ワクチン転じて福となす~転~その2

前回の起承転結の転の続きです。私の担当理事の仕事がワクチン関連です。現在、ワクチンにより世界各国の日常生活が徐々に戻りつつありますが、一方で日本は厚労省を含めて行政の対応は外国と比べて非常にリスポンスが鈍く後塵を拝しています。慎重を期すという日本の伝統を重んじているのでしょうが、緊急事態には適応できないようです。愚痴になりましたが、続きをどうぞ。

その情報は医師の皆さんならよくご存じのm3の提示版で探しまくりました。そうするとやはり同じような不安になっている医師の書き込みを見つけます。その情報をネットサーフィンの如く追っていくに従ってやっと自分の頭に副反応が起こった時のイメージが湧いてきました。しかし内容を突っ込めば突っ込むほどもし医師が一人だけで目の前でアナフィラキシーショックが起こった場合にリカバリーできるのだろうかという素朴な疑問にぶち当たります。世界中でワクチン接種が行われて稀に血栓症で死亡というニュースは舞い込んできますが、アナフィラキシーショックで死亡というニュースは聞いたことがありません。それだけに宝くじで1等が当たる確率で自分が当たって対処ができなかったらと悪い方ばかり考えてしまうのは私だけでしょうか。そのような副反応情報準備をしながら3月中旬にキリンビバレッジで市と医療関係者との合同でワクチン接種模擬訓練が行われました。そこで実際に起こりうる多くの課題を洗い出しました。その頃もまだ国はワクチンの不足に反して早く接種しろとまくしたてます。周南市からは集団接種と個人接種を同時に進めたいと申し出があります。そのため集団接種の検討と同時に個人接種の検討にも着手しました。そしていつ全医師会員にその説明会を開催すればよいかも決まらない状況で、やっと全体説明会を終えたのは桜も散った4月上旬でした。その情報を踏まえて4月中旬からの医療スタッフのワクチン接種の開始です。

スタッフのワクチン接種で情報通り若い女性に副反応が出やすいようでした。もう一歩でアナフィラキシー反応として国に報告しなければならないケースもありました。この情報からも医師である皆さんのお察しの通り65歳以上のワクチン接種では重大な副反応は出にくいことが予想されますので集団、個別ワクチン接種開始の滑り出しにはとても良いことです。一方で夏から始まる一般接種については若い女性が対象となりますので医師会員の先生方には注意していただきたいと思っています。過去に化粧品アレルギーや注射アレルギーがある場合は特に注意が必要です。個別接種の場合は3密を避けながら診療の合間にワクチン接種をするケースが多いと思いますので、今一度もし接種後に気分が悪くなったら自分とスタッフはどのように行動すべきかを確認しておいてください。予防接種は何も起こらなくて当然なのです。何か起これば打つ側も打たれる側も将来に渡って禍根を残すことになります。

To be continued

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ワクチン転じて福となす~転~ その1

転;ワクチン開始

新型コロナワクチン接種について大きく動き始めたのは2021年になってからで2020年の大騒ぎから丁度1年が過ぎた1月下旬でした。まずワクチン接種に関して厚労省から矢継ぎ早にまた難解な文章が県医師会から徳山医師会を通してメールで送られてきました。それをいちいち読んでまず自分が理解しなければ事が運びません。厚労省のお役人の上から目線の丸投げに周南市の保険行政課の担当者は徳山医師会との調整も必要で大変だったと思っています。しかしいつの時代も公僕は不満と非難のサンドバック状態になるのは世の常です。最初に承認されたワクチンはファイザー社製品のみでマイナス75度以下で保管しなければならないという絶対条件があるために、市との事前協議では安全性の担保が重要でまず個人接種は当面凍結して集団接種を先行させるのが妥当であろうという結論に至りました。同時に重大な副反応であるアナフィラキシー反応が稀ではあるが起こりうるためその対策もしなければならないという認識を市と医師会が共有しなければなりませんでした。事前協議を繰り返すうちに2月になります。他市では医師個人にワクチン接種の出務についてのアンケートを行っているという情報が飛び込んできます。周南市でも集団接種や将来の個人接種を含めてアンケートを取らなければなりません。しかしその文言に苦労します。今回は国の一大事ですので全ての医師や看護師そして他の医療関係者の力を借りなければなりません。どのような文章にすれば全医師会員や医療スタッフに協力いただけるかを慎重に検討しながら一言一句を選びました。

