6月1日から医師として働き始めていました。ですからプロ野球選手の元旦が2月1日のキャンプインのごとく、我々の元旦は6月1日といってもいいかもしれません。毎年この頃になると「もう何年目になるなあ」と感慨深げになります。今年は卒業から24年が経過し25年目に突入して、もう四半世紀も医者をやっていることになります。同級生の数名は母校の教授となり活躍しています。我々は昭和63年に卒業して医師としての事始めが6月1日でしたので、4年に1回の同窓会はそれに合わせて6月3日に一番近い土曜日に東京の新宿で開催されることになっています。

会場に到着すると懐かしい顔ぶれに出会い、会話は昔のままです。一人一人の挨拶は誰も皆言いたいことがたくさんあり、予定時間を軽くオーバーしてしまいました。今回は50名前後の出席でほとんどは関東近辺の同級生が多かったのですが、私と同じように遠方から来ている同級生もいました。勤務医と開業医が半々もしくは開業した同級生の方がやや多いでしょうか。皆それぞれの人生を歩んで年輪を感じ、いい顔つきをしています。いつも思うのですが、仕事で同窓会を欠席する場合も多々ありますが、このような会に参加する同級生はある程度自分の仕事や気持ちに余裕がないと参加できません。今回も皆の笑顔を見て元気を分けてもらいました。こういう場って別に会話なんかしなくても、遠目で「あいつも老けたとけど、やっぱ全然変わってないや」と眺めているだけでとても楽しいのです。宴もたけなわ、隣に座った仲のいい同級生とたわいもない会話が弾みます。また学生時代にはほとんど話さなかった同級生でも隣あえば会話が弾みます。現在の仕事のことや子供のことなど話題は尽きません。二次会まで参加しましたが、あっという間に日付が変わりお開きとなりました。学生時代には明日のことも考えずに、朝まで飲み明かしたことが何度もありました。しかしこの年なると皆「午前様は翌日が結構つらいよね」と言います。ここでも四半世紀の時の流れを感じざるをえません。

次回は4年後のオリンピックイヤーの6月4日の土曜日に再会を約束して同級生たちと別れました。折しも次回の2016年は大学創立100周年にあたる年だとのこと。今回以上に多くの同級生と再会したいですね。翌日は学会に出席して少しだけですが、新しい知識を吸収して機上の人となりました。同級生ってやっぱりいいね!

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セラミック歯を入れて

先日、歯垢を取りに弟の歯科に行きました。半年に一度は必ず歯垢を取るようにしています。自分ではきれいに歯磨きをしているつもりでもなかなか歯垢はとれず、いつの間にか虫歯になっていることも多く、過去にも何度かは歯垢取りの予定がそのまま虫歯治療になったことがあります。また今は歯周病にはなっていませんが、将来ならないとも限りません。今回も一本ほど虫歯になりかけがあり歯垢取り&虫歯治療になりました。

以前なら、虫歯治療の場合まず麻酔をかけてから虫歯を削って、粘土みたいもので歯の型枠をとってその日は仮の詰め物をして終了。一週間後に銀歯ができるために予約をとって出直し。下手したら2回では済まずに3回、4回行くこともざらでした。もっと過去にさかのぼって自分が小学生の頃は、もう40年近く前になりますが、その当時は歯を削る時でも簡単な処置で終了する場合は、麻酔すらかけずに削られることもあったように記憶しています。当時はそんなものかと思っていましたが、今では想像もできません。最近では、麻酔薬を注入する注射針も超極細になり、歯茎に麻酔をする最初のチクッとする痛みもあまり大げさに感じません。本当に歯科医療も進歩したものです。

弟も兄弟の血のつながりでしょうか、結構新し物好きで、最新の医療機器を導入しています。虫歯を早期にみつけるためにCTを導入したり、患者さんに理解しやすいようにデジタル画像を駆使して説明をしたりしています。そこまでならまだこのあたりを探せば同じような歯科医院はあるでしょう。しかし今回はちょっと感激ものでした。というのもあまり痛くない麻酔をして削って型枠をとるまでは一緒ですが、その後がびっくり。型枠をとってから2時間後にはセラミック製の歯が自院で完成していました。つまり一度帰宅して2時間後に再度歯科に行ってセラミック歯を詰めて完了です。またセラミック製ですのでほぼ真っ白の歯に早変わり。近くからみても義歯かどうかなかなか見分けがつきません。松崎しげるになったつもりで愛のメモリーが歌えそうです。このギャグで笑えた人は私と同年代でしょうか?まだ私の歯は歯槽膿漏や歯周病にはなってないのですが、小さい頃からの虫歯の治療で銀歯がたくさんキラキラと光っています。それを1本1本白くしていけば芸能界にデビューできるでしょうか?しかし難点がひとつ。この治療は自由診療なので保険がききません。まだ10ヶ所くらいありますので全て変身させたら一体いくらかかるのでしょうか?この値段さえクリアできれば素晴らしい治療だと思います。都会などで美容形成外科が自由診療で流行っているのが頷けます。初対面でにこっと笑って歯がキラリと光るのと白く輝いているのとではどちらがよいかは自明の理でしょう。医療の進歩はすごいなあと改めて感じましたが、将来はiPS細胞で自分のエナメル質の歯も再生できるようになるのでしょうか?その頃には私も後期高齢者になりインプラントをするのではなく自分の歯の再生医療を受けてみたいものです。しかし毎日の歯磨きをしっかりして自前の歯を維持することが重要なのは言うまでもありませんよね。

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