政権交代と日本のこれから

先日、日本の舵取りを決める選挙がありました。巷ではクリスマスや忘年会などの最中で気忙しい時期でもあり投票率が最低だったそうですが、何せ今の沈没しかけた日本丸をどのように立て直して浮上させていくかという大事な選挙でした。

前回の選挙は政権交代という大きな流れで自民党政権から民主党政権に移りました。しかし今回は再び自民党・公明党の元の政権に戻りました。また第三極といわれる自公でも民主でもない政党も乱立してマニフェストを見ても「この政策はこの党を推すけど、あの政策はこの党ではダメだよね」ということが多く見受けられました。皆さんも悩まれたことと思います。結果は結果として民意ですから今回の政権に日本丸を託さなければなりません。しかし今までの負の遺産を解消してほしいし、またそれはないだろうという禁じ手はしてほしくありません。

例えば公約破り、いうなれば公約しておいてそれが守れなかったとき。それは嘘つきになってしまうのでしてはいけないと思います。世の中や時代が変化したからというのは理由にならないと思います。そうしないと小学校で教師は子供に「約束を守りましょう。嘘をついてはいけません」と教えることができなくなりますよ。勿論、決められない政治も最低です。決めるために国民は選んだのですから。ただ決めるといっても最初に約束した大義を変更するならばその前に国民に信を問わなければいけないのでは?

次に社会保障、景気など問題は山積みですが、この負の遺産の責任は一体どこにあるのでしょうか?戦後60年経過して制度疲労が起こって、その間の累積が今に至っているわけですから、この2-3年の政権政党だけの責任ではないと思います。そのことをよく理解していただいた上で「責任ある決める政治」をしていってほしいと思います。

では何が一番重要か?景気、外交、防衛、教育、消費税などありますが、それは個人個人考え方が異なりますので、具体的に意見を述べても賛否両論だと思います。それでは、「日本人が日本人らしく生きていくにはどうすればいい?」と質問を変えてみましょう。日本を築いてきた先人達の素晴らしい考え方や古き良き伝統を忘れてはいませんか?しかし古いものをそのまま半世紀も手直しせずに使い続けると綻びがでてきませんか?この二つの相反するテーマ、ある意味反してはいないのですが、そのテーマをしっかり受け止めてこれからの日本をしょって立っていく若い世代にバトンタッチしていかなければならないと思います。まずは地方が元気にならなければ日本も元気になりません。更に大きな視野にたてば個々人がどうすれば地球に住む生物の一員として幸せに協調して生きていけるかを微力ながらでも考えていかなければならないのではないでしょうか?そのような目で明日からの政治を見ていかなければならないのと同時に、自分が少しでも地域社会や日本、世界に貢献できるように微力ながらお手伝いしたいと思います。それにはまず自分にできることを確実にすることがその結果に少しでも近づくのではないかと思っています。

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「君の1日の塩の摂取量はいくら?」その2

それでは前回の長い前置きの後の講演についてお話しましょう。当日は冬晴れの中、中学校体育館に小学の高学年生と中学生、それに先生方やご父兄で大体70-80人といったところでしょうか。自分の講演はいつもの如くこのブログに書いているような調子です。今回の題目が塩分についてですので、患者さんに食事指導で説明するようなしゃべり方で会は始まります。

本日の題名「君の1日の塩の摂取量はいくら?」について、第一声として「皆さんは三つ子の魂百までという諺を知っていますか?」と質問します。小学生はキョトンとしています。結局のところ人間は遺伝で病気が発生する場合もありますが、実際は環境要因がとても大きいのです。つまり親がタバコを吸えば将来子供も喫煙率が高くなるように、親が塩辛いものが好きなら子供も親の食生活を引き継ぎ塩分の多いものを好むようになるということです。あとで恩師の校長先生とも雑談したのですが、実母の作った味噌汁と奥さんの味噌汁を比較するとやはり奥さんの味噌汁の方が薄く感じて「あともう少し味噌が多めに入っていればなあ」と思うこともあるとのこと。それで三つ子の魂百までの意味に納得したとのこと。また学校給食の味付けが薄く感じると思っている生徒がいれば、それこそ家庭での味付けが濃いという裏返しだとお話しました。

次に1日塩分摂取は7g程度が理想だが、現実は10g超えている場合も多いことを説明しました。朝食で味噌汁をのめば1g、醤油をかけた漬物を食べて、塩鮭でも食べようものなら軽く5gオーバーといったところ。昼食でラーメンを汁まで飲み干したら、軽く1日量の8g程度までいってしまいます。そして全てを足し算してみてください。多分、10g以下にすることも大変なことがわかるはずと説明していきます。また間食のアンケートで多かったアイスにも塩が入っていることも生徒には新鮮だったようです。なぜ?と養護の先生が生徒に話したときに「お婆ちゃんがあんこを入れておはぎを作るときに少し塩を入れて味をひきたたせるのと一緒」と答えたそうです。これが実生活から学ぶ勉強でしょう。また菓子袋にNa○○mgと書かれている場合、塩分量に換算する場合は×2.5すると出ます。この計算の詳細は省略しますが、原子量、分子量から計算するとそのようになるのです。

