伸びきったゴムはもとに戻るか?

今回はゴム紐についてのお話です。早速ですが、今日の本題についてあなたはどう思いますか?と質問してもゴム紐にもいろいろあるので、具体的にどんなゴム紐かがわからないと答えようがありませんよね。そこで今日のゴム紐は全部で3種類。心臓の筋肉というゴム紐、パンツのゴム紐、人間の能力というゴム紐です。

まず一番目と二番目のゴム紐はセットですが、当院の標榜が循環器内科ですので心臓の悪い患者さんが来院されますが、その時の説明でよくこのゴム紐を喩えで使用します。出典は20年以上前の研修医時代の病院で10歳くらい上の臨床工学師さんから教えていただいたパクリをアレンジしたものです。心臓は筋肉というゴム紐からできていて風船のように血液が出入りして伸び縮みしています。それが高血圧や心筋梗塞などの病気でその筋肉が疲れ果ててやがてはあたかも使い古したパンツの伸びきったゴム紐のように「パンツをあげてもあげてもすぐにずり落ちる」という状態になってしまいます。つまり心不全は心臓の筋肉が伸びきって動かなくなった状態で、治療するには痩せ細った馬に鞭打つか(強心剤)、痩せ細った馬に乗せた荷物を降ろして負担を軽くする(利尿剤や血管拡張剤)ことで対処します。その当時は心臓移植がありませんでしたので、「パンツのゴム紐がユルユルになったら捨てて買い替えるでしょ」とは冗談でも説明できませんでしたが、医学が進歩した現在では心臓だって取り替えるか作り変えることができるかもしれません。そう説明すると患者さんは腑に落ちたように理解納得されます。時代は流れてゆきます。

最後の能力というゴム紐について。よく大学受験合格後や大手企業に就職後に燃え尽き症候群という言葉を聞きますよね。自分も中高でハードな受験戦争に巻き込まれていましたので、大学では燃え尽きではありませんでしたが、ちょっと勉強からは離れてみたいと思った6年間でした。今思うとその6年というリフレッシュがその後の現在の自分を形成しています。つまり大学時代にゆとりがあった分、社会人になってから燃え尽きがなく更に知識を身につけ勉強したいと思う今の自分があるのです。もしそのまま大学時代も同じように突っ走っていたら今の自分はないかもしれません。人間、息抜きが必要なのです。そしてそのゴム紐には更に2種類あって能力のゴム紐と気力のゴム紐の二つから構成されているのだと最近気づきました。受験後に高いハードルの学校に入学したら周囲が強者ぞろいで神童がただの人になるとよく聞きます。受験時代にあまりにも能力のゴム紐を伸ばしすぎると縮むことができずにそのままズルズルと落ちこぼれるとも聞きます。果たして本当なのでしょうか?現在の答えは「気力のゴム紐が伸びきってしまってズルズルになるのであって、しわしわの脳みその能力のゴム紐が伸びきっているのではない」のであり、適度な息抜きで人間の能力のゴム紐は回復してまた全力投球ができるのではないかと思うのです。これから進学、就職または新しい人生の一歩を踏み出そうとしている皆さん、自分の能力のゴム紐を信じて、気力のゴム紐は適度に緩めながら頑張ってくださいネ!

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思い出の近鉄松下百貨店ありがとう!

