アメリカ大統領初の広島訪問

伊勢志摩サミットが無事終了しました。広島で4月の外相閣僚会議から始まり最後のトリでオバマ大統領の広島訪問です。ノーベル平和賞のオバマ氏の広島訪問ではなく現職アメリカ大統領の広島訪問だからこそ意義があります。オバマ大統領は就任直後から核なき世界平和を訴え世論で早いのでは?と言われながらもノーベル平和賞を受賞しました。その後の世界平和へのリーダー的存在として貢献されてきましたが、北朝鮮やイランなど世界のあちこちでの問題が山積してなかなか核なき世界は実現できていません。折しもトランプ氏が共和党の大統領候補の指名を獲得してオバマ大統領の残り任期が半年を切った現在では最後のご奉公かもしれませんが、現職アメリカ大統領の広島訪問を実現したという点で後世の歴史に1ページを残す高い評価になるでしょう。被爆者の方々の声が各種のメディアを通して早速聞こえてきましたが、まず被爆して亡くなられた方々の追悼の意で十分で謝罪は不要という声が大勢を占めていたのには内心少し驚きました。今までのアメリカ大統領の被爆地訪問の問題が出る度にアメリカでは謝罪問題が浮上して立ち消えになっていました。今回もその点がクリアできるのかと注視していましたが、謝罪ではないとはっきりアメリカ国内で大統領が説明すればすんなりOKが出たわけです。一方、日本でも一部の団体が謝罪を世論で訴えればたちまち頓挫していたはずです。おそらく日米の両政府と各団体が周到に水面下で交渉していたのでしょう。そして何よりもアメリカへの恨みや謝罪を乗り越えた被爆者の方々のご英断に敬意を表したいと思います。

これに弾みをつけて日本はプーチン大統領との交渉で北方領土問題や中韓との靖国参拝問題など過去からずっと揉めている各種問題の絡まった糸を少しでもほどいてもらいたいと希望します。ただし同じ日本人であっても私は沖縄に住んでいないし北海道出身でもありません。その地の当事者ではありませんから、軽々しく北方領土4島一括返還をずっと押し通すのがよいのか、あるいは2島早期返還をまず先行させて突破口を開くなどといたずらに意見を述べることはできません。そのような代替案があってもそれがその地に住む人の感情と一致するかどうかわからないからです。今回、戦後70年経過してひとつの大きな成果が出て少しずつ大きな山は動き始めたのかなと思います。核なき世界の実現はオバマ大統領もすぐに解決できる問題ではなく努力を続けることが大事だと言っていました。靖国問題に関してはA級戦犯だろうが、B級だろうが一般人だろうが亡くなられた英霊は同じで日本では誰でも亡くなれば仏になれるはずです。国立墓地を作って分祀せよとかその必要はないとかお隣の国の勝手な主張で糸が絡んでこんがらがっていますが、今回の広島訪問のように謝罪ではなくただただ素直に追悼の意を表するような形でうまく国内から外交問題まで解決できるきかっけになればいいなと思います。しかし今の日本では亡くなっても必ずしも仏になれずに三途の川の関所でパスポートを見せると「君は現世で悪いことをしたから地獄へ」とあの世でも官僚が振り分けているのかもしれません。

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海上自衛隊呉工廠を見学して

3月下旬に家族で広島に行った時のこと、呉に足を延ばしました。末っ子が自衛隊に非常に興味をもっていたので大和ミュージアムに連れていったついでに海上自衛隊も一緒に見ようということになりました。しかし見学は日曜日の場合は事前に予約手続きが必要で入館するためには本人が証明できるものが必要です。大人なら運転免許証で済みますが、子供の場合はそうそうありません。小学生以下なら不要ですが、それ以上は写真付学生証が必要です。外国ではテロ騒ぎで人命被害が出ているご時世ですから、しっかりと時間がかかってもセキュリティーチェックは不可欠でしょう。大和ミュージアム付近に車を止めて散策がてらに呉基地の方向に沿って歩いて行きました。10分程度で表玄関に到着したのですが、護衛艦が停泊している港はまだまだ先で道のりに沿っていけば到着しますと門番の自衛官に説明してもらってからさらに歩くこと30分くらいで港に到着しました。最初は行けども行けども目的地が見えませんでしたので、一本道にも関わらず道を間違えたのか?と不安になりました。しかし到着してみてその理由が納得です。自衛艦がずらっと6隻くらい港に並んで停泊していて潜水艦も停泊していました。1艦の全長がおよそ100-200mあります。それだけのデカイ艦隊の港ですから1本道の距離もあって当然です。すると横須賀基地などはもっと凄いのでしょう。

