安保関連法案について考える

現在、末っ子は自衛隊に興味を持っています。先日書店で防衛白書が陳列棚に並んでいました。折しも安保関連法案が成立した直後です。政府も意識して店頭に並べたのでしょうか?しかし普通のお客さんは見向きもしません。当然私もそうです。しかし末っ子は以前からパイロットに興味を持ち最近では自衛隊に興味を持っています。自宅では水鉄砲を片手にバンバンとやっています。上の二人は全く興味を示さなかったのですが、3番目だけが異色のキャラです。国を守るという大義は理解しているのでしょうが、それ以上に表面上の興味が勝っているのも事実です。そして目を皿のようにして防衛白書の中の小さい文字を読んでいます。国語の文章を読んで解くのは苦手な彼ですが、好きな読み物には没頭しています。今まさに法律が制定されたものの、今後もずっと合憲と違憲の議論の渦中の安保関連法案です。自衛隊関係者の本音をうかがい知ることは困難ですが、国を守るための立派な仕事だと常々末っ子にも言い聞かせています。国の将来を左右する議論ですので自分の将来よりも子供たちの将来まで考えて国会の前で安保法案反対と叫んでいる人々の気持ちも十分に伝わってきます。国会の場で手続きに瑕疵があれば別ですが、手段が最適とはいわないまでも最後は民主主義の多数決で決まったことですので我々は従わなければなりません。私個人としては抑止力も必要という意見ですので今回の法案には若干賛成よりにいます。しかし反対意見も十分に理解できますので、本当に廃案にすべきと今後思うようになれば次回の国政選挙でNOの候補者に投票して廃案を支持すると思います。ただしその時々の世界情勢や国内情勢で選挙の争点も変わってきますし、国民が熱しやすく冷めやすいとすぐ過去の事実になることも以前にはあったように思えます。ワンフレーズでいえば戦争法案は反対ですが、戦争抑止法案なら賛成です。小泉政権以後どうも国民はワンフレーズでYESかNOの質問に弱いようです。建前を言えば憲法改正をしてから堂々と安保法案を通すのが理想だと思いますが、そこまで踏み込むとなかなか決まるものも決められないのも事実です。過去に政権選択でいろいろと問題が生じたために現政権が誕生したことも事実です。ですから結局は次の選挙まで今回の賛成と反対のモチベーションを維持し続けなければなりません。

自分たちの世代や子供たちが戦場に行くことは絶対に反対に決まっています。自衛隊員が他国との戦争に巻き込まれる可能性は高くなるのか、それとも抑止力の方が勝って可能性が低くなるのかは不透明です。政府の公式見解は後者です。どちらが正しいかは歴史が証明するという総理の言い分もまちがってはいませんが、正論から逸してうやむやの論理の中で決められたこともまちがいありません。末っ子はまだ12歳ですので本当に自衛隊に入隊したいと思い続けるのかどうかはわかりませんが、彼が自分の将来を悩むであろう10年後には本当にこの法案が正しかったかどうかは歴史が証明してくれることでしょう。安保法案に対して賛成と反対にわかれても戦争反対は国民皆の総意にまちがいありません。

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最後の小学校運動会

とうとう今年が末っ子の最後の小学校の運動会です。今年成人式を迎えた長女の小学1年の運動会参観から始まりかれこれあしかけ14年目になります。毎年の運動会で競技内容は変わりませんが、それでも見飽きることはありません。それは我が子が登場するからにほかなりません。自分の子供のいない他人の運動会なんて多分見る気もおこらないのではないでしょうか。ということは来年からは小学校の運動会は他人事にやっているなあという感じでしょうか。今年も運動会は土曜日です。午前中は仕事と両立させるためにいろいろと画策するのですが、なかなか時間休をとって抜けるようにうまく事は運びません。結局は午後からの組体操のみが唯一最後の運動会参観です。小学入学時と比べたら体も大きくなりかなり成長しました。そして昨年の5年の時の組体操ではまだまだひ弱に映りましたが、今年はたくましく見えます。親の欲目が半分といったところでしょうか。それでもかまいません。最後の組体操のフィナーレのワンショットのために必死でカメラのレンズ越しに姿を追いかけます。ぶれてなかなかよいワンシーンは撮れません。何十枚も撮影した中で1枚でも生き生きとしたワンショットさえあればそれでいいのです。デジカメの普及により素人でも思い出の一コマとして未来まで残すことができるようになり、誰もがプロのカメラマンとは言えないけれども自称をつけることができるようになったことはひとえに日本の物作りの最たるものでしょう。