などなどいろいろお話ししていくうちに時間が過ぎていきます。最後に育ちざかりの子供には「難しいことは考えずにバランスよく腹八分でもう少し食べたいなと思うところで御馳走様をするように」と説明しました。昔の人はいいことを言ったものです。ご父兄にはその塩分表の挿絵(事前にプリントしておいた食道楽カルテのコピー)を見ながら毎日の食事に含まれる塩分に注意してくださいという旨で締めくくりました。いつもの食事指導の延長でしたので自分でもリハーサルなしのぶっつけ本番でもスムーズにできました。終わって帰り際に小学校の校長先生が一言。「今、緊急メールで付近に熊が出たとのこと。児童父兄に注意喚起します」と言われていました。やっぱりのどかで素晴らしい学校です。

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「君の1日の塩の摂取量はいくら?」その1

先日、和田中学校と和田小学校の合同学校保健委員会があり、そこで簡単な講演をしてきました。まず和田中について簡単に説明します。当市街地から車で30分程度離れていて周囲は山々に囲まれてとても自然が豊かで環境は抜群です。しかし過疎化が叫ばれているのはこの地区でも例外ではなく、更に少子化も拍車をかけて現在では各学年が20人程度の人数です。10年前に和田中の学校医を引き受けた頃よりもかなり子供の数が減ってきています。また現在の校長先生は自分が中1のときに国語を教えていただいた恩師です。その校長先生も当時は大学を出て2年目のバリバリの新米先生で剣道部の顧問をしていて「おれは男だ!」の森田健作ばりの先生でしたが、あと半年で定年退職される御年になられています。またこの中学校出身の有名人はなんと言っても広島カープの炎のストッパーとして活躍され、現役時に脳腫瘍で亡くなられた津田恒実投手、愛称ツネゴンの母校でもあります。ストレートで押しまくる姿は皆さんの記憶にも残っているはずです。また「弱気は最大の敵」という本人愛用の言葉は私の好きな言葉の一つでもあります。

この学校に年1回健診に行くのですが、いつも強烈に感じることは生徒一人一人がとても純朴なことです。都会の生徒と比較しているわけではありません。会った瞬間、その人の雰囲気ってわかるじゃないですか。このブログを読んでいる皆さんなら必ず私の言いたいことがわかっていただけると思います。勿論、「見た目で人の評価は9割決まる」などという本が世間では売れています。この意味としては中身がとても大切だけど、まずは見た目も大切であることは否定できないという事実を物語っているのだと思います。見た目プラスその人間が醸し出すオーラとでもいいましょうか、その雰囲気を感じることってありますよね。まさにその醸し出すオーラがとても純粋なのです。これもやはり自然の中で育まれた環境による所が大きいのではないかと結論付けています。脱都会、卒都会とまでは言いませんが、田舎の素晴らしい環境で子供を育てることはとても重要なことだと考えています。一方、教育という面ではどうしても都会のいろいろな設備や整った環境にはかないません。これもどちらか一方がよくどちらか一方が悪いということではありません。昔は当然だったこと、それが今はどこかに置き忘れてきているのかもしれません。

さてそのような環境での学校保健委員会の講演を依頼されました。そこで最近の子供達は肥満者が多く子供版メタボも叫ばれています。巷ではカロリー制限、低脂肪などを中心にいろいろ取り組まれています。しかし、一昔前の日本では塩分の取りすぎによる脳卒中の死亡が一番だったことは忘れかけられているような気がしていましたので、今回の講演は敢えて「君の1日の塩の摂取量はいくら?」という題目をつけて、2学期に養護の先生に子供たちの塩分摂取についてアンケートをとり、また子供たちが実際に食べているお菓子類に塩分がどれくらい入っているのかを測定してもらい、その調査を元に本日の講演となった次第です。前置きが長くなりましたので、実際の講演内容は次回のお楽しみに。

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エジプト展を見に行って

先日、福岡市立美術館までエジプト展を見に行ってきました。今回は東京と福岡の2都市のみの開催でした。最初はあまり乗り気ではなかったのですが、家族皆で行くなら自分だけ留守番しても話題についていけないので一緒に行くかというくらいの気持ちでした。また以前ブログでロンドンの話題を書いたことがありますが、今回のエジプト展はその大英博物館のお宝がはるばる海を渡って日本にお目見えしたのです。1991年にロンドンに滞在した時は大英博物館に行ってそのミイラや棺などを見たはずです。何を見たかはもう忘却の彼方ですが、もう一度福岡で再会したら必ず「あの時、見たやつだ!」と思い出すだろうという期待もありました。

徳山から博多まで新幹線のこだまで行くと家族5人でまともに往復切符を買えばそれだけで5万円は軽く超えます。こだま切符というトクトク切符で行くと3万5千円です。2万円のお得になる計算です。一人で動くのとではわけが違います。それだけでご飯代と入場料と雑費が全てまかなえます。勿論、高速を使ってガソリン代も含めれば3万円以内で行けて更に1万円ばかりお得なわけですが、さすがに往復全て運転して疲れるくらいならそこまでしてミイラと再会したいとは思わなかったかもしれません。またこうやって家族皆で行動できるのも永遠ではありません。あと数年もすれば一人出て、二人出てというふうになってしまうことを考えれば、今はめんどくさいと思いはしても重い腰をあげざるをえません。

