データ不正や偽装問題

昔からどこの国でも企業のデータ不正問題が出てきます。最近でもVW、三菱自動車などで燃費データ不正がありました。また以前には耐震偽装があり、最近はマンションの基礎杭の偽装も発覚しました。その他探せばいくらでも出てきます。企業による偽装といっても企業全体で悪いことをしたというよりも歯車の一部で不正が行われてそれを見て見ぬ振りが多いようです。しかしそれを個人の責任として押しつけることはできません。なぜなら企業全体でみればトップからの「業績を上げよ」という無理難題を突き付けられた部下が仕方なしに不正に突っ走るという構図が見えてきます。そんなことはないとトップは言うかもしれませんが、そのような圧力をかけ続けなければ資本主義の競争社会では蹴り落とされて朽ちていくしかないわけです。そこで余分な圧力を部下にかけてその圧力に耐え切れなくなりデータ不正や偽装となるわけです。ですからその圧力をどこかでガス抜きできるように監視の目を光らせる第三者機関が必要です。前都知事の第三者の目はあてになりませんでした。そしてその透明性を保つ企業ガバナンスが確立できれば少しはデータ不正や偽装は減るかもしれません。「赤信号、皆で渡れば怖くない」という共通認識が的を射ているのではないでしょうか。つまり個人商店ではせいぜい脱税程度で税務署に摘発されて追徴課税が関の山であってこのような大がかりな犯罪はできません。集団心理で何をしでかすかわからないという企業風土が悪質な行為につながっていきます。

データ不正も偽装も脱税も粉飾決算も全て悪いことには変わりありませんが、中でも人の生命を脅かすデータ不正や偽装は特に悪質です。決してVWや三菱自動車を擁護しているのではありません。ただ燃費データ不正で人は死にませんが、エアバック不具合や建物の土台構造の偽装ではこの地震国日本では致命的でしょう。また以前の耐震基準では問題なくとも科学技術が発達すれば昔は白でも現在では真っ黒ということもよくあります。医学でも20年前には素晴らしい治療であると絶賛されていたものが、今では完全に間違いだとレッテルを張られることもよくあります。それと一緒で今回の熊本地震でも以前の耐震強度基準ではクリアされていても新しい基準ではアウトということはよくあります。首都直下型地震では都心の超高層ビルは揺れてエレベーターが止まるだけですが、一方の下町では木造家屋がつぶれて火の海となる可能性が高いかもしれません。データ不正や偽装とは少し話題が逸れてしまいましたが、いかなる場合でも人命が奪われる事態になると「前にちゃんとしていれば」という後悔は後の祭りで一生の心の傷として癒えません。肉親を事故で亡くすという経験のないものが勝手に言うのはおこがましいのですが。燃費データ不正でしたら会社を訴える、訴えないで訴訟になることは必須ですが、結局は補償というお金で解決になります。心のわだかまりは残っても一生引っ張ることはないでしょう。人間は皆弱い生き物で悪事を働いてしまうことはよくあります。悪事を働かないことが一番ですが、仮に起こしてもそれを止めるだけの監視システムを張り巡らすことが重要です。

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運動会で面白い競技は?

今年も長男の学校の運動会が屋内競技場でありました。春には末っ子の運動会も観てきましたが、運動会の競技はほとんど定番のワンパタが多いのですが、長男の学校の競技は他の学校では見られない種目もあって結構面白いのです。その中でも特に面白い競技ベスト3を紹介しましょう。第三位はクラス皆で足首をくくって50mを走り抜ける30人31脚といっていいのでしょうか、これは途中で誰かの脚がもつれて倒れることが多いのですが、クラスの中で事前にかなり練習しているところはほんの10秒程度で一気にゴールまで駆け抜けていきます。これはクラス全員の一致団結が大切で見応えがあります。