この2月28日で旧徳山市の時代からあった地域唯一の百貨店が姿を消します。ちょうど50年の節目に閉店となってしまいました。地域の中核として君臨してきたデパートですが、不況と時代の流れには逆らうことができませんでした。以前から他の地方都市でも百貨店が姿を消していく光景を見てきましたが、いざ地元となると何とも言いようのない寂しさでいっぱいです。

近鉄松下百貨店での思い出はいろいろあります。小学校に上がる前の物心ついた頃から買い物に行っていました。当時はおもちゃ屋さんなど多くなくて誕生日やクリスマスなど季節ごとのイベントの買い物やプレゼントはいつも6階のおもちゃ売り場でした。また屋上の広場で乗り物に乗ったり、食堂で食べた記憶があります。父母には勿論のこと現在は亡き祖父母に連れて行ってもらったのも良き思い出です。40年前の当時は近鉄松下以外にもダイエーなどのストアが何軒かありましたが、やはり地域での一番の高級イメージの店舗は1軒のみでした。東京でいえば三越や高島屋や伊勢丹といったイメージでしょう。中学時代には友人同士で新南陽から徳山まで距離でいえばおよそ4km程度でバスに乗って10分でしたが、親同伴でなくとも百貨店に入ることができて、そこの最上階の食堂でラーメンを食べた記憶は今でも鮮明です。

ではなぜこのように地方から名門の百貨店が消えていくのでしょうか?昨年のブログでも書きましたが、思い出のボーリング場や映画館も姿を消しています。企業努力が不足していたと言われればある程度否定もできません。しかし大都会と違って田舎では人口が都会の100分の1なんてざらで、ちょっとしたことで倒産なんてこともよくあります。都会派国会議員がいろいろと言っていますが、本当に地方のことを考えての発言かどうかは耳を疑いたくなることもあります。例えば原発問題にしてもしかりです。安全性については誰もが文句をつけようがない部分ですが、立地場所や電気料金や寄付金など諸問題については地方と都会では温度差があるのが現実だと思います。生産地と消費地の違いと言えばそれまでですが。選挙での1票の格差では説明しきれない部分もたくさんあります。

話題が逸れましたのでもとに戻しますが、お世話になった百貨店がなくなるのは勿論寂しい限りですが、それ以上にそこで誇りを持って働いてがんばってこられたスタッフの気持ちを考えるとただただ残念としか言いようがありません。今回の閉店だけではありませんで、将来また思い出のお店や会社が閉店していく可能性もあります。現総理は山口県出身で、「努力したものが報われる社会にする」と言われています。勿論、その通りで異論はありません。一方で努力してもどうすることもできないことも多くあります。あと数日で閉店ですが、今は有終の美を願うばかりです。このような暗い世の中が少しでも明るくなればという思いを持ちながら地域に少しでも貢献していければと思っています。

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道後温泉ふらり旅

先日、道後温泉に行ってきました。柳井港からフェリーで松山の三津浜港に渡り、時間にして2時間30分の船旅です。車でしまなみ海道を突っ走って本四連絡橋で行く方法もありますが、基本的に運転があまり好きでないため少しでも楽をするにはフェリー利用を選択しました。到着後は砥部焼で有名な砥部町に行きました。砥部焼に関し私は全く知りませんでしたが、父が50年前に行ったことがありまた行きたいとの希望で行くことになった次第です。さすがに連休のため観光客でいっぱいでした。陶芸品にはほとんど知識もなくどこが特徴的なのかはわかりませんが、落ち着いた雰囲気の焼き物というのが第一印象でした。そこではお皿やコップに思い思いの字や絵を描く絵付け体験をしました。焼きあがると、絵の具の緑色は緑色のままですが、黒色は青色に、赤色は黒色に変わりとても不思議です。そしてかまで焼いてもらって後日郵送してもらいます。絵付け後はゆっくりするためにホテルに早めのチェックインをしました。道後温泉に来るからには重要文化財である道後温泉本館に行かないわけにはいきません。早速、歴史を感じさせる雰囲気を漂わせている愛称「坊ちゃん湯」に向かいました。到着するなり入浴券を買うための長い行列です。我々は運よくホテルで入浴券を購入済みでしたので、そのまま浴場に直行できましたが、温泉内では芋の子を洗うようなというのはこのようなことを言うのだと思わず納得してしまったほどです。夜はホテルの大浴場や露天風呂でゆっくりしました。