地下鉄を降りて秋も深まる福岡大濠公園を横目に見ながら福岡市立美術館に到着。「3000年の時を経た古代の人々が自分に何を語りかけてくるのだろうか?」と過去にロンドンで会った時の自分と20年ぶりに再会した現在の自分がはたしてどれだけ変化したのだろうかと楽しみにしていました。再会した瞬間、それはロンドンでのあの時が蘇った瞬間でした。今回パピルスを見て強く感じたことは古代も現代も人々の死生観についてはいつの世も一緒だということでした。生あるものは必ず死を迎えますが、現世の自分が極楽浄土に旅立つときは、やはりいい日旅立ちをしたいというのはどの世でも同じようです。

当時のヨーロッパ紀行ではパリのルーブル美術館とオルセー美術館にも行きました。モナリザよりもミレーの落穂ひろいやカルピスまんが劇場でフランダースの犬のラストシーンでネロが亡くなってパトラッシュと共に天使と一緒に天に召されるときのルーベンスの絵画をどうしても見たくて行ったのを思い出します。またそれらの絵画と再会したいと思っていますが、いつになったら見に行けるやら。子供たちが一段落ついたらヨーロッパに行って若き日に周遊した場所をゆっくりともう一度訪ねて、自分の過去の記憶と再会したいと思っています。その時は同じ光景や同じ絵画を鑑賞しても見ている現在の自分が年齢を重ねて面の皮が厚くなった分、ものの見方も変わって同じ目の前のものでも違った色に見えてくるのでしょうか?まだまだ先の話ですが今から楽しみです。

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当院の紅葉を眺めながら

朝晩冷え込みが厳しくなると山々の紅葉が一気に進んできます。自宅から眺めても山々の緑色の中にポツポツと燃えるような紅色が見えます。また周辺にはイチョウ並木の街路樹も多く、道端には銀杏を踏みつぶした跡に黄色い扇子がたくさん舞っています。木の葉がなぜ紅く染まるのかご存知ですか?緑の葉っぱは葉緑素により夏は栄養分をたくさん作りますが、秋から冬になると光が弱くなり光合成があまりできなくなります。そして葉っぱと枝が次の春まで一旦リセットして切り離す行為をする際に、葉っぱに残った養分が紅く変化するのだそうです。イチョウなどは紅く変化できずに散っていきます。これは子供の国語の教材に書いてあったパクリですが。

天津恵さんのモニュメント1当院の入り口のやまほうしは周囲の山より暖かいためか一般の紅葉よりも遅く、11月末に紅く染まります。朝の落ち葉の掃除は大変ですが、今しか鑑賞することのできない光景です。当院を建て替えた時にやまほうしを植えましたが、やまほうしのすぐ前に以前ブログで紹介させていただいた天津恵さんのモニュメントがそびえています。そびえているといっても2メートル強のバレーボールのネットくらいの高さです。毎年この時期のほんの1週間程度ですが、やまほうしの木の葉っぱが真紅に染まってモニュメントにとてもマッチします。生きているやまほうしの紅と人工物の赤が微妙にコラボレーションします。日もすっかり沈んだ暗闇の中にモニュメントを照らすライトが当院の反射ガラスに紅と赤を映し出します。この光景を見る頃にはまた今年も残り1か月かなあと思いをはせます。院内にはクリスマスツリーの準備がされてキラキラと光っています。そして1週間もすれば葉っぱは全て落葉してしまっていよいよ冬本番へと突入していきます。

天津恵さんのモニュメント2毎年、この時期になると夜の真っ暗な病院内からその光の浮かびあがった光景を30分くらいボーッと眺める日があります。いつとは決めてないのですが、仕事を終えてなんとなくその光景を見入るときがあるのです。その時に決まって思うことは、「今年も無事終えることができそうだ。また来年もこの光景を変わらずに見ることができますように」とある意味、願掛けも伴っています。もう少しで半世紀に達してしまう自分とこれからもう半世紀後には多分いないであろう自分。人生は儚いものとつい郷愁に浸っている自分。あと10年後には自分の親は健在だろうか?20年後には子供たちはどんなに成長してどんな大人になっているのだろうか?自分たちはどのように老いていくのだろうか?そんなことを考えているとすぐに時間が過ぎてしまいます。

寒い冬を越して春になると木々の新芽が顔を出します。桜の花が一斉に咲きほこりその満開の花を楽しむのも束の間2週間もすれば葉桜になってしまう頃、当院のやまほうしの枝にも新芽が勢いよく芽吹いてきます。まるで子供がすくすく成長するかの如くに。そしてやまほうしの年輪が一つ増えれば私たちの皺や白髪も一段と増えます。決して肉体的に若返ることはありませんが、知という年輪は確実に厚みを増しています。

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