第二位はこれもクラス対抗全員リレーです。つまりクラスの全員が男子、女子を問わず一人100mを走ってバトンをつないでいくのです。最初に女子を配置して最終ランナーは男子とかお互いのクラスのかけひきもあります。人数が少ないクラスは男子が2回走ることもありそれが有利に働くことも多々あります。抜きつ抜かれつでこれも大いに盛り上がります。そして何といっても最終ランナーがゴールを駆け抜けた時はビリでも皆でつないだバトンをみると感慨深いものがありあます。

そして個人的に好きな第一位はクラス対抗ブリッジです。これは説明が難しいのですが、クラス全員が馬跳びの恰好で一列に並びクラスの小柄な代表の一人がその背中の上をどんどん走っていくのです。走り抜けたらその馬跳びの恰好をしたブリッジの子供は急いで先頭まで走りまたブリッジを形成してゴールまで延々と繋いでいくのです。これは今までの運動会では見たことがなくとても面白く盛り上がります。
その他には定番の玉入れがありますが、この玉入れは高い棒の上の籠以外に先生が背中に籠をかついで玉を入れられないように走って逃げ回ります。騎馬戦は学年混合騎馬戦でこれも色ごとの作戦で見応えのある競技です。ここの中高の運動会はこのように従来の競技でもそれに一工夫してあり見飽きることがあまりありません。それと体育館ですので梅雨時分でも雨天延期もなく熱中症にも絶対ならないのが参観者と参加者双方に利点があります。また梅雨時分でジメジメと湿気が高いのですが、クーラーもかかっていて快適に観戦できるのもとても魅力です。昔の運動会からすればとても斬新的で運動会らしくないと言われればそれまでですが、慣れてしまえば心身ともにとても快適な運動会です。

長女は卒業しましたが、長男は来年高3でもう1回参加できます。毎年の運動会で同じ競技で飽きがきそうなものですが、それは我が子が出場する運動会なので楽しいのです。これが他人様の子供の運動会だったら楽しいとは思わないでしょう。というよりはまず観に行くことはありえません。我が子がいるから観に行くのですから。今回も1日かけて広島まで観に行きましたが、自分は参加しない運動会を観るだけで楽しい1日を過ごすことができました。今年の運動会で長男は審判団のまとめ役で頑張っていました。これも青春の一コマですが、卒業して大人になり同窓会をしたときには必ずや酒の肴で盛り上がるに違いありません。

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オムライス

卵料理には目玉焼き、ゆで卵、オムレツ、オムライス、卵かけご飯など世界標準から日本独自の食文化まで多彩です。卵の黄身には動物の赤ちゃんが生まれたときの栄養不足を補助するために必要な栄養分が盛りだくさんです。ですからその他人様の栄養分を飽食の時代の人間様が横取りするわけですからメタボ一直線は自明の理です。これがアフリカなどの飢餓に苦しむ国々では人も生きるための貴重な栄養源になるわけです。日本でも戦前戦後の食糧難の時代には非常に重要な栄養源でしたが、現在では卵を食べなくても栄養失調になることはありません。養鶏卵業者の方々が非常に安価で高栄養価のものを提供してくださっていることに関しては感謝しきりです。このように人間が生きていく上でてっとり早く栄養補給できる代物ですから、人類の食文化として多様な食べ方が発展してきたのだと思います。日本では衛生面が非常にきめ細かなため卵かけご飯やすき焼きで生卵をつけて食べる文化が発展してきたわけです。

