献梅

光市に冠梅園という公園があります。2月中旬から下旬にかけてその公園の山の梅花が一斉に咲き始めます。毎年その梅花を家族で見に行きます。「なぜ毎年?」には理由があるのです。今の診療所兼自宅を建てたとき、ひとつだけ自分の夢がありました。庭にクヌギの木または桜の木を植えて季節を楽しむことだったのです。しかし設計時にそのスペースの確保が困難で、周囲から大反対されたのです。「桜はきれいだけど、その管理は一体誰がするの?自分の机の整理もできない人が毛虫の駆除などできるの?」でした。また私はカブトムシが好きで、以前のブログにも書いた通り、カブトムシを自然繁殖させるためにはどうしてもクヌギの木が必要だったのです。しかしこれも敢え無く却下。

「どうしたものかなあ」と途方に暮れていた頃。ちょうどその折、冠梅園に行き、献梅というものに出会ったのです。つまり公園管理事務所で販売している梅を購入して、献梅即ち光市に寄付すると、あとは管理事務所がすべての世話を引き受けてくれるのです。またマイ梅の木という自己満足を満たすために5000円で立札を立てていただくのです。「椎木俊明 献梅」というふうに。それを期に長女の小学入学記念とか次男の生誕記念とかその時々の家族の記念樹として1本ずつ増やしていって、今では4本にまで増えました。梅の種類も多種多様で名前も「うつり木」など一度聞いても忘れてしまいそうな名前がたくさんありました。最初に購入するときにはまだつぼみでその花の色もわからず、翌年見に来るとピンクと思っていたら白い花をつけていて意外なサプライズもありました。5年も経過すると、立札が木で作られているため朽ちて倒れてしまいます。するとまた5000円支払って真新しい木の匂いがする立札を立ててもらうこともできます。

毎年バレンタインデーの頃になると週間天気予報を見て週末の穏やかな日和の日曜を選んでその記念樹に会いに行くわけです。最初に植樹した頃は小さかった梅の木も10年も経過すると少しずつ大きくなり子供たちの成長にあわせたかのようです。それを毎年、家族皆で見に行くのが年1回の一大イベントというわけです。いつまで家族皆で行けるか?必ずいつかは一人ずつ成長して離れていきます。いずれは一緒に見に行くことはできなくなります。しかし時が経ちまた次の新しい家族ができ、新しく献梅をして一緒に見に行くことができれば最高だなあとも思います。まだまだ先は長いですが、今できることを精一杯やっておくこと、それが10年先に梅の木が大きくなり枝がたわむようにつけた真っ白な花、紅色の花、ピンクの花を見たときに、当時の自分たちの思い出や子供たちの成長を思い出させてくれるのではないかと思うのです。これは「梅の絆」でしょうか。

梅の花のツーショットを掲載しておきます。まだしっかりとした大木にはなっていませんが、時が経つにつれスクスクと成長し見事な大輪を咲かせてくれるよう思いを込め、またこの1年がんばっていこうと思いをはせながら公園を後にしました。

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震災から1年が過ぎて

3.11から1年が過ぎました。まずは亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。今回は医療からみた震災の個人的な思いについて述べてみたいと思います。まず、阪神大震災のときには私は島根県に住んでいて県立病院の循環器内科に勤務していました。いわゆる公務員でした。その当時の朝は大きな揺れで目を覚ましました。しかし一時的な揺れのみでその後は何事もなく朝の勤務につきましたが、その日の午前中に大惨事だとわかり、県立病院医師のため県からの命令により、地震発生約1週間後より先輩医師から順番で災害地に赴きました。私も発生後より1か月目くらいしてから約5日間くらいでしたが、長田町の長田高校に医療派遣されました。その時の焼野原でまだ焦げ臭い匂いが、いまだに臭覚として記憶に残っています。また医師といっても医療器具もほとんどなく、薬もたかが知れています。結局は被災された方々の精神的ケアが主な仕事でした。

今回の震災は津波という全てを飲み込んでしまう災害だったため、被災地の医療機関は大変だったと思います。まず地震直後は被災者の皆さんは被災から逃れることが先決でその後も精神的緊張が続きます。そして1週間、2週間と経過していくうちに、心筋梗塞などの心臓疾患が増えてきます。勿論、手持ちの薬もないわけで持病の糖尿病や高血圧が悪化する場合もあります。そして弱った体にインフルエンザや肺炎などの感染症が加わってきます。また医療器具や薬の不足、そして何よりも患者さんが自分の病気の名前と現在飲んでいる薬の名前が正確にわからないこと、これが致命的だと思います。今回もカルテが流され、患者さん個人の病気の情報がわからないとテレビで放送されていました。その情報だけでもわかれば更によい医療ができていたかもしれません。それから数か月が経過すると心臓疾患や肺炎などの急性疾患はある程度落ち着き、不安やストレスなどによる精神疾患なども増えてきます。このように災害地の医療も震災直後72時間の救出救命医療から急性疾患そして慢性疾患や精神疾患など時期によって対応が異なります。

