健康維持には食事と運動をセットで

いつまでも若いままでいたいと思うことはいいことですが、現実的になかなかそうはいきません。気持ちだけは若いつもりでいても肉体は間違いなく老いていきます。私は肉体の衰えを防ぐために以前よりスポーツジムに通っています。健康維持管理も仕事の一部というのが私の持論です。なぜならいい仕事、いい人生、いい人間関係を維持していくためには自分が健康でなければうまくいかないからです。というような考えを持つようになったのは自分が医院経営に携わってきてからです。それまでの病院時代の生活は本当に12時間労働なんか当たり前で、自分の健康なんか気にも止めませんでした。勿論、まだ30歳前半でエネルギーを持て余していた頃でした。

しかし30歳後半から一国一城の主になると、「もしここで自分が倒れたら、一体どうなるだろう?」と考えるようになり、最低限自分の健康にだけは気をつけていこうという気持ちが強くなりました。自営業は急に倒れても誰も面倒見てくれません。以来14年目に入りますが、徳山の青山町のルネッサンスに通い続けています。職業柄、患者さんに「メタボ予防に運動しなさい」と指導している手前、まずは自分が実践しなければ格好がつかないという側面もあります。

今回の食動楽カルテでは「動」の部分です。「どれくらいの運動をすればどれくらいのカロリーを消費できるか」ということが自らの実践によってある程度、自分自身でわかっています。「百聞は一見にしかず、行動に勝るものはなし」といったところでしょうか。人間は生きていくためにエネルギーを確保しなければなりません。そのためには口から食べ物を摂取することによっていろいろな身体活動が可能となります。しかし現在の飽食の時代では人間が生きていく上での最低のエネルギー摂取は微々たるもので、ほとんどは満腹感という自己満足のために内臓脂肪に変わっていきます。「もしあなたが、昭和20年にタイムトラベルしたら、今のようにお腹いっぱい食べることができましたか?」とよく患者さんに問いかけます。戦前戦後を経験された方ははっと思い出したように即座に私の言いたいことを理解していただけます。そのような飢餓、貧困時代を生き抜いてきた方々が現在の日本の長寿社会を支えています。メタボ世代の我々が50年後に現在のように長寿を全うできるか疑問です。医療の進歩した分長生きできることはまちがいありません。しかし本当の意味での健康、長生きでなければ意味がないのではないでしょうか。

スポーツジムでは時速7.5kmで1時間程度の早歩きをしますが、それで600kcaL前後の消費でかなりハードです。運動に不慣れな方なら食動楽カルテにも書きましたが、やや早めに時速5kmで30分程度歩いて200kcaLがせいぜいでしょう。ビアガーデンで「乾杯」の後にジョッキ1杯を一気に飲み干したらチャラです。ものの数分でしょうか。体に取り込むのは簡単だが、運動で吐き出すには大変なわけです。ですから患者さんにはいかに口から入るものをセーブしていかなければならないかを説明し続けています。

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「食動楽カルテ」完成までの秘話

秘話って書きましたが、そんなにだいそれたことではないのですが、「もし、自分が病気にかかって医師から薬を飲むようにアドバイスを受けたらどのような行動をとるだろうか?」ということを常々考えます。自分のもって生まれた性格でしょうか?もともと薬を飲むことが好きではないことも一理あります。このような理由から、この14年間一貫して変わらないことはいつも治療開始にあたり「本当に薬が必要なの?」という自問自答の繰り返しをしてきました。勿論、前回お話したように「薬を飲まなければ、やばいよ」という患者さんには初対面でも即決で薬を飲んでいただきます。しかしちょっと待ってと一呼吸おける患者さんには薬はなるべく処方しないようにしているのです。「なぜ?」って質問が聞こえてきそうです。その質問に対しては、「生活習慣病の場合は一旦薬を飲みだしたら、事実上死ぬまで飲まなければならなくなります。なぜなら生活習慣を自己管理できないのだから、薬を飲み始めるわけでしょう。もし改善できるならとっくに自己管理できて、当院を受診することもなかったでしょう」といつも患者さんに説明しています。

自分が思うに自己管理とは大変苦しいものです。また医療機関でも食事指導ではなかなか治療困難なことは百も承知なのです。しかし少しでも自己管理の可能性があればトライしてみていただき、それでも改善が見込まれなければ、患者さんも「もう、あきらめたので薬を飲むのもやむなし」と言われます。そのような私と患者さんとのコミュニケーションを伴った人間関係を築くことができれば、今後の患者さんとの医療に関してもうまくいくのです。それをいきなり血液検査で高値だからという理由だけで薬を処方すると、患者さん自身が薬を飲んで検査値が下がると治癒したと勘違いして自己中断してしまうことが多いのです。そうするとこの状況を人生ゲームに喩えれば、一回休みになるならまだましな方で、最悪10コマ後方に戻されたり、そのまま破産宣告を受けることもあるのです。