翌日は朝早くから一人で温泉街を散歩です。一人で歩いているといろいろなことが想いつては消え、また消えては浮かんできます。初めて見る新しい土地の雰囲気と朝の凍てつく空気が妙に心に沁みわたってきます。そのちょっとした時間が自分にとってはとても大切な時間なのです。途中に子規記念博物館の横に道後公園があり、小高い丘の上に展望台がありました。少し時間がありましたので行ってみることにしました。ちょうど永源山公園を歩いて夢風車に向かっているような感じですが、それほど急な坂道ではありません。OLYMPUS DIGITAL CAMERA展望台から周囲が見渡せ、本日行く予定の松山城もはるか向こうに見えています。ものの1時間程度でしたが、とても爽やかな気分に浸ることができました。それからチェックアウト後に松山城に上りました。ふもとからリフトにのり中腹まで行き、それからは徒歩で城に向かいます。城の天守閣まで上って松山市内を360度見渡すとはるか彼方には石鎚山や瀬戸内海を挟んで島々が見えます。大島郡も見えているのでしょうか?定かではありません。城内では鎧兜の試着体験コーナーがあり、戦国武将の好きな次男は我先にと装備して満足げな様子でした。昨日の絵付けもそうですが、こういう風な体験というものがまた将来本人の貴重な経験となっていくのではないかと思っています。

一泊二日の小旅行でしたが、自分のリフレッシュや家族のふれあいや貴重な体験ができて非常に満足した非日常空間と時間をもらいました。同じ36時間でも倍の72時間以上経過したような気分でとってもお得な連休でした。

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異国の地で自分を見つめ直す

何年かに一度日本を脱出して海外へ行きます。スキューバダイビングを兼ねた旅行が主ですが、いつも日本人に生まれてよかったということを強く思いながら帰国します。しかし空港で出国手続きをする時はほんの一瞬ですが、携帯電話や仕事などの目に見えない首輪と鎖から解放された気分に酔いしれてしまいます。日本にいるときに同じ感覚を味わうことはほぼ皆無ですが、敢えて言えば海に潜っているほんのひとときといったところでしょうか。それだけ現代社会は目に見えないけれどたくさんの宇宙から降り注ぐ有害な紫外線や電磁線の如く人体に有害なストレス光線や携帯の周波数光線に一部始終曝されているのだと思います。勿論、海外でも物理的には同じような光線に曝されているのに変わりはありません。まだ見ぬ異国の地の非日常空間で異次元の世界に立っているため、さしあたり今からどうすればいいかという目先の不安やストレスが先行して、今までのマンネリ化した日常のストレスなどは吹っ飛んでしまいます。それがまた何とも言えず快感です。

異国の地に降り立つと今までの日本では常識と思っていたことが180度覆ることがよくあります。また日本人として昔は持っていたけど今はどこかに置き忘れてしまったものなどが突然脳裏に蘇ってきます。現地の空気を吸って触れてちょっとした会話やささやかな親切、それを日本でしても何も感じない当然の行為だけども、それに触れるだけでその地の人々の優しさを感じ更にはやっぱりこの地に来て良かったなあって思うことがよくあります。特に南の島に行くと現代社会とは疎遠で、生活の便利さから言えば自分が小学生か中学生の頃の便利さしかないけれどもとても心を洗われた気持ちになります。ただし唯一の現代社会で目に見えない電波、即ちインターネットやケータイは世界中の隅々まで張り巡らされていて、どこの地に行ってもポケットサイズのデバイスを耳にあてるか、周囲を気にせずにじっと覗き込んでいる光景は世界中どこでも一緒です。ゲイツとジョッブズは人類にとって便利で本当に凄い仕事をしたけれども、敢えて批判を覚悟で言えば、人類を果てしなく画一的にネットという網ですくってしまったと言えなくもないと思います。

