STAP細胞で頭も若返る?

最近、世紀の大発見がありました。新聞紙やテレビを賑わしているSTAP細胞です。山中教授のiPS細胞の発見もすごいことですが、今回は更にすごい。それも30歳のリケジョ出身(早大先進理工学部応用化学科)の研究者が発表したから尚更すごいことなのです。彼女は「もう諦めようと思ったり、悔しくて泣き明かした夜も数えきれない」とコメントしています。それはそうだと思います。権威のある科学雑誌「ネイチャー」から「生命の起源を愚弄している」とまで言われたのですから。しかし過去の歴史からも人類の素晴らしい発見には必ず「お前は狂っている」などと天才に向けてそのような言葉が発せられています。その批判や重圧を跳ね除けて科学の進歩があるのです。またそのような苦しいときにも「今日1日だけがんばろう。明日1日だけがんばればと思ってがんばったら5年の歳月が経過していた」とのコメントもされています。あらためてかの有名な天才が発した「諦めなければ失敗はない」という言葉を思い出します。ただこの小保方さんという科学者はその素顔は詳しく知りませんが、天才ではなく普通の人ではないかなあと思います。学業その他は優秀なことに間違いはありませんが、努力家でとてもまじめな方、そして決して物事を諦めない研究者だと思います。

このSTAP細胞はどこがすごいかを一言でいえば、山中先生が発見したiPS細胞よりも簡単に作成できて副作用が少ないことです。つまり遺伝子という生命に起源した物質を入れて細胞を若返らせるという手法からまだ限定的ながらもマウスの赤ちゃんの細胞をオレンジジュースのような弱酸性の水溶液に30分浸しただけで若返ってしまうのです。だからかの有名な頭の固い重鎮の科学者は最初に嘘つき呼ばわりをしてしまったのです。こういうことって世の中にはよくあることで、年をとり経験を積むことは決して悪いことではないのですが、反面新しい事実には懐疑的になってしまいます。私も同じです。新鮮な目で世の中を見ることはとても大切なことですが、いかんせん若いため寛容な目でみることができない。大阪市の橋本市長もとても立派な方で自分では到底真似できないような素晴らしい仕事をされていますが、ある一面の行動は子供じみている部分もありますよね。それと一緒です。ときに大企業のトップが突然若返ることがありますよね。それはまさに若い力を信じ新しい発想に期待してという意味も含まれているのでしょう。

大人になるということは、ある意味思慮深く全体を見渡すことができるけれども、物の見方が固定化されがちになり新しい発想が出にくくなるということです。一方、子供のままでいるとういうことは古い観念、概念にとらわれることなくいつも新しい柔軟な発想ができるのですが、反面思慮に欠けて暴走してしまうことも多いわけです。どちらがよいかは甲乙つけがたいのですが、個人的には「少年の心をもった大人」という言葉に昔から憧れていますし、これからもそうありたいと思って生きているつもりです。これからも日本が人類の幸福のために世界をリードしていくに違いないと信じています。

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未来への手紙 ~10年後の君たちへ~

先日、50歳への誓いということでいろいろブログに書き連ねてきましたが、60歳になったときに子供たちに読んでもらうための「10年後の君へ」というタイトルで手紙を書いてみました。なぜそう思ったか?昔よくタイムカプセルに10年後の自分に作文を書いて小学校の校庭に埋めました。実際に10年後に掘り出されたのですが、その時の実感があまり湧いてきません。それはなぜだろうか?とずっと考えていましたが、すっきりとした答えが出せませんでした。勿論、掘り出されてその当時を思い出して懐かしいという感慨にはふけるのですが、イマイチなのです。それが今回ようやく少し答えに近づいたように思えました。つまりその当時は先生に作文を書かされた思いが強かったので、自分から書きたいと思って書いてなかったのが一因ではないかと自己分析しました。もし本当に書きたいと思って書いていたらまた違ったタイムカプセルになっていたかもしれません。その意味では今回の「10年後の君へ」は自らの意思で書きたいと思って書いて、子供たちに10年間預けておき、りっぱになった10年後の子供たちに読んでもらってそれを傍らで酒を飲みながら聞くことができたら最高だろうなという単純な発想から急遽、50歳の誕生日の日に手書きで書き殴った手紙です。

