根室から羅臼、知床へ

昨夜の夕食もホテル推薦とネットのぐるなびで地元の上位ランクされた居食屋を予約しました。ホテルから海に向かって20分くらいの薄明るい道を歩きました。途中に北の勝という酒造があり少し気になっていました。その居食屋では八角の一夜干しというトビウオの一種でこれがまた脂の乗りが凄くて大根おろしが必須でした。そして気になっていた地酒の北の勝もあり冷酒を飲み満足の夜でした。

翌朝は今回の旅程で最長移動距離150km弱の羅臼への移動です。そこでは午後2時からクジラ・イルカのウオッチングを予約しています。北海道の道はほとんど信号がなく一本道で今回は全く道が混んでいませんでしたので予定より早めの到着です。丁度、お昼時に道の駅に到着してその時だけは昼食は3蜜でした。そのため時間をずらすために少し離れた羅臼神社に御朱印参拝です。そこは小高い山の中腹にありますが人影はほとんどありません。その日は羅臼でも真夏日でした。静寂なのですが、地上からの輻射熱で体感温度は35度です。汗が毛穴から噴き出してきます。旅程で一番暑さを体感した瞬間でした。その後に道の駅で羅臼昆布ラーメンや海鮮丼を食べてから小型船に乗り込みます。ベタ凪の海にイシイルカやマッコウクジラを追いかけて日ロ国境線まで船が向かいます。この見えない海のラインを超えたらロシア国境警備隊に拿捕されるというギリギリの場所でクジラを待ちます。今いる海の上は本当の国境という緊張感が漂う瞬間です。待つこと20分で遠くのロシア側で海から噴水が上がっています。そう、マッコウクジラの潮吹きです。これ以上近づけないギリギリのラインでクジラが近寄って来るのを待ちます。運よく2頭の20m近いクジラが日本の領海側に来ました。最後には目の前10mの場所で並んで潮を吹いています。自然の偉大さに圧倒されて暑さを忘れてしまいます。それとは対照的に「人間とはなんとちっぽけでコロナ如きの小さなことで悩むのか」と一瞬ですが現実を忘れてしまいます。ものの2時間半でしたが、旅の前半のクライマックスに大満足です。

下船してからは夕日に向かって羅臼からウトロへ知床峠を上ります。車でおよそ1時間ですが、くねくね道で峠に到着すると一気に視界が拡がります。そこから下って本日宿泊予定の知床第一ホテルに到着です。ここは眼望優先の最上階の部屋を予約して日没が見える30分前にチェックインができました。ここまでは想定内で予定通りの旅程です。そして今夜からやっと隔離していた長男も同じ部屋で合流です。5人とも体調に変わりなく万全です。

夜は久しぶりに5人でトランプをしました。以前なら私が地酒を飲みすぎていつも寝てしまってトランプが成立しません。しかし今回はセーブしているためほろ酔いにも到達していませんのでトランプができました。家族皆でトランプなんて何年ぶりのことでしょうか?思い出せません。でも今の一瞬を家族皆で共有できていることがとても価値があることなのです。明日は旅程中盤のクライマックスで世界自然遺産の知床の海と山を船から観る予定です。天気も快晴のようで気持ちも高まります。

