大学入学式~現在から未来へ~

入学式当日の朝はソメイヨシノが風に舞って道路にかなり散っていましたが、雲一つない快晴です。天気予報では最高気温は20度を超えるとの予想ですが、大学の正門に到着する頃には早くも熱気に包まれています。早朝から目が覚めても興奮気味で早く大学の正門にたどり着くこの瞬間を待ちわびていました。やっとのことでたどり着いた大学正門は、私が学生の頃は何気なく通っていましたが、再び通過するのにこれほど遠い道のりとは思いませんでした。長男の中学受験の失敗から始まり、素行不良で学校に呼び出されていろいろあった7年間が走馬灯のように走り過ぎますが、体当たりでよく頑張ったと自負しています。そしてありきたりですが正門の前で記念写真を撮りたいのですが、もう父兄の行列ができています。写真を撮る順番が来るまで感慨深く物思いにふけって37年の時を経て当時の自分と長男が重なって脳裏に蘇ります。昔とはルールが変わったのか賑やかなクラブ勧誘はありません。入学式が始まるのを待っていると目の前に私の同級生がいました。予想外の展開に自分として状況がのみこめません。新入生名簿を見ると同級生と同じ苗字が印刷されています。全くの偶然ですが、人生何が起こるかはわかりません。

厳かに入学式が始まりましたが、昨年は大学の不正入試で揺れました。しかし今年入学した新入生には全く罪はありません。堂々と胸を張って入学式に臨んでほしいと私達だけでなく誰もが思っているはずです。私くらいの年代になると入学式に出席される大学執行部の先生や同窓の先生は当時私が習った恩師や同級生前後の先生で占めます。見渡すと知らない顔が多いのですが、たまに来賓の中に知った顔を見つけるとそれだけで懐かしさが込み上げてきます。つつがなく入学式を終えると入学式をした記念会館の地下で弁当が用意されています。全く事の流れが自分の入学式のときと同じです。これも伝統の一つかもしれません。昼食を終えると父母はこれからの大学の運営など説明で、新入生は別の教室で明後日からの授業のオリエンテーションで別行動です。約1時間の説明で終了となり記念館の前で子供たちを待ちます。その時も同級生とずっと昔話に花が咲きました。1時間ばかり話をしているとやっと新入生もオリエンテーションが終了しましたので、早速寮へと向かいます。私が学生の頃友人が寮に入っていましたのでたまに寮に上がったことがあります。その当時に将来自分の子供が同じ寮に住むなんて天地がひっくり返っても予想しませんでしたが、今その現実の中に立っています。長男のこれから住む古めかしい昭和の建物は年季が入っていますが、中は意外に綺麗です。

楽しくも緊張した入学式の1日でしたが、その後は私たち3人と東京にいる長女と義兄とでワインの美味しい店に行きました。未成年の長男はジュースで我慢させて美味しい料理とワインを堪能しました。こんなに楽しく和やかな気持ちになったのは何年ぶりでしょうか?また自分の同級生のご子息と長男が同じ学び舎で同級生になるというサプライズもあり少々興奮気味です。さて明日は寮の荷物整理が待っていますが詳しくは次回に。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

大学入学式~過去の記憶~

今回はご縁あって私の母校に長男が入学することになり、せっかくの機会ですので30年ぶりに母校の入学式に出席してきました。自分の母校でなければ敢えて入学式には出席しなかったかもしれません。実際に長女の大学入学式は家内のみが出席しました。昨今の入学式や卒業式には両親に祖父母まで一緒に来ることも多いと聞きます。昭和生まれの世代として最初は信じがたい光景でしたが、小学、中学、高校の卒業式に出席した家内からほかの家庭では夫婦二人での出席が多かったと聞いてきましたので最近はあまり違和感を持っていません。自分も仕事の合間をぬって小学校の卒業式には一瞬でも見に行きましたのでその気持ちはわかります。しかし子供たちが県外に入学した中高の入学式や卒業式には流石に仕事を休んでまでは行けませんので私は出席していません。その仕事を休んでまで出席という感覚が平成生まれの感覚なのでしょうか。そのようなこともあって今回の長男の大学入学式には特別な思いが一部混じっていたのかもしれません。

