法要はいつまで?

2年前の1月10日に父が亡くなって以来早2年でもう3回忌がやってきました。亡くなって翌年の1周忌とその後の3回忌はカウント方法が異なることは皆さんご存知と思いますが、いざ自分の周囲に不幸が無い限り1も3もあまりピンと来ないかもしれません。私も以前は1周忌と3回忌の違いも知りませんでした。1周忌は亡くなってから1年を迎えたという意味で使用されるのに対して、1周忌を終えるとその後の法要は亡くなってから何年目を迎えるかという観点で3年目を迎えたという意味で3回忌となるようです。言葉遊びのようでもありますが、私としては亡くなってから1年後まではまだ故人に想いをしたためながら後ろ髪を引かれるという発想であり、その後は前向きの発想に変えていこうということではないかと勝手に解釈しています。

しかし亡くなった時期が丁度正月明けで子供たちにとっては学校の3学期が始まり大学では後期試験の直前に当たりますので今後も社会人になるまではなかなか帰省できずに法要の参加も困難ではないかと思われます。そのため葬儀から1周忌を含めて身近な身内だけの法要となり今回の3回忌も同様に寂しい法要となりました。また母の体調も父が亡くなる前後から急激に悪化して現在も入院中で、コロナ禍のため面会不可で外出も許可されませんでしたので喪主も不在の3回忌となりました。そして母は何よりも心の拠り所を失ったことで精神的にも悪化の一途を辿っています。それに関しての特効薬は無く時間が解決するものと以前は考えていましたが、母の場合は父の死を境にして精神と身体の老化のスピードの方が癒えるスピードよりも勝っています。

そして無事に3回忌は終了しましたが、次は7回忌で4年後になります。法要とはよくできた仕組みで一般的には一人に対して両親が4人いると仮定して祖父母までカウントすると故人が全部で4-8人存在したことになれば順番に亡くなっていくと1周忌・3・7・13回忌まで含めてもx4-8になってしまいます。ですから数年に一度は誰かの〇〇回忌がやって来ますので「またか」と感じているのは私だけではないでしょう。故人を想うという行為を否定する気は毛頭ありませんが、数年ごとにやってきますので、その都度皆で顔を合わせることが苦手な私にとっては苦痛でもあります。親の13回忌くらいまでは昔の風習に従おうと思っていますが、その後は自分の葬式を含めて簡素にして融通がきく形式に変えていくつもりです。

現在はお墓も山頂にあり若い時は盆正彼岸の年4回頑張って登ってきましたが、自分が年老いて登れなくなった場合や少子化で末代になって墓参自体が困難になることも十分ありえます。以前から都会では墓じまいをしてお寺の中に骨壺を保管してもらう方法がじわじわと増えています。個人的には子供たちの足かせになりたくありませんので私の代からはそのような方法も一案かなとも思っています。いずれにせよ後10年もすればお墓の維持についても真剣に考えないといけない時がやって来ます。

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フェードアウト

「立つ鳥跡を濁さず」と日本では言いますが、前米国大統領は「跡をかき混ぜ濁して」次へとバトンタッチをしました。民主主義の成熟した国とはよく言ったものです。何かあれば個人の権利の主張とばかりに暴動、略奪を起こして自己防衛のために銃保持も可能で発砲事件も後を絶たずいつも犠牲者が泣きをみます。そしてあれだけコロナ感染で死亡者が何十万人と出ているのにアメリカ国民は民主主義の主張の方が大切なようです。やはり日本と米国では物の見方や考え方が全く異なるのでしょう。そのアメリカの象徴である大統領の振る舞いが我々からすれば奇異に見えますが、アメリカ国民の半数弱はそのトランプ氏を支持したわけで、いくら民意だと言っても理解に苦しみます。やはり「終わり良ければ総て良し」という諺通りにはいかないようです。

我々の年代も60歳間近となり20年前なら定年退職して「さあ、第二の人生をどうすればよいだろう」と考えなければいけない時期にさしかかってきました。「人生70年」は40年前に言われていて20年前には「人生80年」に変わりました。そして現在では「人生90年」となりつつあり、20年後には「人生100年」に到達する勢いです。数字上では大きい事は良い事かもしれませんが、内容が伴わなければ全く意味がありません。人の力を借りずに生きる事が誰しも最大の目標であることに間違いはないでしょう。そのためにはそれなりの自己努力が必要なのは当然です。「好き勝手な人生を送っておいて最後だけ他人の力を借りる」という生き方は身勝手でしょう。そのような老人にはなりたくないので、自分は過去も現在も未来も努力していくつもりです。そして「カッコイイ老人になりたいなあ」とずっと思っています。

