山口県はなぜ新型コロナワクチン接種が他県よりも進んでいるのか?

五輪が開催されて新型コロナ感染者が山口県でも増えてきました。一方で山口県は65歳以上の高齢者と65歳以下の全年齢の県民に対して新型コロナワクチン接種の割合が全国でもほぼトップで邁進しているそうです。7月末現在で高齢者の7割がほぼ接種し希望者はほぼ終了しています。また65歳以下も1回でも接種した方がおよそ半分に達しています。そして地元の大企業も職域接種にいち早く手を挙げて接種が進んでいます。ワクチン接種により今後の山口県の新規感染者の増加傾向が鈍くなってほしいと思います。そしてこれもひとえに県知事や各市町村の首長のリーダシップとそれ以上に行政に関わる方々の努力のおかげであることは言うまでもありません。また行政に協力してきた我々医師会を含めて各団体関係者の方々の努力も忘れてはいけません。

では「なぜここまで他県と比較してスムーズに事が運ぶのか?」について以前から興味を持っていました。その答えの一端を先日のテレビで今秋に行われる衆議院選挙山口2区で参院議員の林さんが現職の河村さんに挑むという内容が放映された時に政治解説者によるコメントですっと私に中で腑に落ちました。それは山口県の首長が現在全て自民党若しくはそれに近い無所属で占められているということでした。また林さんと河村さんの戦いは外から見れば話題性のある選挙かもしれませんが、自民党の内部から見ればただの派閥の陣取り合戦だけなのです。つまりコップの中の主導権争いに過ぎず大勢には影響がないということです。そのコメントによって新型コロナワクチン接種の進捗状況が全国で最も早い理由がわかった瞬間でした。一見は全く異なる事象ですが、それはバブル前の日本を見れば納得するはずです。当時の日本は護送船団で官僚が政治家よりも強い力で日本丸の舵を切っていました。現在は政治主導と言われていますが、その政治力も力が分散されると事が思うように運びません。その政治力が山口県は統一されているのです。勿論、明治から続く長州の血が脈々と地元選出の総理大臣に受け継がれてその影響力も絶大であることは間違いありません。長年にわたる権力の維持は腐敗を生み出すこともこの世の常で国民は皆知っています。腐敗でなくとも馴れ合いや忖度が存在するのも事実です。一方で統一されていれば、トップが「右向け、右」と号令をかければ末端の各部署までの伝達も速く動き始めます。現在の山口県の各指揮や指示系統はこれに準じているのだと思います。

7月中旬には県内の高校生のワクチン接種が始まりました。佐賀県にいる今年受験生の次男にも住民票登録のある自宅に接種券が届きましたので、早速接種させるために帰省させました。7月初旬に佐賀市役所に高校生の接種対応を電話で問い合わせても全く埒が明かなかったからです。高校生に一律に始めるのも全国で最も早いのではないかと思います。また6月中旬には夏休みに中学生の希望者全員にワクチン接種をするので準備をするようにと各自治体に連絡が来ました。またまたワクチン担当理事である私の仕事です。それでも一人でも多くの希望者に接種することが現在の我々の最大のミッションです。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

Tokyo2020開幕

いよいよ57年ぶりの東京五輪開幕です。しかしこの1年間はパンデミックで様々な事を経験してきました。開幕直前でも過去の不適切発言で関係者の解任や辞任が続き、同時に最大のデルタ株の波が東京を襲っています。全ての大波小波に対処していかなければならない関係機関の方のご苦労に感謝しなければなりません。開催自体にも賛否両論がありましたが、それでもいざ始まってしまえば気持ちも少しは華やいできます。一方で直前までの開催に否定的な考えも今回は非常に大切です。仮にTokyo2020が成功したとしてもそれまでの一連の評価をしっかりと今秋の清き1票に反映させなければなりません。そしていつまでも開催に否定的な考えを固持し続けても仕方ありませんので、今回は開幕という肯定的な前向きな考えで進めていきます。

私が生まれたのは1964年東京五輪の年です。その当時は残っているテレビ映像のみでしか知ることはできませんが、戦後復興の象徴と言っても過言ではありません。一方で今回のTokyo2020は新しい枠組みとして新たな脅威との戦いと様々な多様性を受け入れる共生としての象徴五輪と言う事ができるかもしれません。アスリートは100年経っても記録をコンマ1秒縮めるためだけに人生を賭けて競技会場にやって来ます。とてもシンプルで美しいものです。この世の中は50年でとても変わりました。特にこの20年でとても変化しました。自分が歳をとったために世の流れについていけなくなってきたのか?それとも自分のゆっくりとした成長よりも世の変化が速すぎるのかもしれません。それでもスポーツ選手は並々ならぬ努力で1点の重みを大切にして相手と競います。その意味ではスポーツに国境はないし差別や偏見もないはずです。対人との対戦競技であろうが個人種目でのタイムを競うのであっても、最後は純粋に自分を信じて自分と向き合って今までやってきたことを素直に表現した勇者のみに勝利の女神が微笑みます。