また以前にこのブログで紹介しました岡村誠二さんの子供自然体験スクールで子供たちに手紙を書いて送って、子供たちがこれからどう生きていってほしいかを伝える生きた教育というものを3人の子供たちには体験させてもらっていましたので、今回のような手紙はお手の物で自然に書けたわけです。手紙を書くにあたって何を書こうかと身構えてしまうとなかなか書けません。また紙の上に鉛筆をなぞらせてもなかなか書けないものです。ワードに想ったことを羅列するだけでいいのです。その後にその単語をつなぎ合わせるのです。そうすると次第に自分の想いの塊ができて一気に文章になっていくのです。

今回、書いたこと。それは10年後までのお預けですが、10年間という月日は数えると3652日です。逆にたった3652回寝てしまうと60歳になってしまうのです。そんなことを考えながら手紙を書くと本当に人生の儚さを感じてしまいます。しかし逆説的に言えば3652回も日が昇っては沈むのです。昨日失敗して嫌な思いをしてもそれはただの1日、大成功してもその1日は過ぎていきます。今回のリケジョの30歳小保方さんがとてつもない発見をしてテレビを賑わしていますが、彼女も「今日1日だけ、明日1日だけがんばろうと努力したら5年が過ぎていた」とコメントしています。生まれて出てきたときには「元気に生まれてきてくれてありがとう」と感謝の念で一杯でした。しかし少しずつ大きくなると生意気になり、腹が立つことも多くなりました。しかしその一瞬一瞬が私にとっての最高の宝物であると後になって気づくのです。そのような感謝の念も込めて10年後の君への手紙に気持ちをしたためたのです。

さて10年後はどのようにいい歳をとって60歳を迎えることができるのでしょうか?

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忘れかけていたものを取り戻す

Blog201402031372毎年この寒い時期の連休祝日の1日は周南市内を3時間かけて歩き回っています。ちょうどスポーツジムの定休日にぶつけて、正月明けのなまった体に活を入れる企画です。もうかれこれ5年になります。3年前は長男が小5で小1の二男と3人で歩き倒したこともありました。しかし今は長男が中2で歩こうと誘っても「寒いから嫌だ」の一言で終わりです。次男は次男で忙しそうです。ですから1人で「今年の目標は何にしようか?」などと考えながらの3時間です。時速6kmくらいの速さで20km近く歩くため物事を考えながらも、それ以上に周囲の風景を鑑賞しながら「昔はこんな建物はなかったよね」とか「昔この道を制服姿の坊主頭が登下校した道で、ここにはあれがあったよね」などと昔懐かしみながら歩きますので、なかなか人生について考えようと思っても過去の記憶のフラッシュバックの連続になってしまいます。しかしそれもなかなか楽しい道中なのです。

その中で今回新たに感動したこと、今日は成人の日で国民の祝日で昔は国旗掲揚が常識でしたが、現在はほとんどの家庭で国旗掲揚はしていません。自分の住んでいるプチ都会から北へ富田川を遡ると「いました、いました!今でも日本の国旗を掲揚している家が!!」そして歩いていると田舎の中学校の生徒が見知らぬ私に「こんにちは!」と声をかけてくれます。大都会では絶対にありえないことですよね?それと全く見知らぬ道を歩いているとふと「なんか今までにこの道を通ったような・・・」とはるか遠い記憶にあるようなないような不思議な気分になります。少しずつ記憶の糸を手繰っていくと、その道は35年前の高校の時にマラソン大会で10kmの道のりを走ったコースでした。人間の記憶って本当に不思議です。一度しか走ってない道でも脳裏の片隅に残って、再びインプットされると蘇ってくるのですから。