私が入学した37年前の当日のことを思い出そうとしてもなかなか思い出せません。入学式自体の事は全く覚えていません。また大学の正門で記念写真を撮影するのが慣習化されていますが、当時は正門前で記念写真を撮影している光景もあまり見ませんでした。唯一覚えているのは大学の正門をくぐるや否やクラブ勧誘が凄まじかったことです。受験前に大学の正門前までの路上を歩くといつの間にか予備校のパンフレットで両手がふさがってしまいますが、それと似たような光景が入学式当日の大学の正門の中でありました。最初は何事かとビックリしましたが、「これが大学なのだ」とその後新入生の入学式当日に自分がその場でパンフレットを渡す立場になって普通の感覚に変わっていきました。今回も30年以上の時を経て同じ光景を目にすることができるのかどうかを期待しています。多分、同じ光景を目にすることができたとき一瞬にして過去と現在の時空を超えて行き来できると思っています。その他の入学式自体の記憶は全て飛んでいますが、入学式後に体育館の地下で母と一緒に昼食をとりそこで母校の目玉の学ランを着た応援団がどすのきいた声で入学祝のエールをしていただいた事はよく覚えています。今回の入学式予定表にも同じように体育館地下で昼食と書いてありましたので、37年前と全く同じ内容で変わっていないのかもしれません。それが終了するとまたクラブ勧誘の嵐を通り抜けこれから始まる新しい学生生活の準備のためにそそくさと日用品などを買いそろえるためにお店巡りをして阿佐ヶ谷のアパートに戻ったと記憶していますが、あまり定かではありません。点と点の記憶を繋ぎ合わせるように過去の記憶を辿っていますが、それ以上思い出すには限界があります。しかし今回入学式に出席すると突然当時の記憶が蘇ってフラッシュバックしてくるかもしれません。その意外な記憶の蘇りも密かに期待しています。

朝、自分には似つかわしくない一張羅のスーツを身にまとって家内と一緒に桜の散りしきる大学の正門に到着です。続きは次回に。

カテゴリー: 日常のこと | コメントする

新年度と新元号

201941日、本日新元号の発表がありました。この1週間は全てのメディアで新元号の話題一色です。現在のこの世の中には明治、大正、昭和、平成、令和という5世代がいますが、ほとんど明治の方はいらっしゃいません。10年もすれば大正の方も少なくなり大半が昭和と平成生まれで占めます。昭和世代と一括りにしますが、身をもって戦争を経験した方としない方に分けるのが、これからの未来へ向かっていくには大切ではないかと思います。私も戦争は知りませんが、経験者の体験を少しでも次の平成そして令和世代に継承していかなければなりません。平成はやはり平和の意味が込められた素晴らしい元号だと思います。当時の故小渕官房長官がテレビの前での発表を見た人はその瞬間を覚えています。今回の菅官房長官が発表された瞬間は現在物心ついている人は皆さん次の元号に変わる時に今回の瞬間をフラッシュバックで思い出すに違いありません。その時私が生きている保証はありませんが、仮に存命ならこの令和という時代も戦争をせずに平和な時代だったことに感謝しなければなりません。そのためには昭和、平成、令和の3世代が改めて平和という平凡ですが何物にも代えられない幸福を追求していかねばなりません。