この半年間、五輪開催について賛否両論で個人的にもどちらに転んでも仕方ないと思っていましたが、最後の最後は政府が押し切りましたので、いくら開催に反対しても日本国としてやるとなればどうにか感染拡大を最小限に食い止めるしかありません。また開会式当日の昼過ぎにテレビでブルーインパルスが東京の空に五輪マークを描くのを見ると流石に今回の異例ずくめのオリンピックでも開催する意義も見出さなければならないのかもしれません。そしてTokyo2020が終了してから今回の一連の政府や組織委員会の対応をしっかりと検証することも忘れてはいけません。終わりよければ全てよしでは今回はいけないと思います。その夜の開会式での最終聖火ランナーは大坂なおみ選手でした。誰が適任だったかという議論ではなく、今回最後に走った選手が最適任者なのです。ずっと今日まで遠い存在でしかなかったTokyo2020が、当日急に自分の目の前に降りてきたような感じという表現が現在の率直な気持ちです。この2週間はコロナの感染者数と金メダルの数に一喜一憂しながら、純粋な気持ちでアスリートにテレビから声援を送りたいと思います。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

偏差値50はよくできた指標

入学試験が近づいてくると偏差値という言葉が飛び交いだします。別に試験だけのキーワードではないのですが、どうしても偏差値は大学入試の時に頻回に使用されますので、偏差値と聞くとあまり良い印象を持たれていない方も多いのではないでしょうか。それは偏差値イコール試験の成績という1対1対応になっている場合が多いからだと思います。しかし偏差値は試験の成績を表して大学の合格判定だけに使われるだけのものではありません。世の中のたくさんの出来事を順番に並べて偏差値を付ければとてもその事象に関して理解が深まる事が多く、その偏差値によって現在の自分の立ち位置もよくわかるようになります。

それでは偏差値とはどういうものかをまず簡単にお話しましょう。数学的説明ではなく一般的な具体例をみてみます。やはり試験の成績が一番分かりやすいので算数の試験と国語の試験で説明します。例えば1万人の受験生がいたとします。人が多く集まれば集まるほど点数もピンからキリまでいます。たとえば算数の試験は簡単でほとんどの人が90点以上をとりました。平均点が90点としましょう。すると偏差値が50とは90点あたりの順位の人で5千番のあたりです。一方で国語は難しかったので平均点が60点しかありませんでした。すると偏差値50の人は60点あたりで5千番です。つまりその時の試験の内容で平均点はいくらでも変わりますので、平均点の人が真ん中あたりにいるという事実はゆるぎないのですが、90点をとった人が真ん中あたりにいるというのは次の算数の試験が難しければ変わりますし、試験の平均点が60点ならそのあたりが偏差値50の人なのです。つまりその時々の試験内容によって平均点は変わる為に点数で真ん中は表せません。しかし偏差値50はいつも平均あたりを表しますので国語だろうが体育だろうが自分が全体の中でどのあたりにいるかが一目瞭然になるのです。今までは試験で偏差値を話しましたが、それを一般社会の中で表してみます。偏差値50は普通の人、偏差値70の人は全体の5%程度の人で偏差値30も全体の5%程度の人と全体の分布がほぼ決まっています。だからこの人の仕事能力は偏差値60だよねと言えばかなりできる人になりますし偏差値40ならばイマイチの人ということになります。偏差値30の人ならちょっと近づきたくない人だよねとなりますし、偏差値70の人はあまりにも自分とはかけ離れ過ぎて寧ろ付き合いたくない人になるかもしれません。

なぜ今回このような話題になったかというと、先日たまたま畑の違う高校時代の友人と話をしていて「あれってどう思う?」と聞いた時に「あれっていいよね」と会話が続きますが、その時の「いいよね」という評価が主観的評価の為、私にはその度合いがわかりませんでしたのでとっさに「偏差値で言ったらどれくらい?」と聞き直しました。当時大学受験を同じく経験した同志でしたので、すぐさま「偏差値で55くらい」と答えが返ってきました。その答えで相手の評価の度合いがお互いにわかりました。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

Tokyo2020の無観客開催とチケットホルダー

再度、7月12日から東京には緊急事態宣言が発令され6週間後のパラリンピック直前に解除される予定です。また開催にこぎつけるために現政権は以前から一番嫌がっていた無観客開催を選択しました。それも五輪中止になるよりはマシなのでしょう。東京以外での会場でも北海道と福島の知事が無観客開催を選択してほぼ95%以上の競技の無観客開催の予定です。これもひとえに新型コロナの蔓延のために致し方ないのですが、チケットホルダーのこの1年間の揺れる気持ちについて書いてみます。