今回の最大の収穫は過去の記憶を取り戻したことです。自分の通い慣れた中学校を見ながらその当時学んだ友人や先生やその周辺の今となっては古びた建物を見ながら「あの当時どんなことを考えながらこの道を歩いたかなあ?」なんて考えるととても新鮮な気持ちになります。歳をとっていろいろと経験や記憶が増えた自分が、あの当時の昔の姿を思い出しながら同じ道を歩く。すると同じ道でも全く違った道に見えることもありますし、全く昔と変わらない道を歩くこともあります。その差は自分の経験値の差に行きつくのでしょうが、その変化を年に1回楽しむようにしています。今回は午後3時前から出発して歩き始めて3時間で約18km歩き切りました。最初は手がじかむようなこの冬一番の寒さでしたが、歩いていくうちに体がポカポカと暖かくなりうっすらと汗ばんできました。そして最後はかなり足にきました。夕日が彼方に沈む光景をみながら暮れゆく夕闇の中を家路に急ぎました。かなり足には疲労が蓄積しましたが、そのほどよい満足感と疲れがとても心地よいものでした。

さて来年はどのような新たな気分が生まれてくるのでしょうか?楽しみです。

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シミラン諸島を旅して 最終編 ~50歳になった自分~

シミラン諸島を旅して 最終章このようにたいそう重いタイトルを掲げましたが、重いタイトルというよりも思いタイトル?もっといえば想いタイトルの方がしっくりきそうです。先日予定通り50歳になりました。あと残り人生30年ということで逆算します。それ以上は伸びたら神様が授けてくれたおまけくらいに思っていた方がケチもつきません。10年くぎりで壮年、前期高齢、後期高齢と呼び方は変わりますが、いつまでも自分は自分。体が丈夫で元気で人様の力を借りなくても自分で自分のことができるように健康に生きたいものです。

まず10年区切りの3段階を更に5年区切りに分割して6個に分けてみます。あとは以前にもお話した石原の10年日記に今後の10年の予定を書き込み、それからポケット版30年表という自分のオリジナルカレンダーを作成していつも持ち歩けるようにして自分の今後の30年史を作ります。「夢に日付を」の実践です。その30年の中には必ず家族との悲しい別れや嬉しい門出もあり、それは生きていくという証であり避けることはできません。その時の流れ中で自分はこの30年いろいろな事をして学び、またつらいことも経験して「さらさら日記」に正式に残してしまえばいいのです。そして毎回書くたびに記録と記憶のお宝が増えていくわけで、「何かあればそれを紐解けばいい」と考えたらなんとなく心の靄が晴れた感じです。「何をするか」という夢も大切ですが、この歳になると「何をしたか」という後で振り返ってみて記録を残すことも大切です。「何をするか」は「当面の夢」と「限りなく困難な夢」の間の「ちょっとがんばれば届くであろう夢」これが決めてです。

そのちょっと背伸びして届きそうな夢のヒントが今回の一人旅の中にふんだんに盛られていました。つまり自分では絶対に経験できないことや本ですら書いてないような事をたったの3日間のクルーズで参加者との夜の語らいで疑似体験をさせてもらったわけです。これって明日から自分が右に向かおうが左に曲がろうが直進しようがいろんなときに役立つ情報でいっぱいです。勿論、その人の人生経験を真似するというのでは決してなく、なにか困難なことにぶち当たったときにヒントになる引出しがたくさん増えたなという感じです。将来困難にぶつかったときに引き出しを探す取っ手みたいなものです。そしてその引出しの中には自分の限りある人生では決して全て体験できない疑似体験ノートに2014.01.01と今回の情報が書き込まれている人生という航海の羅針盤。それ以外には何も書いてありません。そしてその中に書き込むべき内容は現時点では真っ新ですが、これからの夢や目標の達成を書き込みます。30年間ノートに書き込めるだけ書き込んでいく、ただそれだけです。そして後で見返してみたらよき思い出の引出しがまたこの30年でたくさん増えている。10年区切りで読み返しながら、またタイトルを変えながらそしてまた引出しを増やす。その繰り返しで毎日を充実させて生きていく。そして生涯みつからないかもしれない「限りなく困難な夢」に少しでも近づいていく。