息子は最終種目のお決まりの選抜紅白リレーには出場できませんでしたが、最後のランナーがゴールを駆け抜けて真っ白なテープを切ってピストルが「パーン」と鳴った瞬間、これでひとつの大きな区切りが終わりました。あとの整理体操や校長先生のお話などはもうオプションに過ぎず「ひとつの区切りが終わってしまった」という何か寂しい黄昏気分に浸ってしまいます。まだまだ卒業式は半年近く先のことなのですが、これで小学校生活も最終コーナーを周って白いテープに向かってひたすら走っていくのみとなります。来年の中学の運動会も必ず観に行きます。しかし今年とは少し趣が違うでしょう。同じ子供でも小学生までは二人三脚で過ごしてきました。しかし中学生になると体が大きくなる以上に心も成長していき少しずつ親から離れていきます。それは当然で喜ばしいことです。そしてクラブ活動が始まり学校中心の生活へと変化して親と一緒に行動する時間は限られてきます。また反抗期などの思春期を迎えて親子間での感情の摩擦が出てきます。そんなことをいろいろと考えると上の子供二人の時も中学生になると急に親元から離れていくような感じに陥りました。だから小学校最後の運動会は来年以降の運動会とはちょっと違うのです。そしてかれこれ14年間にわたって参観を続けてきた運動会も今日でひとつの区切りで卒業です。

運動会当日の朝、熱き戦いの長い1日が始まる前の静けさとヒンヤリとした空気が漂う小学校の運動場です。

小学校の運動会

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妥協点を見出す

政治は妥協の賜物とよく言われます。外交上どうしても不利で納得いかなくても相手の言い分を聞いて足して2で割るという政治的落としどころは過去にもたくさん経験してきました。不合理なことも多々あります。世界平和のために国連が存在してその部門でも安保理は非常に大切な役割を果たすはずです。しかし実際は第二次世界大戦戦勝国の大国5か国のみに割り振られ、どこか1か国がNOと拒否権を突きつければ話は全てご和算になりますし、核の保有も認められています。いくら抑止力が重要といいながらも結局は大国の言いなりになっています。国連にはたくさんの国が加盟して1票をもっていますが、結局は大国の1票の方が重要です。同様に日本国内でも同じことが言えます。1票の格差と叫ばれて最高裁で違憲と判断されて是正勧告がなされていますが、一向に選挙制度改革は進みません。会社でも声の大きい人が何事にも有利な一方で黙っていると不利になります。また権力者の下についたものが得をするという利害関係も多くあります。このように現代社会に蔓延るいろいろな矛盾点を書き並べましたが、それでもルールはないよりあった方が良いに決まっています。なければ無法地帯化して更に皆が勝手なことをして社会が滅茶苦茶になってしまいます。でも真面目な人々や弱者が損をすることが多いのも事実です。真面目な人々が社会に嫌気がさしてしまう悪循環だけは必ず止めなければなりません。

