末っ子の卒業

富田東小学校 卒業式3月18日金曜日、わが母校富田東小学校で末っ子の卒業式がありました。今までに何度も見てきましたが、大人への階段を一段上がる大切な儀式だと思います。最近の世のお父さんの出席率は目を見張るものがあります。お父さんは皆さん三交代なのでしょうか?それとも時間休を使って抜けてきたのでしょうか?それとも有休でしょうか?かなりの数のお父さんが出席されていました。一度でいいから診療所の玄関に「卒業式出席中のため2時間不在」なる張り紙をしてみたかったのですが、さすがにそこまでの勇気と図太さははまだ自分には持ち合わせていません。もうあと30年ほどしか残りの人生がないのですが、もう少し歳をとればそれくらいの図々しさは自分の性格からしてできるかもしれません。しかし今回は雨も降り患者さんがまばらだったために卒業証書授与は家内のメール連絡で直に参観できました。本当に雨の神様に恵まれたのかもしれません。

これからも人生の節目で卒業式は必ずあります。学校を卒業する以外にも精神的な心の卒業式や社会的な卒業式もあるでしょう。そしてどの卒業式も本人にとっては重要な人生の一コマですが、親からみれば形のある卒業証書や合格証書をもらわないと子供が真の意味で卒業したかどうかは別にしてなかなか実感が湧きません。自分の場合は高校の卒業式は大学の二次試験で出席できませんでした。小学、中学、大学では卒業式に出ましたが、今でもおぼろげな記憶で残っているのは小学、中学だけなのです。それも卒業証書をもらう瞬間はあまり覚えていません。それよりも卒業式が終了して各クラスに戻ってから最後に担任の先生からはなむけの言葉を頂いたことも覚えていませんが、これからそれぞれが自分の道を歩むための最後の別れと出発が交錯したときのあの教室での嬉しい?悲しい?かよくわからないけどピンと張りつめた緊張感、その瞬間を一番よく覚えています。多分子供たちもその瞬間を通過点としてこれからも一歩一歩成長していくことでしょう。

三寒四温でこの季節は木々もその寒さを乗り越えて芽吹いてきます。桜の花は寒い日があるからこそ4月に一気に2週間で咲き誇って散っていきます。菊なども昼夜の長さの変化を蕾が感じ取って花が咲きます。人生も全てバラ色では決してありません。そんなことは子供でも理解していることですが、きれいな花を咲かせるためには各々の努力と才能が必要ではないかと思います。才能といっても勘違いしないでください。持って生まれた能力や親から引き継いだDNAでも親の七光りや知名度でもありません。謙虚にひたむきに気持ちを持ち続ける才能です。諦めなければ失敗なんてありません。継続は力なりです。夢があれば当然それが人生の目標になりますが、仮に夢がなくても憧れはあるでしょ。憧れがなくても今やりたいことくらいはあるでしょ。何かあるはずです。何もなければまずやりたいことを探すことから始めましょう。焦る必要は全くありません。必ず時間が解決してくれます。自分の子供だけでなくこの東小を卒業していく子供たち皆に我々大人は未来を託すわけですから、陰ながらこのブログで卒業の言葉として送りたいと思います。

カテゴリー: 日常のこと | コメントする

何かと気忙しい季節

長女と末っ子の受験が終わり行先も決定し、長男の学年末試験も終了。後は今春からの新しい寮に入るための準備などで忙しく一番浮つきそうでフワフワした時期というのでしょうか。巷では花粉症が猛威を振るっていますが、私も子供たちも現代人で花粉症に悩まされています。大きなイベントが終わると今まで必死でやってきた分、ケリがつくと心にポカンと虚脱感の大きな穴が開くと言われますが、子供たちはそうでもないようで親だけが次の心配ばかりしています。やはり親バカだなあと再認識してしまいます。