最近よく思うのですが、医師も医療器具がなければ自分の専門医療ができません。聴診器で肺炎と診断しても抗生物質がなければ運を天にまかせるしかありません。医療機器の進歩は凄まじいものがありますが、全てを国民全体が享受できるとも限りません。特にこのような災害の時はなおさらです。今回は自分の診療所の本業があり、東北地方には行っていませんが、もし地元で同じ災害が起こっていたら、しっかりと対応できていたであろうか?と自問自答をよくしますが、自信はありません。ただ頭の中だけでもちゃんと災害が起こったらまず自分はどのように動いて、医療はどのようにしてというイメージはもっておかなければいけないと思っています。

現在、絆という言葉が社会に溢れていますが、日本の絆、医療の絆、家族の絆などいろいろと考えさせられる1年でした。ご遺族の悲しみは到底癒えるものではありませんが、今自分にできることをしっかりとやっていこうと思っています。

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個人情報保護法って?

最近、個人情報保護法っていう言葉をよく耳にされると思いますが、皆さん、意外なところで不便に感じたことはありませんか?私の場合は最近よく不便に感じています。特に今回は同窓会開催の名簿作成でいろいろと困ることがたくさんありました。

昔なら電話帳を見れば、大体住んでいる町名と親の名前で、友人の家の電話番号だろうとおおよそは見当がつきました。しかし現在では個人情報保護云々ということでまず電話帳に番号自体を掲載してないことも多々あります。電話帳が個人の電話帳として機能せずに、お店探しのタウンページのみの利用になっているのが現実でしょうか。次に運よく連絡先がわかって電話をかけたとしても、オレオレ詐欺と疑われかねません。昔ならすぐに同級生の連絡先を教えてもらえたのに今では不可能に近いのです。

なぜこのように個人情報がうるさくなったのでしょうか?昔のままでいいのにと思うことがよくありますよねえ。多分、インターネットが発達していろいろな情報が手に取るように簡単に入手できるようになった反面、個人情報が簡単に利用され更に悪用され始めたからでしょうか。世の中って何でもそうですが、いいことをするとその反動でそれを利用するならまだ許されますが、悪用する輩が必ず出てきます。それを規制するためには少々不便ではあってもルールを作り、その規制からはみ出させないようにします。するとまたそのルールの境界の灰色部分を巧みに利用するものが出てくる。そのイタチゴッコの繰り返しといっても過言ではありません。逆にいい面もあります。昔ならいろいろすり寄ってきた電話勧誘に対して、「うちの電話番号を電話帳に掲載してないのにかけてくるなんて、あなたは違法に個人情報を盗んだんじゃないの?」って訊ねます。すると普通の勧誘ならば面倒くさいなあと思うのでしょう。すぐに切ってしまいます。しかし最近は強者の勧誘業者がかなり出現してきてこの限りではない場合も多々あります。

同じように、医師は患者さんの情報を漏らしてはいけないと医師法で厳しく規制されています。この法律は昔からあるのですが、この個人情報保護法が一人歩きを始めてからはいろいろな問い合わせに関してひとこと「個人情報保護法があるから一切お答できません!」の一言で片付くようになり、楽になった面もあります。昔なら患者さんが自宅で自然に死亡した場合、警察から電話がかかってきて「○○さんの病歴を教えてほしいのですが」と言われたら医師法に照らし合わせて慎重に受け答えていましたが、現在では「まず本当に警察の方ですか?」から始まり、「個人情報保護法は御存じですよね」と続けていろいろ相手の状況を電話越しに確認して、自分が個人情報保護法に抵触しないかどうかの難しい判断を迫られる場面が増えてきました。表裏一体のことですが、あちら立てればこちら立たず、なかなか難しい問題ですね。世の中が便利になればなるほど、昔は当然だと思えたことが今では非常識だと言われることも多くなりました。そのような便利でもあり不便な今の世の中を少し寂しく思う今日この頃です。「歳とったのかなあ?」

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診療所の医師の目から見た冠動脈バイパス術

先日、天皇陛下が冠動脈バイパス術を受けられました。著名人が病気をされるとその病気の内容や治療法が一躍クローズアップされます。今回も新聞やニュースでたびたび取り上げられましたので、一般的な内容は御存じの方も多いかと思います。そこで今回は診療所の医師の目から見た冠動脈バイパス術と題してコメントしてみたいと思います。