異国の地の街角をぶらりと歩くと、そこの雰囲気、もっといえばそこで吸っている無臭の空気にはやはりその地の独特な味わいがあります。その地に永住してしまうと匂わなくなる空気ですが、通りすがりの旅人にはかすかに違った空気、そのような空気をたくさん吸って日本に帰国します。すると昨日までの無味無臭の変わりはない日本の空気をまた胸いっぱいに吸い込んで「がんばるぞというやる気」がふつふつと湧いてきます。そして日本という平和で便利な国に住んでいることをあらためて感謝すると同時に「明日から何をがんばろうか?」とか取り敢えず「何か目標をたててみよう」と思い始めます。それと同時に数年先にまた異国の地で新鮮な空気を吸うためのおぼろげな計画を立て始めます。異国の地はあらためて自分を見つめ直させてくれる場所です。そして日本人としての誇りとこれから何をしなければいけないかを考えさせてくれる場所なのです。

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真に強い人間とは?

小さい頃は巷にガキ大将がいました。少し腕っぷしが強くて言葉使いが少々荒く逆らうといじめられるかもしれないと思うような男の子。しかし現在の陰湿ないじめとは全く違います。口より先にちょっと手がでるかなあ。子供心にはとても怖くてその子の言うことには逆らえません。必ず小学校や中学校にいました。昨年の同窓会でその人物が今では地元で活躍していますが、「当時はいろいろな悪さをしていたが、それを器の広い先生達が自分を掌にのせて見守ってくれていたからこそ好きなことができて今の自分があるのだ。自分が親になって子供にはとても自分がしていた昔のことなんて言えない」というようなことを言っていました。言いえて妙です。

では大人の世界では?子供には「皆と一緒に仲良くしましょう」とか「いじめは絶対にいけません」と口ではいいことを言いますが、はたして真実はどうでしょうか。大人社会では仲間はずれや悪口、騙し騙され、ルールは簡単に破る、身勝手、陰湿な行為などあげればきりがありません。個人個人がそうですから、大きな国という集団でも自国の国益を守るためという御旗を掲げてエゴばかりです。昔の日本の戦争から始まり、現在の周辺海域での他国の領土主張や人質テロ行為などもしかりです。

偉人の伝記にはマザーテレサや他の偉人が自分のことは顧みずに人々に尽くしたお話がいつも登場します。読んでいくうちに「絶対、自分なんかマネなんてできないよ」と思いますよね。「もし少しでもそのような人物に近づくことができればいいなあ、多分無理だろうけど」とも思うはずです。自分もそのように思う1人ですから。しかし自分の気持ちに余裕があればそう思えるようになるのかもしれません。今日1日の食べ物すら困るような貧困の国に住んでいたらそんなことなんて到底思えないでしょう。少なくとも現在の自分はそこまでどん底ではないためにそのようなことを考える余裕があるのかもしれません。

それでは本題です。真に強い人間とはどんな人間?という問いに対して皆さん、どう答えますか?一解答例としては、全てのことに対して「受け入れる」ことができて「許す」という行為ができる人間。過去にいろいろな本を読んでみましたが、作者それぞれ表現の違いこそあれ「心が折れそうになったときに折れないように自分を保つことができる人間」それが真に強い人間だと書いてあるように思えます。なかなか真似することはできないとは思いますが、「少しでも近づければ」と思います。それでは「そのためには何をすべきか?」と自分に問いかけてみます。ベストアンサーではないかもしれませんが、「毎日を真面目に生きること」でしょうか。その延長線上に真に強い自分がいるのかもしれません。

「昔のガキ大将は怖いなあ」と思っていた純粋な時代も自分にはあったのだと懐かしく思います。そのように昔は普通に持っていたけれど今はどこかに置き忘れてきた純粋な自分を再発見できればいいですね。いろいろな話題を見聞きして頭の中でかけ巡らせて昔の自分を探している今の自分がいますが、まだまだ偉人には程遠い自分です。

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