前置きが長くなりましたが、今回のテーマはオムライスです。オムライスは生まれて物心がついた時から知っていましたが、ケチャップご飯に薄い卵焼きをのせるものであると当家の食文化では思っていましたが、20年前に東京の洋食屋さんの老舗で「たいめいけん」のオムライスを食べて考え方は一変したわけです。ケチャップご飯にのっかった卵がこんなにフワフワなのかと当時の自分が感心しました。その後機会あれば再度行きたいと思っていましたがなかなか訪問できませんでした。やっと学会出張で娘も関東にいますので世代を超えて語り継がねばいけないと思って連れて行きました。当時からのメニューは全く変わらず一気に20年前のレトロな気持ちに再突入してしまいました。以前に食べた定番の伊丹十蔵風のタンポポオムライスを今回もオーダーしましたが、過去にはなぜタンポポと命名されたかはよく理解できませんでした。20年の時を経てやっと「これがタンポポのように見えるのだ!」ととてもシンプルですが理解できて20年越しの宿題が解決した瞬間でした。味もとてもシンプルで飽きのこないこれからも定番として生き続けていくにちがいありません。値段は一食1950円で日本橋の土地代も含めて高いと思うか妥当と思うかは人それぞれの価値観で変わってくると思います。開店が11時からで私たちは10時40分頃行きましたが、すでに20人ばかり並んでいました。都会は本当に皆さん、並ぶことがお好きなようです。その後開店の時にはおよそ50人の行列になっていました。

20年ぶりの待ちに待ったタンポポオムライスとの再会です。定番の50円のボルシチとコールスローもオーダーしました。最初に出てきたときはケチャップご飯に乗ったオムレツという感じですが、それをナイフで一本の切れ込みを入れるとタンポポが花開いたように見えるのです。その花が開いた瞬間の過程を今回写真に撮りました。このようにシンプルだけど日本の洋食文化にも貢献してきた卵料理ですが、皆さんも機会があればご堪能してみてください。

「たいめいけん」のオムライス 「たいめいけん」のオムライス2 「たいめいけん」のオムライス3

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初めての事だらけ

末っ子が寮に入って早3か月が経過して来月は夏休みで帰ってきます。光陰矢のごとしで時間は過ぎています。特にこの2か月は子供にとってはテレビで人気のあった企画で「初めてのお使い」がありましたが、毎日がそのような感覚だったと思います。4月は寮生活や学校生活など見るもの全てが新しいもののオンパレードでした。30年以上も前のことですが、私が高校を卒業して上京したときの感覚と似ています。ただし家を離れた年齢が違います。18歳の当時の自分に対して末っ子はたかが13歳です。この5年の差はとてつもなく大きいはずです。今の50歳を過ぎて人生を半分以上経験してきた者にとってはこの5年はとても魅力的に感じます。今の自分なら13歳でも喜んで行くでしょう。当時から九州には中高一貫校がありましたからもし私が行きたいと言ったら両親はどんな反応していたでしょうか?しかし当時の私の学力では小学生の時に中学受験という目的で勉強をしたことがないわけですから100%不合格判定のE確実だったでしょう。そういう意味からすれば我々の時代は学校の教科書も分厚くゆとり教育世代では決してなかったのですが、のんびりした良き時代だったのかもしれません。

5月の連休が終わると早速初めての中間試験がありました。いくら受験をしてきたからと言っても学校での定期考査は別です。特に初めての順番が出ます。受験では合格でも不合格でも当人にはビリかブービーかあと一歩だったのかはわかりません。ところが定期試験では1番からビリまでの席順がついてしまいます。流石にこれは初めて経験する人にとってはシビアなものになるはずです。いくら義務教育とは言いつつも「お前はトップでお前はビリ!」と判定されてご親切にちゃんと順番まで出してくれのですから。私も当時のことで肝心なことは覚えていませんが端々のことはいろいろと記憶を辿ると出てきます。最初だから確か試験1週間前になるとテスト週間でクラブが休みになりました。それは今と一緒です。そして毎日夕方には帰宅して夜遅くまで試験勉強をしました。それも一緒でしょう。流れとしては昔も今も変わりありません。その当時もトップからビリまで結果は出ますが、それで非行に走ったりすることはありませんでした。前回の中学の同窓会でも中学の成績なんて大人になってみれば職業は違えども基本的に皆が真面目に生きています。世の中の全ての人間を対象にすれば外れる者もいますが、それが成績とは相関しないのではないかと証明はしていませんが直感でわかると思います。成績よりも周囲の友人関係や親子関係の方がはるかに重要であることは現代の痛ましいイジメや非行事情からも明らかです。5月下旬に最初の試験結果が発表されて、その結果が良くても悪くても末っ子にはその事は夏休みに帰省したときにしっかりと伝えなければなりません。