更に2月から3月にかけて国は朝令暮改の文章を送り続けてきます。最初は3月には医療スタッフ全員のワクチン接種完了と国は大見得を切っていましたが、いざ蓋を開けてみるとワクチン自体が日本に入ってきません。集団接種については周南市民が約14万人で65歳以上のワクチン対象者が46000人いること、そしてその対象者の7割が接種すると仮定すると3万人を超えますので集団接種だけでは到底追いつきません。しかしまずは集団接種で流れをつかんだ後に個人接種を開始すると言う当初の計画の元で、周南市を大きく4分割して会場の選定やスタッフの動線などを含めた協議、そしていかに効率よく3密にならずに接種をすることと万一の副反応に備えてしっかりとした対策を事前に検討することでした。会場の設置や動線やスタッフ配置は市にお任せして、私は副反応対策に力を入れました。個人的には循環器内科が専門ですが、本物のアナフィラキシーショックなんて医師になって30年で一度もお目にかかったことはありません。知識ではアナフィラキシーの際にはボスミンを0.3から0.5Aを大腿部外側に服の上から筋注するということは知っていますが、どのタイミングで決断するのかがピンときません。そのようなタイミングは教科書には全く書かれてないのです。

文章が長くなりましたので続きは次回に。

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ワクチン転じて福となす~起承~

起;新型コロナ襲来

2019年の年末までの日本は平和で東京オリンピックを翌年夏に控えて心もウキウキして正月を迎えました。2020年初春には中国の武漢で「なんか変てこな風邪が流行している」と風の噂がPM2.5に乗って飛んできましたが、その時点ではまだ「流行りの風邪が流行しているのだろう」くらいにしか思っていませんでした。しかしダイアモンドプリンセス号事件の頃から「SARDSが日本に襲来するかもしれない」と平和ボケした日本人が少しずつ危機感を抱くようになりました。2019年3月に当院の電話が鳴ります。事務長から「先生、突然で申し訳ありませんが、3月19日の木曜の午後に県医師会で新型コロナについての臨時の会議があります。つきましては住民保険理事が担当になっていますのでよろしくお願いします」と淡々と告げられます。当時は何も考えずに「はい!わかりました」と返答しましたが、後になってそれが新型コロナ関連の医師会の仕事にどっぷり浸かる幕開けになったような気がします。県の会議ではまだ新型コロナの正体もつかめず私を含めて医師が疑い感染者に対してどのように対応して良いのかすらわからない状況でした。そして日々更新される最新の情報をいかに医師会員に流すかが最優先事項でした。

承;発熱外来開設

その後はワクチン関連の動きの前に発熱外来という国が突拍子もないルールを作成して県に丸投げしてきます。この時は副会長のご尽力で私は補佐をする立場でしたので個人的にはあまり負荷はかかっていませんでした。しかし新型コロナ関連に片足を突っ込んだ以上完全に抜けられなくなります。特に夏の第二波の頃には理事会でも冬のインフルエンザ対策を早く策定しなければ大変なことになると話題になっていました。そして秋には国から矢継ぎ早に発熱外来に関する難解な文章の嵐がメールで送られてきます。国語力の無い私はその行政文章の解読にヘキヘキとしていました。それでも山口県の担当者の方が熱意のある方でその難解不落の文章を解読されて我々医療従事者にわかりやすく説明していただいたことには感謝しております。2020年夏に外国ではワクチン開発も順調に進み第三相試験に入っていました。ワクチン接種に関しては市との折衝となるため住民保険理事が矢面に立たなければならないことは以前から薄々は感じていましたので、いつから市の担当者の襲来が始まるのかと緊張の面持ちでした。

まだまだ文章が続きますので~転結~は次週に掲載します。

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過去から学び今日を精一杯生きて明日は明日の風が吹く

最後の晩餐という言葉がありますが、「もし明日死ぬとわかっていたら最後の晩餐は何がいい?」と聞かれても実際には困ってしまいます。多分旨い物をたらふく食べて胃は満たされても心は満たされないでしょう。この質問は極端ですが、もう少し穏やかな質問にしてみます。「定年退職まであと残り1年ですが、あなたは何をしますか?」という質問ならどうでしょうか?その質問でも結局は今までに積み上げてきたものをしっかりと後世に引き継いでもらえるように淡々と粛々と今までと変わらず続けていく」という答えが多いのではないでしょうか。このように質問を変えても結局のところ今まで頑張ってきたことを続けていくことが一番大切な事ではないかと思います。