この歳になりブログで自分の人生の歩みを10年近くも書いていると必然的にブログの内容にも人生や仕事からのフェードアウトについて触れる回数もこれからは増えてくると思います。最初にアメリカの国民性について書きましたが、だからと言って日本人が正しいとは全然思いません。アメリカ人以上に悪い事も多々あります。それについて今回は触れませんが、昔からアメリカ人を見ていいなあと思う事は、「リタイアや転職に対して未練がなく第二の人生をしっかりと生きる」という風土がしっかりと根付いていることです。そう書くと必ず反論が出ますが、その反論に対して反論する気は毛頭ありません。人はそれぞれ考え方が異なり、個人でそのポリシーを優先させればよいだけです。昔からの自分の人生設計では「60歳でリタイア」というのが大きな目標でした。しかし現実としてはその願いは叶いそうにはありませんが、「自分の第二の人生の目標やゴールをどこに置くのか」そしてそのためには「どのように現在の自分の状況からフェードアウトしていくのか」をこの3年で真剣に考えなければいけない時期にさしかかったということです。まだまだ先は見えませんが、おぼろげながら霧の向こうにあるものも見えつつあります。それがどんなものかはまだはっきりしませんが、いずれうっすらと形が見えてくるかもしれません。

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子育ては壮大なる自身の人生経験 ~パート2~

あと数年で前半部分の子育て記録が終了します。そのため後半の10年は何を軸にすればよいかをこの数年間ずっと考えてきました。「医者だけの人生でははっきり言ってつまらない」と思っています。なぜそのように思うのか?それは「今でも医者は本当に自分の天職と思うか?」と聞かれれば「いいえ」です。「まだ他に自分がやりたいことがあるのではないか?」という自問自答の連続です。そのような意見を述べると必ず「そんなの、贅沢な考えだ」とか「甘えている」だとかいろいろな意見が出てきます。それは他人の意見ですから勝手に言わせておけばよいのです。本当にそのように思えば自分の性格としてどこかの政治家とは異なり議員辞職なり前言撤回は厭いません。ただ最近の風潮ではSNSをはじめとして相手に対しての意見や発言の内容があまりにも軽すぎます。何でも主張すればよいという風潮で「もしこの言葉を発したら周囲がどのように反応して自分にどのように跳ね返って来るか」など何も考えていません。

自分の過去を冷静に分析してみると今までの自分は進路を深く考えずに流されてきたという側面があります。それともう一つは自分が欲張りなのです。一石二鳥どころか聖徳太子が一度に7人の言葉を聞き分けたという言い伝えがありますが、性格的に一つの事に集中すると何も見えなくなりますが、そんな時間はほんのわずかしかありません。ほとんど残りの時間はいつもメインの仕事以外に別の事を二つくらいかけ持ちしながら同時進行しています。いつも睡眠時間を8時間とりながらも残りの16時間を有意義に使うには同時進行で複数の事をすれば人の2倍以上充実した人生が送れるのではないかという欲張りな考え方が自分の根底にあるのです。昔何かの雑誌で読んだことがあるのですが、一つのプロフェッショナルを究めるのは横綱を目指すようにかなり困難を究めます。しかし前頭でもよいので早めに引退した後にプロレスラーになってもう一花咲かせばある意味充実した人生を送れるかもしれません。そのためには全く畑違いの事はその基本知識や動作や作法の習得にかなり時間がかかりますので歳をとると流石にそれは難しい。だとすれば過去に少しでもかじったことから派生して自分に生かせる事をすれば、また第二の人生も有意義に過ごせるかもしれません。そんな第二の人生を現在模索中です。

前半は10年以上かけて高校までの数学や理科をおさらいしましたので、「後半はその知的財産を生かして尚且つ現在の仕事と両立していければいいな」というおぼろげな感覚を持っています。しかし具体的な内容はまだ当人もイメージできていません。それを後半の10年で具体化できれば良いと思っています。昔は60歳で定年退職でしたが、現在の長寿社会では65歳から70歳まで定年が将来的には伸びていきそうです。次男が完全に社会人になって独立するまでにまだ5年程度は残っていますので800回目の頃には自分の次の答えを見つけているかもしれません。それまでは二足わらじでしっかりと今は土台固めです。後半の1000回目のブログはあっという間にやって来そうな予感がします。

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子育ては壮大なる自身の人生経験 ~パート1~

今回は後半の500回10年について語る前にまず前半の10年の総括をしてから次回に後半を語ります。この12年間は仕事と子育てを両刀使いの二人三脚でやって来た思いが強くあります。最初はハーフハーフの力のバランスでしたが、そのうちそのバランスも3対7くらいになった時期もありました。そのきっかけは長女が12歳の時に広島の中学校の文化祭を見学に行ったことから始まります。親としては広島に新幹線通学させようとは思っていませんでしたが、本人が通学したいと強く希望して中学受験戦争に突入しました。その流れで自然と長男と次男も中学受験になりました。しかし自分の思うように事はうまく運びません。3人の中学受験で人生経験したことは「子育て程自分の思うようにいかないことはなく、だからこそ過ぎ去って初めて当時を振り返って一緒に走った重要性がわかる時が来る」という教訓でした。一般世間では仕事にかまけてそこまで考える余裕がなく「いつの間にか子供は大きくなっていた」ということが多いのではないでしょうか?そして「自分の青春時代を映し出す子供の背中を後押ししてやることが、結局自分の中年時代を必死で駆け抜けていくことになる」とわかりました。そんな貴重な時間をただ仕事にだけ精を出すのはもったいないと思います。決して仕事を軽視しているのではありません。生まれてから死ぬまでに人間に唯一平等に与えられるものは24時間という時間だけです。それならその時間を欲張って使う方がより自分の人生が楽しめて豊かになるのではないかという境地に私は娘の中学受験戦争によって感じ取ることができたのです。