長女は女子寮ですがそれでも心配です。いろいろな準備の前にまずはスマホの新規購入です。今までは受験生のためガラケーで十分でしたが、今後は半社会人でいろいろな場面でスマホは必需品でしょう。そして親との連絡手段だけでしたらこれからもガラケーで十分ですが、現代の友人との希薄なコミュニケーションのためにはラインも使えるスマホでないと現代若者社会では乗り越えられないのかもしれません。多分この機会に自分もスマホに乗り換えなければ一生ガラケーでいくだろうと思います。しかしまだまだ若い者に従うほど老いてはいませんので夫婦揃って一緒にスマホに買い換えることにしました。生活必需品を揃えたり入学金を含めた学費などやたらと諭吉さんとは縁遠くなる気忙しい季節です。そうするうちに今月末に我が愛車のマーチが7年目の車検がやってきます。そろそろ買い替え?と悩んでいたところですが、気忙しさと出費の多さに呆れて車検に出すことにしました。また娘の自動車免許の取得も夏休みから始まりますが、免許を取得しても都会の寮ですから車なんて不要です。すると帰省すれば運転技術の維持のために売ればタダ同然の私の愛車が格好の練習車に早変わりです。まかり間違っても新車で娘の練習なんてさせられません。しかし一番大きな理由は諭吉さんに間違いありません。末っ子はといえば小学生最後の春休みを謳歌していますが、やること満載です。受験を終えても新しい学校に入学するまでに課題が出されたり、中学生生活に向かっての良いスタートを切ろうという塾の受け売りに「まあ、週1回ならいいか」と講習を受けたり、取得できなかった英検を早速6月に受けるための勉強をしたりと基本的にあまり以前と生活習慣は変わっていません。しかし本当のスタートは二人とも入寮してからです。今までは親と一緒に住んで全ての事をしてもらって勉強だけすればよい世界から今度は掃除など身の回りの事や自主学習など全てを己管理しなければなりません。そして新しい世界で一番大切で尚且つ一番難しい人間関係を構築していかなければなりません。たかが13歳の子供がするのです。中にはまだ早いと思われる方も多いかもしれません。私は上の二人の子供をずっと見てきて末っ子の性格からして13歳からの入寮する中高一貫校がベストだと思っていました。6年後に本当に入学させて良かったと思う日が来ることを信じています。

そんなこんなでもう次の事ばかり悩んでいる自分がいますが、受験の嵐の中を漂って手も差し伸べられない頃から比較すれば不安ですが、今は毎日がとても充実しています。

カテゴリー: 日常のこと | コメントする

冠梅園は2年ぶり

以前は毎年のように訪れていた室積の冠梅園ですが今回は2年ぶりです。家族皆で一緒に行動することなんて年に数日しかありません。これから歳をとるにつれて皆で一緒に行動することなど減りはしても増えることなどありません。そのような貴重な日でしたので皆のスケジュール調整をして5人で行きました。昔は自分の両親を連れて行ったこともありましたが、現在は足腰が弱って少ししか歩けません。冠梅園の小高い山に登ることなど到底無理難題で誘うことすらしなくなりました。その冠梅園には過去のいろいろな記念日に梅の木を植えて合計4本の梅が咲いています。今回は第二ステージの第二幕の開園にあたり5本目の梅を植えてきました。今回の梅は名付けて第二幕の梅です。今までの梅は誕生日などの生誕記念だったのですが、今回は新たなスタートの記念樹です。このように自分たちの家族年表に従ってその時節に合わせて梅の木を植えることはとても良い思い出となって残ります。10年20年と経過してその当時の梅の木が大きくなって花を咲かせていたらその一輪の花を見るだけでその当時の楽しかったことや辛かったことを思い出します。別に辛いことなど思い出さなくてもよいのですが、そのような辛い出来事も後世から見れば家族年表に花を添えてくれます。2年ぶりの梅の木との再会ですが、実際に見るまでは枯れてはしないかなどいらぬことばかり考えてしまいます。見た瞬間、しっかりとした花が咲いていましたのでほっと胸を撫で下ろしました。今年は暖冬のため梅の咲き具合も早いようです。あと数週もすれば桜が咲き始めます。梅もきれいですが、冠梅園の眼下に広がる瀬戸内の穏やかな波が午後の柔らかい日差しに反射してキラキラ輝いて見えるのはいつ来ても絶景です。そして春風に乗ってかすかに聞こえてくる音色や梅の匂いもこれからの子供たちの旅立ちを優しく後押ししてくれているようです。これからは当分の間は毎年私たちだけで来ることになるかもしれません。しかし可能な限りこれからも5人で来たいと思います。そして次のスタートの時に6本目の梅を植えるつもりです。