そこで以前から食事指導に興味を持っていましたので、簡単な自家製パンフレットを作成して患者さんにお渡ししていました。また当院では管理栄養士の先生に月1回来ていただいて、食事療法を専門的立場から30分から1時間程度でお話をしていただいています。その説明も難しい説明ではなく具体的に誰にでもわかりやすい説明で、薬を内服する前に何をすべきかをアドバイスさせていただいています。

そのような折にこのようなパンフレット作らないかと周囲から勧められました。自分でも作るなら既存のパンフレットではなく、当院オリジナルのパンフレットを作りたいと思っていたために、今回の運びとなり成就したわけです。道中、いろいろ相談しては「これではありきたりだねえ」とか「もっと患者さんにインパクトを与えるには自分に置き換えてみて、身近なことで共感できなきゃダメよね」とかさまざまな意見がでました。そのような気持ちを十分に組み込んだ内容に仕上げたつもりです。完成品を手に取った瞬間、自分にとって大きな仕事がひとつ終わったなという満足感で一杯になりました。

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Dr.椎木の「食動楽カルテ」完成間近!

 以前から当院では生活習慣病の患者さんにはすぐに薬を処方するのではなく、まずご本人に食事指導をしっかりさせていただいて経過をみながら、それでも改善がなく本人が「もうダメ」と言われてから薬を処方するようにしています。勿論すぐに治療開始しなくても大きなトラブルが起こらないであろうと推測される患者さんに限ってです。例えば上の血圧が160mmHg超えるような場合は、「様子をみてみましょう」なんて言いません。「すぐに血圧を下げなきゃ、やばいですよ。倒れてからでは遅いですよ」という殺し文句で薬を開始します。もっとも、薬を飲むのは患者さん自身であり、「どうしても飲みたくない」という方もいらっしゃいます。その場合でも薬を飲んでいただけるように説得は続けますが、なかなかコミュニケーションがうまくとれないこともあります。ましてや高脂血症などの脂質異常ではほとんど症状などなく、「健診でたまたまひっかかったから受診した」という患者さんも多く、「この状況が続くと倒れるかもしれませんので、薬をのみましょう」という殺し文句も全くと言っていいほど通用しません。ただし、悪玉コレステロールが高いままで放置しておくと、心筋梗塞や脳梗塞をおこしかねませんので、本当は症状がなくても治療が必要なことも多いのです。しかしその場合でもまずは食事指導などの生活習慣を是正しながら自分自身で自分の体と対話をしていただきながら、それでも改善しなければ薬を開始するというケースがほとんどです。

前置きが長くなりましたが、このような場合に薬を処方する前に患者さんに対して啓蒙できるようなパンフレットをお渡しして理解を深めていただきたいと以前から常々思っていました。大手製薬メーカーなどが作成したパンフレットが多く見かけられますが、かねてから当院オリジナルのパンフレットを作りたいと思っていました。昨年、おかげさまでホームページを立ち上げることができましたので、これを機会に誰にでも理解しやすいようなパンフレット制作にこの半年間時間をさいてきました。

病気の内容はホームページと同様にキャラクターの漫画仕立ての会話調でアップテンポに簡単にわかりやすく30ページ程度にまとめました。またホームページには載せてない新しい項目として、食事や運動など当院に来られた生活習慣病の患者さんで本当は薬が必要かもしれないけれど、まずは食事・運動という自分の力で改善できる部分にも光をあててみました。いろいろなメニューの食事についてもふれています。まだまだ不十分なところも多々あると思いますが、当院通院中の患者さんをはじめ、これからいらっしゃるであろう患者さんにもお配りしたいと思っています。「食動楽カルテ」とネーミングしました。

このパンフレット一つ作るにしても自分のアイデアだけではうまくいきません。それを実現するにはその道のプロの方のお手伝いも必要です。今回もホームページを作成していただいたスタッフをはじめいろいろな方にお世話になりながら完成に至りましたので、この場をかりて御礼申し上げたく思います。

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秋入学

先週は卒業式のことを書きましたが、今回は入学式の話題です。

東京大学が秋入学を検討して2017年から移行することが最近話題になっています。日本が世界のグローバル化に乗り遅れないようにするためだそうです。なんかとっても聞こえがよさそうです。「世界、グローバル化、乗り遅れないように」などスパイスのきいた刺激的なフレーズを聞かされると素人でも「ふむふむ、そうだよねえ」と答えが返ってきそうです。しかし、本当にそうなのでしょうか?秋入学と春入学、どちらの選択肢もある意味正しいし正解はないでしょう。しかしどちらの選択肢が日本の進むべき道としてベストあるいはベターなのかは考えなければいけないと思います。

