新型コロナワクチン接種が高齢者から開始

4月下旬に新型コロナワクチン接種の予約受付が電話とネットで開始されました。ようやく始まったかというのが本音です。しかしどこの自治体でも予約開始時には電話が混んで繋がらない状況のようでした。それでも個別接種と集団接種の両方が同時進行で5月中旬から開始されました。私は集団接種論者ですので個別接種はせずにキリンビバレッジに出務して接種します。他の医院では個別接種もしますので「どうして当院ではしないのか?」と聞かれることもありますが、いろいろと理由はあります。しかしその理由をいちいち説明してもしょうがないので「歩ける人は集団接種に行きなさい」と説明します。そのような会話で納得できないような患者さんはとっくに当院には来られていません。どこからか反発の声も聞こえてきそうですが、当院ではそのような会話で成立する患者さんが大部分を占めていますのでとても有難く思っています。

まだ実際にキリンビバレッジに出務していませんが、3月に模擬訓練をしていますので配置や流れなどはわかっています。また当院の看護師も出務しますが、看護師は実際の接種を担当しますので緊張感が漂います。医師は予診票を見ながら被接種者の診察と問診をします。「当日の体調はよいか」「過去の既往歴で問題はないか」「過去にアレルギー歴がないか」など複数項目を同時に予診票から読み込み実際の対面で状態を把握します。当日風邪をひいている方は来ないでしょうし既往歴のある方は事前に主治医に相談済の事も多く、過去の薬や食べ物アレルギーのチェックが主な仕事になると思われます。しかし新型コロナに罹患して重症化しないようにするのが目的のワクチン接種のため、注射の副反応よりも有益性が高いという前提で接種しますので最終的には本人の自己責任で打つか打たないかを決定することになります。よって本人が副反応を心配しても「副反応が起こらないのではなく起こっても適切に対処する」としかこちらからは言いようがないのです。そして本人が接種しないといえば「それでは仕方ないですね」で終了となります。しかし現在の蔓延状況と世界の趨勢と今日までの世界のワクチン接種の状況から考えて「接種しない」という選択肢は医学的にはありえません。余程、過去にアナフィラキシー反応を起こしたという既往歴でもない限り禁忌ではありません。ですから最終的には個人の自己責任論に行きついてしまうのです。

今回から数名の医師でおよそ200人弱の方を接種しますが、特に大きなトラブルはなく無事終了することができたようです。今月から全国の至る所で同様の集団接種と個別接種が始まりました。行政は7月までに65歳以上のワクチン接種を完了させたいと言っていますので、困難かもしれませんがやるしかありません。早ければ夏からは一般の方の接種が始まるでしょう。接種完了は今年中ですが、困難かもしれません。また秋にはインフルエンザの予防接種も始まります。同時にコロナ疑いの発熱外来もしなければなりません。「オリンピックをする」なんて誰が言っているのでしょうか?

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勉強を教える。その心は?

この3年間ずっと次男について数学や物理や化学など理系科目を教えて、最後は自分の苦手な英語も単語や熟語を中心に教えてきました。しかし教えれば教えるほど自分の中で膨大な量の消化しきれない単純な問題の解法の疑問から挙句の果てにはなぜこのような内容の項目をたかだか18歳の子供に教えなければいけないのかという哲学的な疑問が次から次へと浮かんできます。総合計時間で換算すれば1000時間どころではなく数千時間以上費やしたのではないかと思います。しかしそれだけの時間が果たして自分に見合った時間の使い方かと聞かれると素直に「はい」とは答えられませんが、「いいえ」では決してありません。なぜならその経過を通して勉強に対する普遍的なものが見えてきたからです。私は以前から子供に「勉強しろ」と言う場合、子供からすれば「自分は勉強しないのによくも身勝手な事!」と心の声が聞こえてくるのです。その意見に対しては「昔、同じ道を通ったのだから」という反論が出てきますが、それは過去形であって現在形ではありません。少なくとも現在完了形にしてほしいと思います。ですから親は仕事でお金を稼いで学費を払っているのだから何もせずに子供に対してただ「勉強しろ」というのはおかしいのではないかと思っています。やはり辛いことは実際に同じ土俵で感じないと子供の気持ちはわかりません。

この膨大な時間を費やしても順調に結果が出ればこのような哲学的発想は生まれてきません。やればやるほど疑問や不安が生じて多くの発想が生まれます。現在このような哲学的発想が生まれるのは「次男が本当に入試で合格をもらえるのだろうか」という不安からです。そして「自分の教え方が悪いのか」それとも「学校や塾の教え方が悪いのか」とか「結局、子供がバカなのか」などと考え始めるのです。そして「不合格になったら浪人か?」などと最悪のシナリオが頭を過ります。後で冷静に考えればその時は自分が勝手に自身を精神的に追い詰めているだけで子供はそこまで思っていないことなんてざらです。10年後に振り替えると「その当時が自分にとっても子供にとってもどれだけ輝いていたか」がわかるはずですが、現時点ではテンパっていますので見えるものも見えません。