約2年前の夏にダメもとで家族5人を一人ずつメールアドレスに紐づけして五輪チケット抽選に申し込みました。仕事の都合で閉会式を含めた最終日とその前日の国立競技場と女子バレーボールの3位決定戦を申し込みました。観覧席は選手から近ければ近いほど高価になります。家族5人で観戦するためには近い場所から観戦すると何十万円とかかり、万が一にも閉会式が当たれば100万円以上吹っ飛びます。流石にそこまではお金を出せませんが、高倍率の為にまずそのような大それた幸運を引き当てる事もないでしょう。しかし後方の観客席でも一人が1万円弱しますので1競技で5万円近くはかかります。もし当たったらその時悩めばいいくらいの軽い気持ちで応募すると幸運にも国立競技場の最終日前日と最終日の女子バレーボール三位決定戦が4人ずつ当たりました。当時はこれでその年の運は全て使い果たしたなと思いましたが、それから新型コロナで気持ちが上がったり下がったりと揺れ動きます。

まず1年延期になった時は、1年後にオリンピックを開催できるかどうかは不明で、それ以上に目の前の見えぬ敵との戦いでそれどころではありませんでした。それでも冷静に考えれば1年後にワクチンなんて無理でかなり新型コロナが抑えられていたとしても五輪開催はかなり難しいかなと思われ、観戦についてあまり深い思いはありませんでした。しかし予想以上にワクチンが普及し始めるともしかしたら五輪開催ができるかもしれないと密かに思うようになります。もしチケットが当選していなかったら最初から五輪開催は無理と思っていたでしょう。そして今年になり第3波、第4波と立て続けに波が押し寄せてきて東京に緊急事態宣言も繰り返されて慣れっこになってしまいました。その頃よりもし有観客で開催されたら一生一度の機会なので観戦したいと言う気持ちとそれが原因で感染のきっかけになったら医療者として外を歩けないだろうという他人様からみれば当たり前に思える常識が自分の中では葛藤として立ちはだかりました。やはり身に降りかかった災いは自分で払いのけるしかありません。ずっとこの数カ月は行くべきか行かざるべきかを心の片隅で少しだけ悩んでいました。そして目に見えない大きな力が働いて無観客開催となり個人の力ではどうしようもない結果になりました。そしてオリンピックをテレビ観戦することになりましたが、結果的にはそれで良かったのかもしれません。ただこの状況下で開催すること自体が是か非かは、後世が判断することになります。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

ワクチン転じて福となす~結~

さてワクチン接種開始となりますが予約を含めてなかなかスムーズにいきません。いかんせん全てが初めての経験ですので仕方ないと思いますが、その時々の色々な場面での行動や言動がその人となりを映し出す鏡のように見えるのは私だけでしょうか?それでは今回が最終章になります。

5月からは集団と個別接種予約が市民から市に電話とネットでの予約受付が始まりましたが、個人診療所で予約受付をすると診療自体に支障が出るために最初から行政のみでの予約受付としました。案の定、患者さんからは市の電話が繋がらないと診療所に苦情が寄せられます。本音では「そんなことを言われたってどうしようもできないよ」と言い返したくなりますが、「それは大変ですね」と流すしかありません。行政にも「しっかりしてよ!」と言いたくなりますが、行政は行政で国からは丸投げされて市民からはサンドバック状態ですので気持ちもわからないでもありません。それでも建前では「しっかりとしてください」としか言うしかありません。個別接種でもう一つの問題はかかりつけ医についてでした。それはどこまでをかかりつけ医と定義するかで行政と医師と被接種者で温度差があります。それを被接種者に周知しようとしても事実上困難です。またそれを行政に苦情を言っても仕方ないので、そのあたりは大人の対応をするしかないと思います。

最近になってファイザーのワクチンが冷蔵庫保存1ヶ月可能な事、12歳以上は米国で接種可能になったこと、モデルナとアストラゼネカのワクチンが承認されたこと、国主体で自衛隊による大規模接種が大都市で始まったことなど明るい材料が多く出てきました。ワクチン接種に関して第一弾は夏までの高齢者接種です。その後今年いっぱいまでが大きな山場となりますがこれからも行政と医師会の橋渡しをして前向きに走りながら考えていきたいと思っています。

結;コロナと共に    

来年の今頃には「去年は大変だったね」とサンルートで医師会総会の懇親会で飲みながらマスクなしで喋ってみたいものです。現在はそんな小さな夢も叶わない状況です。まだまだこれからいろいろな問題が出てくると思いますが、全医師会員の皆様にご協力いただければ幸いです。

初めて医師会からの依頼で会報に掲載させていただきましたが、いつもブログを書いていますので依頼は全く苦になりませんでした。ただし私は堅苦しい文章が大の苦手ですのでいつものスタイルで書きました。読み手も好みがありますので次回また依頼が来るかどうかは不明です。

カテゴリー: 未分類 | コメントする