TO BE COTINUED

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釧路から根室へ

東京は真夏日で朝から茹だるような暑さです。お盆期間中にも関わらずに自粛の夏休みで羽田空港も普段よりは少ない中で長女と長男がマスクをしてこの1週間私からの万全の対策と準備をさせての合流です。釧路行きの飛行機も半分強といったところでしょうか。最初は不安も付きまといますが、ここまで来たら引き返せません。自分や家族を信じて慎重に行動をするだけです。釧路空港は霧雨で気温は20度弱で肌寒く感じますが、私はいつもの如くポロシャツに短パンで十分です。空港でレンタカーを借りて移動しますが、昼過ぎに着くと今晩は釧路市内に宿泊のため時間に余裕があります。午後は釧路湿原と釧路の厳島神社に参拝です。釧路湿原は市内から30分、厳島神社は長女が御朱印集め目的で北海道人気ナンバー2だそうです。厳島神社はやはり宮島との関係があるそうで、釧路ではこのお盆期間が七夕祭りの時期に当たりますが、お祭り自体は中止となっています。御朱印も七夕のカラフルな絵で人気があるのも当然です。その後に釧路湿原に向かいますが、途中から道も細くなり泥道へと変わり対向車が来るとお互いに道を譲らねばなりませんでしたので長男の運転が少し心配になります。到着後に今度は泥道を徒歩で10分程度登って行くと急に視界が開けます。その時にはもう雨も上がっていましたが、雨がより一層湿原を際立たせています。眼下180度に地平線まで拡がる青々とした湿原を臨むと心の中まで清涼感に溢れてきます。これが北海道という景色を早速堪能しました。

夕方にはホテルにチェックインして長男だけはシングルに隔離です。そこまでしなくてもと思われるかもしれませんが、念には念を入れるに越したことはありません。夜はホテル推薦でぐるなびでも上位にランクしていた市内の炉端焼きのお店を予約しました。そこでの3蜜は気になっていましたが、お店の配慮や私達自体が5人グループのため1つのテーブルを占領できほぼ感染防止は可能でした。また食べて飲むとき以外はずっとマスクを装着していましたのでこれ以上の対策は不可能です。お店がお勧めの「時知らず」(時季外れの鮭)や「めんめ」(一夜干しキンキ)などを炉端焼きでオーダーしました。最初は美味しく食べていましたが、最後にはさっぱりしたものが欲しくなるほどの脂の乗りでした。今回は3蜜を避けて飲んでも声のトーンを抑えなければいけませんので、生ビール1杯と地元の冷酒を少しばかり飲みほろ酔い止まりでしたが、初日の緊張感もあってその後はホテルでぐっすりです。

翌朝は厚岸を通って根室に向かいます。昼前に牡蠣で有名な厚岸の道の駅で焼き牡蠣やホタテを軽く食べます。その後根室に着くとまずはカニで有名な港の食事処で昼食です。カニチャーハン、カニラーメンと雑誌に紹介通りの美味です。そして霧の中を納沙布岬に向かいます。国後島は霧で見えませんでしたが、35年前には来訪できずに是非訪れたかった本土最東端の地を実際に踏むと、国家間の複雑な問題も絡んで心も引き締まり霧雨による肌寒さも加わり背筋がピンとなって今回の旅で一番緊張した瞬間でした。ホテルは今日も長男はシングル隔離です。

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北海道までの長い道のり

コロナ禍での2020夏のGo toは多くの問題がありましたが、それでも個人、家族、それぞれの地域に住む人の思いは異なります。皆が皆右向け右という行動は戦後75年の民主主義国家ではありえませんし、戦勝国によって牙を抜かれた敗戦国憲法の条文を読めば緊急事態宣言という他国では簡単に実施できるロックダウンさえできません。また現在はネットという簡単に自分の感情や思想を語れるツールがありメディアと結託していとも簡単に世論を形成することができます。そしてそのネット世論が日本全体に大きく影響を与えて7月にはGo toに対する意見がマックスに達します。しかし本当にそのネット世論が正しかったのかどうかは後世が判断することになります。

話は変わり1985年11月に私は北海道の一人旅をしました。その時に日程的に行けなかった道東に将来必ず戻って来ようと決めていました。しかし35年なかなかそのチャンスが訪れませんでした。コロナの話題と関係なく昨年から今夏の北海道旅行を計画して今回を逃すと家族で行けるチャンスは皆無だと考えていましたので、私にとって来年に先送りという選択肢はありませんでした。北海道から帰って体調も問題なく10月からは東京もGo to参加になり自分の心の中で喪も明けましたので今回のブログを書いています。