シミラン諸島を旅して 最終章今回の3回シリーズでなんとなく読者の皆さんに自分が何を伝えたかったのかはわかっていただけたでしょうか?皆さんの引出し日記も増えていけばいいですよね!

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シミラン諸島を旅して その2

シミラン諸島ダイビング1前回はシミラン諸島ダイビング旅行のあらすじや参加目的などをお話しました。今回はダイビングについて語りましょう。通常ダイビングは1回の潜水時間がおよそ40分から50分で水深は30mまでです。といっても30mにずっといたらものの15分でアウトです。ですから平均すれば水深は10mから20mを中心にダイビングします。サンゴや熱帯魚などの主要な生き物は光の当たるところに食べ物が豊富にあるわけですからそこに皆集まってくるわけです。そんな水の中だけでしか生きることができない生物の縄張りに人間がわざわざ空気タンクを背負って潜水をしていくわけです。釣りで釣られる魚も海の中では我が物顔で悠々自適です。ですから人間が近づいてもよほど近づかない限り逃げません。むしろ人間の方がバタバタもがくように泳いでせこく見えてきます。私たちは海のなかでは完全に脇役なのです。

シミラン諸島ダイビング21本、2本とダイビングを重ねていきますが、初日は前日の旅の疲れなどが混じってあまり体調もよくなく適当に流す程度のダイビングでしたのであまり記憶に残っていません。撮影した魚の被写体をみると「ああ、あの時ね」と思い出す程度です。ゆっくりとした元旦の1日が流れていきます。今回のクルーズは3日間とも快晴で天気にはとっても恵まれました。夜は前回お話したように人生経験を語る会です。疲れも残り眠くなりますが、夜のひとときは潮の流れと同じようにゆっくりと流れます。2日目のダイビング。これがメインです。このシミラン諸島は乾季つまり11月から5月までしか行けず、国立公園で宿泊施設がないためほぼ今回のように船の旅でしか満喫はできません。そして特に本日ダイビングするポイントこそがよくテレビでも紹介されるジンベイザメやマンタなどの大物からマクロの小物まで多種多様に見ることができます。個人的には大物が鑑賞できるにこしたことはありませんが、是非にでも観たいというわけでもなく記憶に残るマッタリダイビングならそれでいいわけです。今回のポイントはタチャイ島といって更にクルーズでもレアな場所にあり、そこにはバラクーダ(オニカマスの一種)、これは写真に撮れましたが、もうひとつはアジの仲間でロウニンアジという1m級の魚がメインでした。その悠々と泳ぐ姿はテレビでしか見たことない私にとっては目に焼き付くほどの感激ものでした。

多分この一瞬の脳へのスナップショットは一生忘れることのできない引き出しにしまうことができたと確信しました。そしていつの日かまたその魚をどこかの海で見た瞬間に今回の50歳目前の一人旅の記憶が一気にタイムスリップして蘇るように記憶の引き出しから引っ張り出せるはずです。その時がいつやって来るのかは神様ですらわかりませんが、必ずやその日がやって来ることを信じて自分は前を向いて歩いていこうと思っています。そしてそのタイムフラッシュで振りかえった時に「あの時は・・・・」と言っている自分を想像すると今からとても楽しみです。「これから何をしようか」という今回の最大の目的である「今後30年の目標」は徐々に自分の中で形として見えるようになってくるはずです。それでは次回が最終章で一人旅の総括と50歳になった抱負を交えて完結編です。

2014012002

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