その玄関のセキュリティーチェックからさらに5分程度歩いて港に着きます。さすがに連休の中日だけあって200人以上の見学者でごった返していました。そこからは海上自衛官が丁寧に説明して護衛艦の甲板見学です。乗船前からの船も凄いですが、甲板からの眺めも爽快です。さすがに艦内には入れませんでしたが、一見の価値以上でした。現在国会では安保法が良い悪いだの尖閣諸島の防衛など日本でもたくさんの懸案が存在します。しかし自衛隊の隊員は国を守るという点において国民からみればとてもありがたい存在であることは否定する余地は全くありません。このような護衛艦で自らの危険を顧みずに国のために尽くしてくれている自衛隊の隊員の方々にあらためて感謝したいと思います。その後大和ミュージアムに行き息子は模型を食い入るように見ていましたが、私にとっては実物大の護衛艦の迫力に圧倒されてしまいましたのでこんなものかと今一歩でした。反対のコースを辿ればよかったのかもしれません。次に隣の退役した潜水艦の内部を見学しましたが、これは実物のためリアル感が漂っていて楽しめました。大和も当時の本物を見たら腰を抜かしたに違いないでしょう。

このように平和な日本ですからこれらの見学により凄いと感動するのですが、いざ本当に戦争になったらこのような実物は恐ろしいものと化すのでしょう。世界の国々では多くの紛争があり実働していて本当に幸せな世の中などはあり得ないのですが、それでもこのような抑止力がなくなる世界を望みたいものです。末っ子が卒業文集で自衛隊に入隊して日本を守ると書いていましたが、親としては少々複雑な思いもあるのも事実です。

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久しぶりの内科学会に出席して

先月末に東京で開催された内科学会年次集会に出席してきました。現在私は総合内科専門医を持っていますのでその更新のためには5年間で最低でも2回程度の全国学会とその他地方で開催される学会に3回程度の出席をして更に専門医の知識の維持のためマークシート方式の問題を解いて提出しなければなりません。更新するには結構大変です。今年度から5年間でこれらの単位を取得していかなければなりません。最新の医学知識を吸収しなければならないことはよく理解していますが、時間を割いて全国行脚はできませんので東京で学会がある時に息抜きを兼ねて1泊2日の小旅行を楽しむ程度になります。ただそれだけでは到底単位が不足しますので福岡や広島など地方巡業をしなければならなくなるわけです。それならいっそのことペーパー試験を5年に1回して合格できなければ即落第もありではないかと若気の至りで思ったこともありました。しかし歳をとるにつれてそのような一発勝負を今の自分に課したらものの見事に落第確実かもしれません。若かりし頃の大きな勘違いでした。歳をとれば経験が物を言うようになってきます。だからこそその経験だけで物事の判断をするとほとんどは当たるかもしれませんが、業界の最新事情を知ないために重要なことを見逃すこともあるかもしれません。その取りこぼしが相手にとっては致命傷になるかもしれないのです。だから昔の油で錆びつきかけた脳みそに新しい潤滑油を注いでやらなければならないのです。それが最新事情を聴講するための単位獲得の理由です。それと同時にときには外の空気を吸わないと知らず知らずのうちに自分の砦の空気が淀んでいるかもしれません。そこで新しいリフレッシュした空気に入れ替えるためにもこのような機会が必要なのだなあと思うようになりました。昔は所属学会の生き残りをかけた資金集めくらいにしか思っていなかった自分でしたので歳をとれば変わっていくものです。それとちょっとした気分転換にはちょうどよい時間なのです。それが上京しなくていいから「ネットでライブ中継しますので土曜か日曜の午後3時間自宅のパソコンの前で座って自主学習してください。そして見終わりましたら理解できているかどうかを小テストします。それでできたら合格証の単位をあげます」と言われたらその3時間がストレスと苦痛の修行と化すでしょう。もうこの歳になって中学生の授業や試験のようなことはしたくはありません。

ということで今回は1泊2日で宇部空港から日本航空のクラスjで行ってきました。ホテルは最近みつけた8500円のサウナ付大浴場で朝食付きの神田駅近くのビジネスマンご用達のホテルです。夜は上京した長女の買い物に付き合い一緒に夕食を食べました。翌朝もサウナに入ってゆっくりと重役出勤して数時間の自学習のための学会に出席です。ちょっとした異次元の空間に身を置いて午後の便で山口にひとっ飛びして、空からは今住んでいる周南市を優雅に眺めながら家路に着きました。やっぱり単位取得は足で稼がねばならないと再認識した次第です。

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今年のゴールデンウィーク

ゴールデンウィークといっても赤日のみ休日の私にとっては3連休があるという感覚しかありませんでした。基本的な休みの感覚は昨年までと変わらないのですが、今年は別の意味で違います。中高に入寮している長男と次男は5月の連休は寮が閉まるため自宅に帰ってくるのです。普通の地元の公立学校は暦通りですが、遠方からの入寮している学生のいる学校は中日を休みとして1週間の長期休暇となるのです。これも学校の粋な計らいともいえますが、寮や学校の関係者のお休みも必要なのかもしれません。最近は学校関係者でクラブ活動顧問はブラック企業にリストアップされている時代です。職場環境の充実にも力を入れないと良き人材が残らないのかもしれません。我が家にとってみれば寂しい家庭内が急に家族が増えて嬉しい悲鳴がでます。明日の夜は皆でバーベキューをしようとか明後日は外食しようとかいろいろと計画を立てます。あれこれと計画を頭の中で思い浮かべること自体がとても楽しいのです。