いつも冠梅園に行った後には地元の中華食堂に顔を出します。地元では昔からある安くて美味しいという評判の庶民的な中華食堂です。家内の実家が室積ですのでかれこれ行き初めてから4半世紀が経過しています。最初の頃、今は亡き義父と一緒に行ったこともあります。店の中は25年前から変わらずレトロな雰囲気が漂っています。そして味も値段もほぼ当時とあまり変わりありません。年に1回ここに来て皆で中華を食べることも冠梅園ツアーの一連の行動に組み込まれているのです。今回は2年ぶりでもしかしたら店の雰囲気が変わっているかも?といらぬ心配もしていました。そして店に入るやいなやいつもの調子で店主のおじちゃんが「いらっしゃい」と声をかけます。そしてお勘定を終えたお客さんには「おおきに」という声が店内に響きます。この声も私たち家族の元気の源です。そのようないつも変わらぬ雰囲気が漂うお店に行く予定でしたが、たまたま「本日は定休日」の看板が出ていました。残念!またの機会に行くことになりました。

カテゴリー: 日常のこと | コメントする

守らなければならないもの

皆さんは守らなければならないものと言えばどんなものを想像しますか?守らなければならないものには2種類あります。一つは法律などの人間が生きていく上で守らなければ社会生活が成立しない最低限のルールです。もう一つは愛する家族などどうしても自分の手で可能な限りの力で防衛しなければならないものです。国家でもそうです。自分が住んでいる国や故郷があるからこそ守らなければならないという使命感が出てくるのです。もし無国籍で流浪の民ならばその愛する土地を持たないのですから、もしかすると守るべきものがないかもしれません。しかしそのような人々でも守るべき家族はいるでしょうし、もっと大きな目で今現在生きている青い地球という惑星を宇宙からみればこの星を皆で大切に守っていかなければいけないと思うのではないでしょうか。

この青い地球を宇宙から眺めることのできる人はこれから将来宇宙旅行が盛んになれば話も変わりますが、今は写真や宇宙飛行士からの動画映像でしか見ることができません。この青い地球を我々は守っていかなければなりません。しかしそれはとてつもなく大きなことで今現在自分たちの生活で汲々としている者にはそのような余裕などありません。ですからもう少しわかりやすい身近なものを対象にしてみましょう。そうすれば自ずともっとも身近な存在は家族になるわけです。家族といっても両親や子供など血縁関係をたどればきりがありません。人類は皆兄弟!なるフレーズが昔、日本船舶振興会の笹川会長が叫ばれていたのを記憶している方は40歳以上の方でしょう。でも生きているものは皆平等で差別など絶対にいけないと学校では教わりますが、社会に出れば差別、区別の嵐で更に本音と建前の世界です。クジラやイルカは保護しなければいけないと叫ぶ一方で豚や牛は同じ哺乳類なのに食べてもいいのでしょうか。大きな目で見ると少し違和感を持ちます。自分が牛肉や豚肉を食べるから言い逃れをするわけではありませんが、生きるもの全て平等という観念からすれば違和感があると言いたいだけです。だからといって私はベジタリアンになって頭を坊主にして仙人になろうなんて思ってはいません。でも月に立って青い地球を見ることを想像すると、今の自分も少し立ち止まってもう少し微力ながらでも考えなければならないと思うのです。少しでも考えればその分だけ行動も変わります。個人個人は微力でもその小さな行動変容が集まればこの青い地球を守ることになるのです。そして最終的には一番小さな単位である家族を守ることにもつながるはずです。