中間試験後の5月下旬から新中学1年生は課外クラブ活動が始まりました。希望の硬式テニス部に入部してがんばっています。今しかない中学時代を寮生の友人と文武に渡って悔いなく過ごしてほしいものです。

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オリンピックイヤーの6月第1土曜は大学同窓会

4年ぶりの大学の同窓会に参加してきました。今回は大学創立100周年という記念の節目で西新宿の都心の大学病院の建て替えがまさに始まろうとしている矢先です。そのような中でのハイアットリージェンシーでの6.4の同窓会でした。学生時代にはセンチュリーハイアットと呼んでいました。我々は昭和63年春に卒業したので4年に一度6月3日に一番近い土曜日に東京の新宿の懐かしい地で同窓会を開催することになっています。今回はそのオリンピックイヤーの6月4日の土曜日がその日に当たりました。次回は東京オリンピック開催のカウントダウンのときに同窓会があるわけで、その時は新宿都心の摩天楼に新しい新病院が聳え立っていることでしょう。とても楽しみなのですが、かなり高額の寄付金を求められていまして懐具合としてはかなり痛いのも事実です。

さて今回もそそくさと土曜の午前中の仕事を終えて急いで車に飛び乗り、山口宇部空港からの1泊2日の旅行です。普通は学会出張で上京することが多いのですが、同じ飛行機に乗るにしても気分が高揚しています。今回の機上は特別で過去の青春時代を思い出しながらのこのブログを書いています。たくさんの思い出が現れては消えていきます。友達のこと辛かった学生時代の試験で追試を受けたこと、そしてバレーボールというクラブを通してのいろいろ思い出が走馬灯のように流れていきます。いつもの出張での機上ではそんなことは決して起こりえません。あっと間の空の旅で羽田空港に到着。

同窓会に出席すると懐かしい顔ぶれが並んでいます。30年という時が一気に逆回転してその当時と変わりありません。前回も参加した友人もいますが、今回初めてという友人もいてどんどん昔話に花が咲きます。今現在の状況を話すと愚痴になりますが、昔話に愚痴なんてありません。一瞬でも当時の自分を探したくて同窓会に参加しているのかもしれません。飲みながら30年前の自分と30年後の自分を映し出してみます。あと何回ワクワクしながら6.3同窓会に臨めるのやらと一抹の不安も交錯します。会が始まってあっという間に夜は更けていきます。それこそ「時間よ、止まれ」とエイちゃんが登場してきます。新宿2丁目のおかまバーで朝までカラオケを歌ったことも昨日のことのようです。今回も参加してない青森出身の出席番号がひとつ前のやつ、何をしているのだろうなんてことも酔った頭で考えたりします。そんな楽しい時間は線香花火のようにはかなく過ぎていきます。

翌朝は在宅医療の学会に参加する予定でもういつもの自分に戻っています。昨夜の出来事も一晩寝て起きた時には浦島太郎のように煙となり、新宿都心の摩天楼は現在の自分には関係のない東京です。学生時代のセピア色の新宿の摩天楼は記憶のどこかに消え去っていきました。つい感傷的になるのですが、一瞬の楽しい時間を昔の友人と共有できてよかったと思いながら山手線に乗って新宿を後にして学会会場の横浜に向かいます。これからも何度も上京しますが、同窓会参加前のワクワク感は生まれて初めて大学生になって上京した時のあのドキドキ感と同じで、何歳になっても色褪せることはありません。

写真はホテルから眺めた懐かしい西新宿です

西新宿
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