実際に子供たちが帰ってくると今までの思い描いた幸せな気分は一変して現実の戦いが始まります。朝の規則正しい生活は皆無で昼まで寝ていて布団の中で隠れてピコピコとゲームをしています。子供が高校卒業するまではスマホを買わなければよかったと後悔も出てきます。そして子供とこの1週間の休暇の運用方法についてのバトルが始まります。遠くに行っている子供だからたまの休みで帰ってきたら「好き勝手に自由にさせてやりたい自分」と宿題をやったかを「監視する自分」がいます。どちらも「互いに譲れない自分」なのです。結構な誹謗中傷合戦を繰り返すこともありますが、それはそれで楽しい一時なのかもしれません。なぜなら子供が出て行ってから夫婦二人での会話なんて想像していたよりもずっと少ないことに気づいていたからです。横浜で入寮している長女も大阪まで足を運ぶ用事があっために1泊2日の強行日程で帰らせました。子供たちは帰って皆が揃いましたが、結局3連休は家でゴロゴロして外食で終わってしまいました。しかし夏休みまで帰ってこない子供たちとは充実した時間を過ごすことができたと確信しています。夏休みにはまた同じバトルが始まるのでしょう。特に「宿題はしたか?」とか「授業の進度にはついていけるのか?」などと「心配する自分」がその時にはいるはずです。連休も最終日になり帰寮する日の朝になると気もそぞろでソワソワして落ち着きません。車で新幹線の徳山駅に送っていく頃には憂鬱がMaxになります。それでも表面上にはそんな風に見せないようにと必死なわけですが、心の内では「日曜の夕方のサザエさん症候群」になってしまいます。見送った後に夫婦で家に戻ると子供たちがいなくなった後の家はまた元の通りがらんとしています。昨日まで賑やかだった雰囲気はどこにもありません。またこの雰囲気の中で3か月を過ごすのかと思うと今まで以上に気分は下がってきます。これからはそのような感情の浮き沈みの繰り返しに慣れていかなければならないのでしょう。

今年も地元の富田川でこいのぼりが元気よく泳いでいました。

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中学寮生の初めての運動会

末っ子の中学と高校は昭和の日が運動会です。その前日の4月28日が開校記念日で今年は開校29年目だそうです。運動会も4月29日の祝日と固定していますので、遠方から入寮して親の参観に合わせると毎年決まった日に運動会が開催されれば計画が立てやすく好都合です。学校には2月に一度道順を確かめるために車で行っていますので今回は道順の心配をせずに高速を乗り継いでものの3時間で到着です。最初の運動会ですので勝手がわかりませんので早めの8時半には到着しました。以前の小学校の運動会は朝の6時から席の陣取り合戦を繰り広げてきました。この学校ではそこまで過激な陣取り合戦はないようでしたが、我々の到着時には父兄席のシートはほぼ埋まっていましたので空いている場所を探すのに苦労しました。やはりご家族にとっては大きな学校行事ですので、皆さんも気合の入れ方が違います。小学生の運動会と比較すると一段と成長した我が子の姿を早く観たいのでしょう。入学してまだ1か月も経過していませんが、我が子もしっかりと中学1年生らしくなって行進をしているのを見てほっとしました。

運動会
今までの運動会は家の隣が小学校のために家で休憩をとりながら競技ごとにチェックして観に行っていましたが、今回は朝から夕方まで1日つきっきりの観戦ですので我々の体力勝負でもあります。中学1年と高校生の先輩を比較すると本当に親子ほどの体格の違いがありますが、数年後には同じように逞しくなっていることでしょう。出場する競技も中学高校と学年が多いためそんなに多くはありませんので、出場する競技の合間の時間があります。その時は生徒さんよりも周囲の観戦するご両親をウオッチしていました。自分たちと同じような気持ちでこの学校を選んだわけです。自分たちと比較しながらの両親観察もとても興味があり面白いものでした。運動会の競技に我が子も出場しましたが、まだまだ体の小さい我が子を見るにつけ来年はもっと大きくなって運動会の競技でも更にがんばってほしいものです。昼食は以前の小学校の運動会では家に帰って食べていました。今回は一緒に弁当を広げてと思っていましたが、本人が少し気恥ずかしいのか?寮の友達同士でさっさと食べてしまいました。両親と一緒の弁当という光景が私の中には自分の小学生時代もありませんでしたのでなかなかピンと実感が今でも湧きません。午後の部でもいろいろな競技を観ましたが、我が子以外の競技も観るもの全てが初めてでとても新鮮でした。

運動会2
夕刻には運動会が終了し翌日に授業が午前中あり午後から連休に突入です。そして寮は閉寮となり6日間の連休となり我が家に帰ってきます。当日に全て終了すれば一緒に車で末っ子を連れて帰るところですがそういうわけにもいきません。また翌日は土曜日で私も半日仕事がありましたので意地でもその日のうちに帰らなければなりません。疲れた体を鞭打ちながら車を運転して家に着いたのは夜7時を回っていました。体はかなり疲れていましたが、気持ちはとても新鮮で充実感を味わえた1日となりました。明日は1か月も経ちませんが、末っ子が家に帰ってきます。どんな話が聞けるかとても楽しみです。

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