規則を守ることと大切なものを守ることは同じ守るでも全然意味が違いますが、規則を守れないものにもっと大切なものを守れるわけがないと私は思います。そしてその小さな一つ一つを守ることがやがて大切な家族を守り人類ましてや生きるもの全てを守ることにつながるのではないかと思っています。どんな些細なことでもちりも積もれば山となり、小さな雨の一滴も長い年月で岩をも砕き大河となる、そして前へ進んでいけば必ず道は開けると信じています。

カテゴリー: 日常のこと | コメントする

第一幕から第二幕と第二ステージへ

やっと長女も大学が決まりました。決まった後も多くの学校の合格発表があり現在まだ入試チャレンジ中です。第一志望には届きませんでした。自分で納得して臨んだ2浪目の春です。行先はどこであれ、これからの人生のチャンスを最大限に生かして前を向いて進んでいってほしいと思っています。

人間なんてたかが80年、そのうちでもまだ20年しか経過していません。そして皆が皆第一志望の夢と相思相愛になるなんて絶対にないのです。自分が18歳の時は運よく医学部に現役合格しましたが、もしその当時親が医者でなかったら、まず医学部に行ってなかったでしょう。親が医者だったから運よく合格した学校への入学金など学費と更に上京して東京での生活費まで援助してもらえたのです。全てがひとつの線として繋がったからこそ私の人生も順風万峰にいったように見えたのかもしれません。しかし30年が経過してその当時の風が本当に正しい方向に吹いたのかどうかを今の自分が考えてみても納得した答えがあったわけではありません。結局は死ぬ間際になって家族に看取られながら「自分の人生が正しかったかどうかではなくて間違っていなかった」と思えれば二重丸の花丸ではないかと最近は思うようになりました。これから人生の航海に旅立つ娘に先々後悔しないようにしてほしい。そして一番の夢が全て一番とは限らず、二番の夢が結果として一番の夢よりも自分に適しているかもしれないということを。ただしそのためにはいつもその時々に置かれている状況に対して真正面からぶつかり全力投球をすること、それがなければどんなによい結果でも決して自分に納得できないかもしれません。自分が納得した人生と皆はよく言いますが、本当に納得なんてしているの?と思います。その場ではそのように納得した風に思い込みますが、時間が経過するとまた疑問がふつふつと湧いてきます。その時に軌道修正できればまだラッキーです。しかしその頃になると更に年齢を重ねてそれなりの社会的、家族的立場に置かれてしまうと明らかに優先順位が自分から他者に変わっていきます。そうすると自分の感情は抑えて他者を優先しなければならなくなります。そしてまた月日が経過していくうちに自分の航路はあらぬ方向に向かうこともよくあります。その時にはもう全く軌道修正がききません。なぜなら物理的、肉体的、精神的にその高いハードルを越えることができなくなっているからです。中にはそれでも乗り越えていく人もいますが、大半は諦めてしまうのです。ですから少しでも軌道修正ができるうちに物事に対して逃げないで真正面から向かっていく気持ちを持ち続けてほしいのです。その勇気とやる気さえあれば夢なんて1番であろうが2番でも3番でも全く関係ありません。その時々のチャンスをしっかり掴んでいけばいいだけなのです。

今年2016年は末っ子の中学受験から始まり長女の合格でやっと第一幕が閉じようとしています。そしてこれからの私にとっての第二ステージと子供たちの第二幕をこの未来への日記にしたためていきたいと思っています。

カテゴリー: 日常のこと | コメントする