そしていつの間にか自分がそうであったように子供は成長して親から離れていきます。それは自然の摂理です。そしてその当時ドンピシャのタイミングでこのブログを書き始めたため必然的にブログの内容は仕事や遊びよりも人生で多くの人が同じ道を通るであろう子育て記録をこのブログを掲載すれば自分の走ってきた証にもなるし、後世に子供たちが読めば何かの参考になるのではと思っています。そして何よりもブログを書くことにより自分の行動を律することができ、人生の次の次の展開を読むことも以前よりはできるようになりました。それこそ「行動をしてその記録をブログに残すのではなく、寧ろブログに書いた通りに自分の生き方を変えていく」ということも可能となりました。例えて言えば役者さんが台本を見て全く違う世界の自分に成りきるようにブログという台本を書いて自分で人生の役者を演じることができるのです。そしてもしかしたらそれがまだ見ぬ本当の自分の一端に出会えるかもしれません。今まで生きてきたけれどもまだ知らない自分を再発見できるチャンスがあり、もしかしたらそれが本当の自分かもしれないのです。

そのような中での10年間は自分にとって「子育ては壮大なる自身の人生経験」となり、将来子供が離れた後もその経験は残りの自分自身の人生にとって計り知れないものになっているのです。その記録をブログという文章に残せたことは本当に自分にとっては貴重な財産です。次回はこれから後半の500回について語りたいと思います。

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ブログ500回記念

今年もコロナで年が明けましたが、今回のブログで500回に到達しました。単純に年52回執筆して10年で520回ですからほぼ10年毎週書き続けたことになります。最初に書き始めた時は2011年の東日本大震災の直後の5月からだったと記憶しています。当時も社会は原発事故でかなり混乱して混沌とした社会でこれからの日本はどうなるのかと不安一色でした。それでも国民皆の努力で回復軌道の途上に乗せましたが、10年経過した現在もまだ完全復興には至っていません。10年目にして今度は新型コロナで世界中が闇の中でまだトンネルの出口の一筋の光さえもまだ見えません。いずれは見えてくるはずですが、当面はおしんで耐え忍ぶしかありません。ブログを書き始めた当初は「そんなに頑張って書いても続きはしないよ」と言われていましたが、そのうち言われなくなり自分の心の中での一人旅でした。「継続は力なり」という言葉が私の座右の銘です。努力は才能に負ける事は百も承知の上ですが、それでも努力することの大切を信じています。ナンバーワンになるには才能は必須でその上に更に弛まぬ努力も必要です。オンリーワンになるためには努力だけで可能です。ナンバーワンとオンリーワンはどちらがいいかという命題は愚問でナンバーワンは一人しか存在せず、オンリーワンは全ての人が24時間という時間を平等に与えられているためにそれをどう生かすかにかかっているだけです。

このブログを1本仕上げるのにまず思いついた時に一気に草案を書き上げますので30分とかかりません。しかしその後その草案を寝かせておいて時間をおいて再度見直します。その間短い時は1日で長い時は1年あくこともあります。そして読み直すとタイムラグで更に頭の中で考え方が整理精錬されて文章や内容が変わってきます。それを修正するのに30分くらいでしょうか。そして更にまた寝かして投稿前日に10分程度誤字脱字チェックして投稿となります。このような過程経過で1本のブログが仕上げてかける時間はおよそ1時間程度でしょうか。それでも500時間は費やしたことになります。ただしその500時間の内訳以上に自分の中での物の見方や考え方やポリシーが一貫してないと良い文章は書けません。ですからその500時間以上にいつも自分の置かれている現状や社会状況に対して自分は正確に物事を理解判断しているのかという自分自身への問いかけを欠かすことはできません。その自分自身への問いかけに対して正しい若しくは間違ってないと確信できなければその1本のブログは没にします。それで没になることも多いのですが、没のブログはまた1年放置して更に自分の考えと合致すれば日の目を見る事もよくあります。

学生時代から朝刊や夕刊の「フジ三太郎」や「アサッテ君」そして「ゴルゴ13」を立ち読みしながら「長く続けることは凄いなあ」と思っていましたが、何気ない日常生活や現実の人間社会を描くことが長続きさせるコツだと思います。ただそこには自分のブレない感性を文章に加味しなければ面白くスパイスのきいたブログにはなりません。最初の目標は1000回で、到達したら引退と決めていますので折り返しを回って残り半分を頑張ります。

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