では私の今回の膨大な時間で得られた収穫である「勉強を教える。その心は?」という本題に入ります。それは「相手の立場と同じ目線に立って昔やった勉強を再び経験することにより新たな再発見をすること」です。そうすると相手の気持ちもわかってきてむやみに「勉強しろ」とは言わなくなり、それこそ「親の背中を見ろ」となります。そしてそれ以上に世の中のしくみや矛盾が数学の公式を通して見えてくるのです。物理や化学をやれば世の中の不思議がわかってきますが、数学的哲学も世の中の事象とうまく融合しているのです。そして何よりも自分の人生が輝き始めます。今現在の仕事に対する見方や考え方も変わるし、残り人生をどう生きていけば自分が輝けるのかを見つける手段になります。結局「その心は自分の人生を豊かにする」と考えています。

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勉強も仕事もアウトプットは同じ

先日、今春に高校卒業された次男の学校の1年先輩のご両親と電話で話をする機会がありました。丁度、次男の勉強を見ながら自分の進む方向性に迷いが生じていましたので話すことによりその方向性が正しいかどうかを自分自身で再確認をするためには絶好の機会を与えて頂いたと思っています。人間は誰でも信じるものがありそれに向かって歩み続けますが、途中でその目標への方向が正しいかどうか迷う事がよくあります。その時には誰かに適切なアドバイスをしてもらえればまた自分を信じて前進できます。しかし十人十色で適切なアドバイスを頂けるかどうかは実際にはわかりません。しかし相手といろいろ議論すると今までモヤモヤしていた自分自身の考えがクリアになります。今回の電話では適切なアドバイスもさることながら自分の考えをはっきりとアウトプットしたことが最大の収穫でした。それが今回のお題の内容です。

勉強でも仕事でもまず相手から教わり吸収しなければなりません。必要最低限のルールを暗記しなければお互いの共通の土俵に上がれずに専門用語での会話すら成立しません。英語を習得するには最低限の単語や熟語は丸暗記が必要なのと同じです。この段階では理解とかそういうレベルの話ではないのです。ただひたすらインプットするのみです。しかしインプットばかりしても適切にその内容が頭の引き出しに整理整頓されタグをつけて必要な時に引っ張り出せなければ意味がありません。そのためにはどの引き出しに何を入れたかという記憶のタグをつけてそのタグ通しをネットワークという神経線維で結んでおかなければなりません。そうしないといざ使おうとしてもすぐにタグを引っ張り出せないのです。次男の勉強の成績が伸びない原因が大量のインプットを効率よくタグ付けして頭の中で整理整頓できていないということが毎日のズームでの二人三脚の勉強でわかってきました。毎日一緒に勉強すると前日の事が頭の中で整理されていると翌日の内容がスムーズに進みますが、できてないと全く進みません。当たり前と言えば当たり前ですが、毎日一緒にしたからこそ問題点が浮き彫りになったのです。それは勉強でも仕事でも全て普遍的には同じです。即ちインプットは準備段階であり、その後のインプットした内容をいかに効率よく頭の中で消化してタグ付けして整理整頓する手段を次男に教え込まなければいけないのです。例えれば釣り道具を渡してどうやれば魚を釣れるかを一緒に試行錯誤して本人に体験させてその経験値を脳の神経線維にタグ付けして、次回は一人でも魚釣りができるようにさせることなのです。それが根幹の教育であり、単語の暗記や数学の公式を覚える事は二の次なのです。なぜその公式をこの問題で使うのかを一緒に考えさせる方が重要なのです。結局、勉強も仕事もアウトプットさえできればうまくいきます。次男はそのアウトプットをうまくできないのです。そのためにはインプットされたものをいかに効率よくアウトプットさせるかを次男に教える事です。今回の電話で自らがアウトプットをしてその確信に至りました。後はそれを信じて実行し諦めずに継続するのみです。

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ゴールデンウィークは入試の天王丘

今年のゴールデンウィークも関東や関西では緊急事態宣言が出されて自粛ムード120%と言いたいところですが、どうも昨年とは少し異なるようです。新型コロナ騒ぎも1年以上経過するとコロナ慣れと自粛疲れで街もあまり緊張感が漂っていないように見えるのは私だけでしょうか?どうもこの世の中は「正直者がバカをみる」ようです。そんな社会ではいけないのですが、真面目に取り組んでいる飲食店の皆さんほど不公平を被っているようです。一方で滅茶苦茶をしている輩は罰せられません。もっと人権を制限する厳しい法律を作るかどうかは別として本当にこのような緊急事態の時の為にある程度制限する法律は作っておかなければならないと思います。勿論、そのような法律が発出されない平和な世の中に越したことはありません。