昔は妥協という言葉は個人的に嫌いでした。若い頃は妥協という言葉の氷山の一角しか理解していませんでした。歳を追うごとにその言葉の海に隠れた本当に大切な部分が少しずつ理解できるようになりました。勿論、表面上の問題だけで事が片付けばこの上ないことですが、現実はそうはいきません。もっと身近なことでいえば、仕事上の契約しかり、対人関係にしかり、相手の立場に立って考えるということはその時点で妥協も伴うことだと思います。自分の言い分ばかり主張しても世の中ではうまく生きていけません。そこで相手の言い分をしっかり聞いてそこから妥協点を引き出してうまく着地点をみつけることもその人の重要な能力です。そしてその妥協点を引き出すという能力を身に着けるためには多様な人々の考えに接して経験していかなければ相手の立場に立てません。決して相手の立場を全て肯定せよと言っているわけではありません。肯定や否定はその個人の考えや意見であって相手の意見を受け入れることとは異なります。受け入れると相手も心を開いて自分の意見も聞いてくれます。そして譲れない部分は誰しも必ずあります。その譲れない部分は妥協せずに自己主張をして譲れる部分は譲る、それが妥協点を見出すということだと思っています。TPPは一体どうなるのでしょうか?

昔は決して妥協点を見出すことのできなかった私ですが、歳をとると昔は見えなかった物が老眼でいろいろと見えてきますが、一方で遠くの文字や近くの文字は余計に見えにくくなりました。いずれは耳も聞こえにくくなるかもしれませんが、自分にとって都合のいいことはよく聞こえて、都合の悪いことは聞こえにくくなっていくようです。

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鶏口となるも、牛後となるなかれ

最近、この諺に思うところが多々あります。例えば、大病院の勤務医だった自分と今の個人診療所の長。どっちがお得?別にお得でもなんでもないわけですが、どっちのスタイルが自分には合っているのだろうかと。そこでその諺の登場です。諺を字のとおりに読んで解釈すると、後者の診療所の長の方がよいということになります。ただこれも一長一短いい面もあれば悪い面もあるため模範解答はないと思います。

では別の事例で考えてみましょう。例えば受験。大学受験は不合格でも翌年実力をつけてリベンジができますので、その年での勝負しかない中学受験を例にとってみます。東大医学部を卒業され作家であり受験指導で有名な灘高出身の和田秀樹先生曰く、「受験は合格点より数点上で合格するのが理想的である」と何かの本で読んだことがあります。少なくとも受験とは限られた定員枠に滑り込むための手段と考えればなるほど的を射ていると思います。他人との競争ですが、結局は自分との闘いで定員枠内に滑り込む目標点をクリアすれば合格可能なわけです。また別の本では中学などのリベンジできない受験では、ぎりぎりの合格点で滑り込んでも、その後の学校のレベルについていけるか?つまり喩がいいかどうかわかりませんが、ぎりぎりの伸びきったゴムひもで更に高いレベルについていけるかどうかも問題になります。ランクを一つ落として鶏口になった方がよい場合もあるのではないかという意見です。子供は無限に近い可能性を秘めているため、新しい環境でも社会に適応していける能力をそれまでの家庭や学校でしっかりと身に着けていれば問題ないと個人的には思います。しかしまだ十分に心身の発達ができてない場合、更につっこめば基本的な生活習慣などが身につかずに試験のための勉強のみを詰め込まれた場合は、新しい環境に適応できないのかもしれません。他の例を挙げてみますと、ミツバチの集団は働きものかどうかという能力で集団が上中下のクラスに分かれますが、次の実験で上のクラスのミツバチだけを集めて集団を作ったとしても、新しい集団の中でやはり上中下に分かれてしまうそうです。一方、働かない下のクラスのミツバチだけを集めると、新しい集団の中では新たに働き者のミツバチが出現して上のクラスを作るそうです。これは漫画ドラゴン桜で知りました。言い換えれば、頑張り屋さんだけが集まっても、その中で必ず怠け者が出てきます。しかし一度失敗しても挫折を乗り越えて新しい集団の中で頑張れば、必ずや花開く可能性はあるということを意味するのだと勝手に解釈しています。