日本は契約書などには元号を記入して西暦表記はあまりしません。毎年正月明けはついつい前年を書いてしまい訂正印を押すはめになってしまいます。その時は西暦表記の方が楽なのにと感じます。また記入する際に〇年〇月〇日と印刷してあるときは敢えて西暦表記で書くこともあります。相手方は私の事をへそ曲がりと思うかもしれません。当院の日付スタンプもかなり年季が入って1年前から買い換えたいと思っていましたが、この元号の変更のために買い替えることができませんでした。やっと今月から買い換えようと思っていますが、皆さん同じ事を考えていて買い控えが起こっているために今度は売り切れになるかもしれません。そう考えると西暦表記の方が未来永劫には便利なのは間違いありません。しかし西暦でへそを曲げて記入した後にいつも違和感を持ちます。西暦表記も慣れれば違和感もなくなるのでしょうが、これが日本の昔から受け継がれてきた元号表記の伝統なのかもしれません。現在の日本の契約書類の印刷は素人でもPCによる印刷がほとんどで手書き書類は皆無です。その中でサインの部分だけが手書きで押印も日本の伝統文化ですが、これも将来消えていくかもしれません。しかし今後も元号表記が存在する限り印鑑もなくならないのでは?と個人的には思っています。

さて今回の令和という新元号はどう思われますか。この問いかけはこの1週間で耳が痛くなるほど聞かれたことでしょう。テレビのコメンテーターのような解説をこの場でする気持ちは毛頭ありませんが、中国の出典ではなく日本古来の万葉集からの出典であることは非常に良いことです。やっと日本も自国の伝統と文化の中から新元号を引用できたのですからとても素晴らしいことです。また令和という言葉の響きも非常に心地よく聞こえ、新しい時代を迎える日本人にとって最高の贈り物を頂いた1日となりました。

カテゴリー: 日常のこと | コメントする

一緒に走る

216日の入試合格発表から一気に慌ただしくなります。翌日には書留速達で合格通知が届き、1週間以内に入学手続きと入学金を含めた年間授業料を振り込まなければ入学許可がおりません。お金が動かなければ手続き完了といかないのはこの世の中では当然のことでしょう。大学のそばに男子寮があり入寮すると学校に徒歩1分でしかも生活費が節約できます。そのため入寮予定者は早いもの勝ちです。入寮には寮監さんや寮生の先輩と面接をしなければなりません。入学試験の一連の三次試験といったところでしょうか。高校も寮生活を体験している長男ですからその点はへっちゃらです。入寮条件で新入生は昔からの伝統ですが、新歓コンパで必ず一発芸をやらなければいけません。それができなければ入寮許可できないと寮生の先輩から念を押されました。当時の私だったら現役でしかも寮生活の経験もなく一発芸などできなかったでしょう。一方で長男はいろいろな経験を私以上に積んでいて親の私も長男の手綱さばきに苦労したくらいですので一発芸くらいは大丈夫です。寮費は1か月の水道と電気は使い放題でしかも24時間大浴場は使い放題で食事はついていませんが、新宿の一等地の大学のそばで15千円ですから破格です。建物は私の在学時代からあり古いのですが、内装はしっかりされていて文句ありません。これで6年間過ごせるのですから同じ条件で周辺のアパートを借りれば10万円近くかかりますのでとても親孝行の長男です。長男も内心は一人暮らしをしたかったのでしょうが、文句を言わせません。無事に寮も215号室に決まった後は家で一日中ゲームをするか寝ています。私の場合は補欠合格でしたので320日頃から入学式までバタバタでした。やはり2月中旬に決まるといろいろな事がスムーズに運びそれでも入学まで1ヶ月近くあります。いずれ車の免許も取得しなければいけませんので急遽3月初旬に車の教習所に入学して夏休みまでに取れるようにと始めました。残り少ない春休みですがやることは満載です。3月下旬に仮免までこぎつけました。入学式までにあわよくば取れるかもと期待しましたがそれは不可能のようです。また入学したらバスケットボールをやりたいようですが、大学時代はスポーツ系のクラブ活動で体を鍛えて上下関係もしっかりと身につけることは医療人になってから非常に大切だと過去の経験上思います。長男もそれは理解していますが、この1年運動もせずに体がなまっていましたので私と一緒に3月後半の2週間はスポーツジムに行くことにしました。本人は面倒くさがっていますが、私が毎日仕事の後に手を引っ張って連れて行きます。一緒に過ごす時間はわずかで限られますが、車中でこれからの大学での事やクラブの事などを話しそれがとても親子の大切な会話になっています。そしてジムでは一緒に並んでベルトコンベアを走り、一緒に大浴場につかって、帰り際にスーパーで鶏のから揚げを買って食べながら帰ります。昔から子供とは些細ですがこのように行動をしたいと思っていましたのでそれが実現してこの一瞬がとても楽しいのです。自分の母校の後輩として入学した長男と一緒に胸を張って6年間伴走していきたいと思っています。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