まず秋入学が施行された場合、「もしドラ」の世界です。そうなると春から夏に卒業が変わるのでしょうか?合格の合言葉「桜咲く」が「ひまわり咲く」になるのでしょうか?卒業と新しい門出は桜の花の下でという日本の風情は、国際化というグローバリゼーションによって桜吹雪の如く散っていきそうです。勿論、世界の中の一員である日本が日本独自にという考えは世界の潮流からすれば吹っ飛んでしまいそうですが何となく複雑です。春卒業して秋入学、その間は学校で学べない体験学習を実施して、大学卒業後は春の企業採用ではなく、通年採用。いろいろと意見は出ています。勿論、全て否定する気など毛頭ありませんが、日本の伝統的な風情が一変するのも寂しい気持ちがします。春に小学、中学、高校、大学の卒業、入学を挙行されてきたものにとっての戯言かもしれません。

では昔ながらの春入学のままだったら。今までどおりに桜の花が咲き始めると世の中が足早に動き出して、桜の下でお花見と新入社員の歓迎会。美しきよき日本の伝統を受け継いでいます。しかし世界にうって出ていくには時期はずれ、そして日本の大学や日本の企業に今まで通り入学、就職します。世界の潮流から取り残されてグローバル化できず、また超高齢化社会も加わって、日本自体の国際競争力が低下していきます。

双方とも個人的な意見を含めて極端なことを書きましたが、情報がネットで共有化されて一瞬のうちに世界を駆け巡る現代では、価値観が多様化し昔と違って日本だけで物事が完結できることってほとんどないと思います。日本は資源が少なく、知的財産で他国と競い合わなければいけないし、とはいっても農業は衰退傾向で、もし天候不良で世界的な食料難になれば日本はどうなるのか?地球の温暖化や今回の原発事故でのエネルギーの転換などあげればきりがありません。

秋入学、これからの日本が飛躍していく一手段でしょう。しかしその前に未来ある子供たちが日本人としての誇りをもち、将来に夢をもつことができるような社会を我々大人が作っていかなければなりません。そのためには日本の過去の歴史を含めて決してゆとりではないが詰め込みでもない教育や自分で考えて主張ができ責任を伴った行動がとれるようにするための自立心を育てていかなければいけないと思います。

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小学校卒業式

今年も3月19日にわが母校の富田東小学校の卒業式が挙行されました。特に今年は長男の卒業式でもあり感慨深いものがあります。当院は東小学校から通りを挟んで西隣に位置していますので、毎年仕事の傍ら卒業式が終了して校庭に音楽が流れ始めて卒業生が学校の正門を在校生や恩師の先生に見送られて出ていく瞬間に幾度となく遭遇してきました。毎年必ずその瞬間を見逃さないように努力するのですが、患者さんを診察していたらその瞬間を見ることができません。ここ数年はそのような状況が続いていました。4年前には長女の卒業式だったのですが、卒業証書授与だけは是非この目で見たく、授与直前になったら連絡するようにケータイ片手に万全の手筈を整えていました。しかしことはなかなかうまく運びません。行く直前に患者さんが来院され診察をしてダッシュしましたが、卒業証書授与は隣のクラスの名前に移っていました。

自分がこの卒業式に臨んだのは36年前になります。その当時は父親が卒業式に出席するのは現在より少なかったように思います。自分の場合も母親だけが来て、父親は来ていません。今は昔と違ってフレックスタイムで時間が自由になるのでしょうか?少子化のためでしょうか?結構、父親の姿を見かけます。当時の卒業式の内容、校長先生の言葉や担任の先生の言葉はとうに忘れてしまいましたが、「蛍の光」と「仰げば尊とし」のフレーズと学校の門を出ていくときの瞬間は今でも脳裏に鮮明に焼き付いています。まだ少しヒンヤリとした肌寒さの感覚も残っています。今は定番の曲もあまり聞こえてきません。

いつ頃からでしょうか?卒業式の定番の「蛍の光」と「仰げば尊とし」が我々の耳に入ってこなくなってきたのは。一時期、金八先生の「送る言葉」が流行りだした頃からでしょうか?その流行に一気に飲み込まれてその後は最近の流行歌に取って代わった感があります。国歌斉唱は昔も今も変わりありませんが、この国家斉唱も大阪市をはじめとする各自治体で起立をしない学校の先生がいると最近話題になっています。その先生方も年齢でいえば我々と同年代です。個人の政治、信条、思想、宗教の自由は誰も異論はないと思います。しかし起立もせずに国家も歌わない、これが正しい判断かどうかは私にはよくわかりません。ただ昔は当然と思われていたことが当然ではなくなり、どちらが正しいかを判断する際の価値観が多様化しているにもかかわらず、実際には判断する機会や個人の判断する能力が乏しくなってきているように思います。

そうこう考えているうちに、今回も卒業証書授与だけでも見ることができるように万全の対策はしてあります。まずケータイメールが鳴り、その時患者さんがいらっしゃらなかったら、すぐに外套をはおりダッシュ。小学校の体育館まで3分。時間との闘いです。

今回の結果は・・・・◎でした。ジャストタイミングで見ることができました。まだ、もう一人この春に小学校3年になる次男がいます。まだまだ4年先。長い長い道のりになりそうです。

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