話がそれましたが、最初の病院経営に戻ります。自分がスタッフならば過重労働や上司の存在に気を使いながらも医療に集中できます。しかし小さくとも長になると、医療者でありながら経営者であり管理者にもならなければいけません。鶏口と牛後どっちがお得?に対してそれぞれ意見はありますが、どちらに属そうが環境適応能力は必要です。自分の場合、鶏口と牛後どっちが似合っているかという正解は今だに持ちえませんが、今与えられた環境でできる限りのベストを尽くすということに変わりはありません。

今年も先月末に患者さんが毎年恒例で持ってこられたサギソウが順番に空へ飛び立つように咲き誇っています。この姿を見ると夏から秋の気配を感じ始めます。

サギソウ

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宮島を眺めて

先週家族皆で宮島を眺めるホテルに一泊してきました。今回は弟家族も一緒で総勢11人の大移動でした。長女が久しぶりに帰ってきたのに合わせての一家団欒です。長男は盆前後の1週間のみ帰ってきて今は学校寮に戻っているためそこから近いところで宮島を望む安芸グランドホテルに泊まりました。私の父も今年で87歳になりかなり足腰が弱ってきました。本当なら宮島に渡りたかったのですが、船の乗り継ぎなどを考えると対岸から鳥居を見るのもいいかなといろいろな思いが交錯して今回のホテルに決定したわけです。あと何回親孝行できるだろうか?と以前からカウントしていましたが両手に余るくらいの近場一泊旅行ができました。そして弟家族と一緒に泊るのも前回に引き続き2回目です。なかなかこの歳になって両親と兄弟家族揃っての行動も難しいものです。特に子供が大きくなるにつれ我が家のように日数と時間単位の調整でやっと実現できたわけですから。今回も7人が泊まれる大部屋を予約しました。夕刻にはチェックインしましたが、子供たちはまずは小雨の中のホテルのプールでひと泳ぎです。私はといったら勿論、ビールを飲みながら海を眺めるだけで十分です。対岸には小さく赤い鳥居が見えます。予想通りの光景が目の前に180度のパノラマで広がります。欲を言えば晴れていたらもっときれいだったでしょう。

宮島
宮島夜はホテル宿泊者のみ予約限定でホテルの桟橋から厳島神社までのクルーズに子供たちは行きました。今宵のナイトクルーズは運良く鳥居を船でくぐることができました。私はといえば飲んで酔っ払っているので船酔いしたくないため行きませんでした。子供たちは物見珍しさの夜の世界遺産に大満足で、今回の写真は船からの夜の鳥居です。

翌朝はいつもの通り前日の二日酔いを覚ますためにまず朝風呂に入ります。前夜の雨もあがり窓からは宮島を一望できます。皆で朝食を取った後に長男はバスケットの練習のために早々と広島市内の学校寮に戻っていきます。長女は久しぶりに広島の友人に会うために広島に向かいます。本当に皆で一緒にいる時間は短いものです。チェックアウトした後には事前に予約しておいた行列のできる宮島口のアナゴ弁当を取って家路につきました。今週1週間ほど長女は自宅にいますが、来週には出ていきます。今は次男のみ自宅で一緒に過ごしていますが、来年中学生になると更に皆が顔をつきあわせる時間は減っていくのでしょう。以前からわかっていたことですが、子供が成長するにつれて家族皆で一緒にいる時間は激減します。それは子供の成長した証ですから嬉しいことなのですが、一方で心のどこかに一抹の寂しさも感じるわけです。それは私や弟が家を離れた30年前に自分の両親が感じたことを時が経ち身を持って私たち子供が肌で感じるわけです。そして30年後にはまた同じように繰り返されていくことでしょう。自分がその歳になって初めて身をもって感じることで両親が昔感じたであろう気持ちが30年の時を経て次の世代へバトンタッチされていくということを心に刻みながら、決して帰ってこない今という時間を大切にしていかなければならないことをあらためて感じた1泊2日の家族大移動でした。

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