今年の受験総括

1月下旬から2月下旬までのおよそ1か月は自分が受験はしないのですが、親として子供が受験をするのを黙って見ているしかないのも精神的につらいものがあります。数日おきに受験して1週間後に一次合格発表があり合格すれば小論文と面接の二次試験が待っています。その頃には次の大学の一次試験が待ち構えていますが、二次試験と別の一次試験とが重なったらどちらを選択するかを入試の願書を出す前は周到に考えます。しかし実際には二次試験と一次試験が重なって嬉しい悲鳴を上げることはあまりありません。寧ろ、一次試験の発表が不合格となり不安のまま次の大学の一次試験に突入するという事態が2月上旬まで続きました。なかなかそのような状況に陥ると長男にメールで励ましのメッセージも送れません。昨年から長男には事あるごとに「受験して複数の大学に合格しても行ける大学は一校のみだから第一志望の大学に合格さえすればその他大勢の大学は全て全敗でも構わない」と言ってきました。理論上は正しいのですが、実際にその通りに事が運んで第一志望以外の一次合格発表で「落ちた」とメールを見るたびに胃がどんどん痛くなってきます。理想と現実はかなり異なります。そして第一志望の大学の受験日を迎えます。私は何もすることができません。「どうか、受かってくれ!」とただただ祈るのみです。それから一次合格発表までの約1週間は生きた心地がしません。毎日毎日がとても長く感じられます。そして結果発表の日にメールで「あった」という一言をどれだけ待ちわびていたことか!その文字を見ると「やった!」という喜びが湧いてくるよりも先に力が抜けたというのが実感でした。しかしすぐに二次試験の小論文と面接がありその対策にとりかかります。傍観者はまた精神的にきつい局面へと突入していきます。二次試験のできも合否に影響はしますが、一次試験の持ち点が非常に大きく合否に左右します。一次試験のできでほぼ合否は決まっているといっても過言ではありません。ですから二次試験合格発表までの約2週間は生きた心地がしませんでした。面接が終了してメールで「面接の内容はどうだった?無難に乗り切った?」と聞くと「ヒューマンエラーについていろいろと質問されてとても重い雰囲気だった」との返信でした。我々の現役の医療現場でさえ「ヒューマンエラーの回避」には頭を悩ませているのが現実です。そのような難問を一介の受験生に質問しても正しい答えなど期待できません。敢えてそのような質問をすること自体がナンセンスですが、老獪な第三者からみればニコニコと面接が楽勝だったというケースよりもかなり合格する可能性が高いのではないかと思います。もし自分が面接官なら本当にほしい人材なら難しい質問をして新しい発想を期待しその人物評価をしてみたくなります。

合格発表の日にPCで長男の受験番号の495を見つけた瞬間は嬉しさよりもやっと終わったという気持でヘナヘナと力が抜けました。結局第一志望の大学に合格でき1勝残り全敗で一番効率よく合格できました。途中の不合格が続いたときには流石に苦しい気持ちで逃げ出したくなりましたが、その長い道のりを振り返ってみるとあっという間でした。

カテゴリー: 日常のこと | コメントする