狭心症とは冠動脈という心臓を養う3本の血管の一部が細くなり、血液が流れにくくなる病気です。わかりやく喩えるならば、人間の体が自動車、心臓がエンジン、冠動脈は車のエンジンに送り込む燃料パイプ、血液がガソリンです。通常ならば車は時速100km以上出してもびくともしません。しかし燃料パイプが目詰まりを起こしていればどうなるでしょうか?もうこのブログを定期的に読んでらっしゃるあなた!次にどのような展開になるかはもうおわかりですよね!そう。スピードを出そうとしてもエンジンにガソリンが十分に送り込めずにエンジンが壊れちゃいますよね。それが心筋梗塞です。狭心症はその壊れる前段階です。よって血管の目詰まりをカテーテルで拡げる内科的治療か、今回のように体の別の場所にある血管を目詰まりした先の血管につなぐバイパス手術という二種類の選択肢があるわけです。どちらも素晴らしい治療ですが、現在は手軽さから内科的カテーテル治療の方の実施例がはるかに多いのです。しかし目詰まりの場所や目詰まりが多数ある場合、または背景に糖尿病などの合併症がある場合などは、後者のバイパス術がカテーテル治療より優れていることが実証済みのため選択されることもあるわけです。難しいことは省略しますが、今回の報道内容からすれば冠動脈バイパス術の方がベストだということで個人的にも同意見です。

それでは別の視点からこのバイパス手術についてのよもやま話をしましょう。自分が医師になりたての頃はカテーテル術とバイパス術が半々くらいだったでしょうか。そして何よりも心臓を一旦停止させて5時間程度のバイパス術をしていました。現在よりも当時の医療技術が低かったためやはり大手術という感覚も一部ありました。しかし心臓を止めずに動いたまま手術を行う技術が導入されて以来、手術の安全性も向上しました。手術者に更に確かな技術が要求されたのは当然です。今回、順天堂大学の天野教授が招聘され東大の心臓外科チームと合同で手術が行われました。皇室関係の医療は東大が主に行ってきた過去の例からは異例だと新聞に書かれていましたが、それほど天野先生の技術がゴッドハンドに近いことを意味するわけです。ひと昔前に白い巨塔で一躍有名になった旧帝大医学部を中心とした学閥関係も、現在の社会のグローバル化の波にさらされているのと同じようです。しかし今回の手術は一人の医療従事者として、もちろん天皇陛下という特別な存在ではありますが、一人の患者さんとしての人生を考えて最適な医療を目指すという医療の原点に立ち返ってふるまわれた東大の先生方のご英断は素晴らしいことだと思います。あとは一人の患者さんとしての早いご回復を祈念してやみません。

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電子カルテ雑誌の取材を受けて ~医療のIT化について~

先日、当院に東京から電子カルテのインタビューが来ました。2003年以来、当院では電子カルテを使用しています。この地区でも一番早い導入でした。「なぜ電子カルテなの?」という疑問も一般の方にはあると思います。

その説明の前にまた少しお得意の昔話をさせていただきましょう。40年前にウルトラセブンというテレビ番組でモロボシ・ダン隊員がテレビ画面付腕時計をつけてかっこいいなあと思った方は幼少の私だけではないはずです。ただそんなものが実用化されるとは、あの白黒テレビの分厚いブラウン管を見ていたその当時の私たちには到底想像もできなかったと思います。30年前にはPCが出現しましたが、これほど流行ると確信していたのは、ビルゲイツか、スティーブジョブズか、孫正義さんだけでしょうか?また当時、ケータイやネットがこんなに普及するとは誰が思ったことでしょう。つまり何が言いたいかと言えば、自分たちにとっての必需品は必ず改良されどんどん進化していきます。また必ずしも必要のないものは進化のスピードが遅く、不要なものは廃れて消えていきます。

そこで電子カルテに話を戻してみます。海外ではあまり普及してないようですが、日本では厚生労働省などの機関が外国に先駆けて2001年頃より普及をめざし始めました。業務の効率化、カルテ開示の重要性(簡単にいえば素人でもカルテがわかるように書いて、それを患者さん本人に見せることができるようにしなさいということ)、医療関係者の情報共有などいろいろなメリットが求められました。その当時、自分としてもこれからはPCによるデータ管理は不可欠だと考えていましたのですぐに導入を決意したのです。それから9年が経過しましたが、国が目指した普及率30%にはまだまだ届きませんが、着実に増えてきていることは確かです。もう少し増えれば爆発的に普及する目安となる閾値の30%に到達するのではと思っています。

現在、私は電子カルテのメリットをおおいに享受しています。仕事の効率化は勿論、患者さんへのサービスにもおおいに貢献しています。例えば、待ち時間の短縮や患者さん情報をスタッフ全員で共有化でき、その共有化がまた患者さん自身へフィードバックされてサービスの更なる向上につながっています。なかなか目に見えない部分も多いのですが、患者さん満足度は確実に上がっていると思います。

以上のようなことをインタビューで答え、これからも医療従事者として患者さんのニーズに答えるべくがんばっていきたいです。最新の医療機器も大切ですが、先立つものは道具とまでは言いませんが、情報管理の重要性にも少しは目を向けていかなければいけないと改めて感じました。PCという箱を操るのは人間です。それも自分を含めて機械音痴の医療従事者が多いと思います。しかしその箱を宝箱のように扱うのか、ゴミ箱のように使うのかも、そのPCを使う人それぞれによって決まってくるのだと思います。そのことを肝に銘じながらPCを使った医療のIT化を目指していきたいと思っています。

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