さて私の個人的な今年のゴールデンウィークは世間で大騒ぎしている新型コロナの蔓延とは全く関係なく、次男の今秋に迫った大学入試で気持ちは一杯一杯です。なにせ一般の入試よりも3カ月以上早いため、学校の授業の進度と本人の理解度を掛け合わせると早々に「浪人もあり得るかも?」という嫌な予感さえもよぎる状況です。4月中旬にはどこの予備校も新年度がスタートしますので、来年の今頃は予備校に行っている可能性も否定できずにネットで1年前倒しして予備校のチェックも連休中に行いました。勿論、当人には内緒ですが、当人も薄々気付いていたかもしれません。毎年ゴールデンウィークは学校の寮が完全閉鎖されて1週間弱の短期間ですが帰省してきます。しかし今年は緊急事態宣言のため新型コロナ蔓延地域に敢えて帰省する生徒に対しては帰省せずに学校寮に残ってもよいという許可が出されました。山口県も新型コロナの第4波に見舞われていますが、都会程ではないために帰省させることにしました。

なぜ残寮させなかったかというと、ゴールデンウィークは入試の天王丘だからです。夏休みはもっと高い天王山ですが、ゴールデンウィークは小高い丘です。ここで夏休みまでの軌道修正をして一気に山を駆け上らなければなりません。いくら毎日ズームで顔を突き合わせて勉強していたとしても対面に勝るものはありません。科目ごとの勉強の進捗状況の確認や画面上ではチェックできない科目ごとの理解度をはかり知るためにはガッツリと4-5日は顔を突き合わせて一緒に走らなければ見えてこないものも多くあります。枝葉は子供自身がしっかりと管理把握する必要があり親の出る幕はありませんが、幹に関しては一緒にしっかりと育てなければ大木には育たないのです。昔の自分と比較してはいけないのですが、次男はどうもその辺りの自覚が足りないために親が出しゃばらなければいけないようです。いずれ次男も子ライオンのように崖から突き落とさなければいけない時期も来るとは思いますが、それが今ではないのです。崖から突き落とされても自力で這い上がって来るだけの装備と知識を身につけさせた後の話です。そのためにゴールデンウィークは入試の天王山ではなく天王丘でまだ幹をしっかり育てる途中経過なのです。

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新型コロナワクチンの副反応

先日、医師会で新型コロナワクチン接種についての医療機関への説明会がありました。まずは医療スタッフへの接種、それから集団接種や個別接種の手順等が行政側より説明がありました。我々医師会側からも集団接種の模擬訓練に参加しましたのでその訓練から見えてきた課題についても検討していただきました。またワクチン接種には少ないながらも副反応が伴いますのでそれについての説明を理事である私が簡単に10分程度のレクチャー形式で行いました。皆さんも御存知の通りワクチン接種の際に接種部位の腫れや痛みは稀ではありません。蕁麻疹や発熱や吐き気などは接種部位の局所症状よりはかなり少なくなりますが起こることがあります。そこまでの副反応は医療者側も想定済みで、そのまま様子をみるか解熱鎮痛剤や抗アレルギー薬の投与で自然軽快します。接種される側にとって不安なことに変わりありませんが、医療者側からみればよくあることなのです。一方で我々が恐れているのは10万に1人程度のアナフィラキシー反応です。このアナフィラキシー症状は非常に稀ですが、ゼロではないため必ず適切な対処が必須になります。そのための対処方法を今回の説明会の前座で行いました。

アナフィラキシー反応とは簡単に言えばアレルギーの最重症の事を指します。蕁麻疹から始まり喘息が出たりして最悪の場合血圧が下がってショック症状となり亡くなることもあります。しかし適切な治療を即座に実施すれば必ず回復します。では実際にはどんな状況かと言いますと、新型コロナワクチン接種者の全身に蕁麻疹が出現して顔や瞼が腫れて喘息症状が出た場合がそのアナフィラキシー症状に当たります。その場合でも重症の程度があります。血圧が90mmHg以下に下がった場合は最重症で躊躇なくエピペンというアドレナリンを筋肉注射しなければなりません。エピペンを御存知ない方もいらっしゃいますので簡単に説明しますが、ハチ刺されや食物アレルギーの子供さんが急に喘息症状を起こして呼吸困難になり意識が遠のいた場合などにすかさず自分でまたは学校の先生が素人判断でも可能な救命救急の注射です。勿論、その注射をするにはある一定時間の簡単な講習を受けなければなりませんが、一刻を争う事態ですので素人が注射をすることも法律上許されるのです。そのような注射ですから、全ての医療関係者は即座に打たなければなりません。その医療行為確認のためのレクチャーをしました。最近テレビで集団接種の模擬訓練で副反応が起こってアナフィラキシーを起こしたため119番要請をしながらズボンの上から大腿部に注射をうつ光景を見られた方も多いと思います。幸いにも全世界でワクチン接種が進められていますが、アナフィラキシー症状が出ても適切な対処をしているためにアナフィラキシーで死亡したという情報は聞いていませんので皆さんも御心配なさらぬようにお願いします。一方で日本のワクチン接種がかなり遅れていますので本当なら第4波は避けられる予定でしたが、再度緊急事態宣言が一部の地域に出されました。少しでも早くワクチン接種が進むことを望んでいます。

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