話を少し変えますが、物事は始まりがあれば終わりもあります。普通は最初から期限がある場合を除けば始まったときに終わりの事など考えません。また期限をきられていたとしても始まったばかりの時に終わりの事は考えません。自分でも1年後に終わりが来るとわかっていても終わった後の事を考えても実感が湧かずに「考えても無駄で、終わってから考えよう」と先送りしてしまいます。実際には終わってみても本当に終わったという実感が湧かずに抜け殻のようになって当分の間はロス症候群に陥ります。そして1週間、2週間と経過していくうちに少しずつ「次は何をしようか」と考え始めます。その中でも過去の遺産を顧みながら次へとステップするのはなかなか難しいことです。だからこそ明日の事を考える前に今日の事に集中する方がより良いのではないかと最近考えるようになりました。昔、何かの本に「自責と不安は最大の無駄」書いてありました。自責とは過去を振り返って自分を責めて思い悩むことで、不安とは未来の不確定な事を思い悩むことです。両方とも思い悩んでも時間の無駄であると言う事です。過去はいくら振り返っても時間は戻ってきませんし、未来はどんなに思っても思い通りにはなりません。結局は今生きている現在をしっかり生きる事、そのためには過去の事は責めるのではなく今日の為に生かすことです。そして明日という不確定な未来をいくら不安になって思い悩んでも実際に明日の朝になってみれば「どうして昨日はあんなに思い悩んでいたのだろう」と言う事も多いのではありあませんか。つまり不安の9割は自分の中での幻想に過ぎないと書かれていました。この言葉が妙に私の心の中でずっと支配し続けています。

「もし明日死ぬとわかっていたら今日は何をしたい?」と再び質問されたとしても多分昨日と同じことをしているだろうと思います。あと3か月あると言われれば遺書を書いて身辺整理をするでしょう。1年残っていれば半年間は今までできなかったことを思う存分しまくって残りの半年は穏やかな気持ちで送るのかなと思います。人それぞれ皆考え方は異なりますが、最後の最後の死ぬ直前に一言「ああ、いい人生だった」と言うために必死で今を生きてもがいているのだと思います。それはお金や地位や名誉ではありません。純粋な自己満足で良いのです。

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新型コロナは思考停止を引き起こす

4月には緊急事態宣言が発出されて全国に新型コロナの第4波が押し寄せてきました。山口県でも1日の新規患者数が50人を超える事もありました。小中学校でも変異株が検出されて昨年の同時期のコロナ拡散とは少し異なる様相を呈しています。しかし変わらないのが人々の思考回路です。コロナ疲れとかコロナ慣れが世間で新型コロナの拡散と同様に確かに蔓延しています。しかし相変わらずの政治の体たらくで1年経ってもお願いベースで相手頼みの宣言しかできません。日本では憲法で個人への制限はできないと専門家は言います。それなら非常事態には憲法で個人に制限をかければ良いだけの事です。それが政治というものではないのでしょうか。その発言に対して必ず第二次世界大戦での敗戦の原因が大日本帝国憲法にあり個人の自由を制限して国の統制下に置いた事への反省と決して戦争をしてはいけないという現在の平和国憲法の理念が議論されます。誰も戦争しようと言っているのではなく、敢えて闘いという言葉を使えばウィルスとの闘いは非常事態なので国民の自由に制限をかけるべきだとなぜ政治家は言えないのでしょうか?勿論、制限をかければ補償も必須です。しかしその補償となると政治家の威勢が更に萎んでしまいます。お札を刷るだけで人の金だから他人事のようにできないのでしょうか。普段は国民の税金を無駄にしても何とも思わない政治家たちがこのような非常事態には全くの思考停止に陥っています。なぜ前向きに検討出来ないのかが私には理解不能です。

次にもう少し日常の場面に目を移してみます。学校の児童に新型コロナが出た時にその周囲がいきなり思考停止に陥ります。一般的に濃厚接触者はその児童の家族と敢えて言えば同じクラスの児童まででしょうか。それを学校なのか保健所なのか知りませんが、翌日までにPCR検査を学校全体まで広げるのか、濃厚接触者までにするのかを一斉メールで配信しません。そんな事考えればすぐにわかるのですが、行政もその呪縛から逃れられないようです。また周囲の反応も一旦新型コロナ陽性者が出るといきなりその児童と学年が違ってもあたかも同じクラスの隣の席に座っていたかのように勘違いをしてしまいます。特に診療所に訪れる患者さんからも自粛した方が良いのか?と質問されます。そこで私はこう質問します。「病院には新型コロナの方が来ている可能性もあるのによく平気で病院に来られますよね?」そうすると皆さん黙ります。「病院には必要不可欠?だから敢えてコロナがいるかもしれないのに来るわけですから学校の隣のクラスの児童に新型コロナが仮に出たとしても普通にして行動制限なんか必要ないのではないですか」と言って更に「そんな事言ったら我々医療従事者は皆が行動制限をして自粛になりますので医療そのものが成立しなくなります」とダメ出しをしますと皆さん安心された顔で帰られます。どうも新型コロナと聞いただけで国民の多くは思考停止に陥るようですが、少し冷静に考えればわかるはずです。「正しい知識で正しく恐れて正しい行動」をすればそれなりの感染症として必ず抑え込めるのです。やるかやらないかは国民一人一人にかかっているのです。

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