2020年1月になるとちらほらとネットで旅行予約が可能となります。昨年からの計画に満を持して1月下旬にはネット予約を完了しました。それから4月に緊急事態宣言です。再び夏に緊急事態宣言が発出されれば旅行を諦めるつもりでしたが、右とも左とも行けとも行くなともわかりづらい判断を行政は個人に委ねてきました。よって今回の個人的なGo toの決断は感染防止をしっかりとして他人に迷惑をかけない行動をとるという大前提での北海道旅行です。それでも日に日に感染者数が増えると心も揺れました。また大学生の長女と長男には出発1週間前から外出禁止令を出してしっかりと安全対策を施して出発3日前からは毎日メールでの健康確認です。少しでも体調変化があれば旅行を即刻キャンセルする手筈を整えてのカウントダウンです。幸いにも健康状態は二人とも問題ありませんでしたが、更に出発後の最初の2日間はホテルの部屋も別に用意しました。移動中はマスクをして車中でも車の運転をさせることにより可能性として一番周囲に感染させにくい位置をキープさせそして車内の換気も定期的に行いました。個人的に考えられる対策は全て行った上での旅の最初の2日間と出発直前1週間を合計して「ほぼ感染のリスクはなし」と判断した後の3日目からは同じ部屋に合流です。

そこまでするなら行かない方が良いのではという意見も聞こえてきそうですが、それでも行きたいこともあるのです。来年に持ち越せれば持ち越したいのですが、来年は次男の受験が始まり夏はそれどころではありません。再来年は順調にいけば長女の国家試験と続き本当に家族皆で行動を共にすることは不可能なのです。一生ないかもしれません。そのような想いの詰まった北海道への旅の5日間が始まりました。       TO BE CONTINUED

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中高校県人会の保護者会はドタキャン

毎年5月中旬に中学高校の山口県保護者同士の親睦会があり、7月中旬に学校長や寮監の先生が山口県の保護者を対象にした現状報告会があります。しかし今年の会は両方ともコロナ禍で延期となりました。いつも高校2年の父兄が会の世話係をします。今回は我々と同級生の父兄でその任に当たる予定でした。通常なら5月に新山口駅前のホテルを3時間借りて昼食会をします。その時は父兄だけで和気あいあいと和やかムードの会です。特に中学1年と高校から入学した新1年生の父兄の顔合わせとお互いの情報交換が会の主な目的です。私たちも最初の頃は右も左もわからずに会に出席しても黙って先輩父兄の話を聞いているだけでしたが、回を重ねるにつれて面の皮が厚くなりいろいろと裏情報を含めて交換するようになりました。食事をはさんで3時間はあっという間です。話足りずに後ろ髪惹かれる思いですが、その日はそれでお開きになります。その会の話題の中で疑問点や学校への不満や質問などが多く出されてその回答を幹事が学校側に事前に送付しておいて7月は学校担当者がその質問に答えて懇親もする会になります。しかし今回はその2件ともキャンセルとなり10月の初旬の土曜日の午後にその二つの会を兼ねた会を急遽企画する予定でした。そして3密を避けるべく食事会はなしでマスク着用の上で座席間隔を開けてしっかりとしたソーシャルディスタンスをとるように計画していました。しかし現在でもコロナ禍で父兄や先生方もかなり会の開催には慎重な意見がでていました。

昨年までは学校側の話を聞いてわからない事を質問するのですが、どの父兄も熱心で先生に質問して話出すと延々と話が伸びてしまうことも多く幹事が制限時間の2時間で終了するように取り計らわなければなりません。昨年までは5月の会である程度話が集約されていましたので議事進行はスムーズでしたが、今回は1回きりのぶっつけ本番ですのでどうなるかわかりません。そのため学校側と話す前に少しでもスムーズに進行させるために2時間ほど保護者だけのお茶会の予定でした。食事ならぬお茶でマスク着用ですので感染対策はできています。特に今年初めての新1年の父兄がしっかりこの会の趣旨を理解していただければ良いわけでしっかり準備をしてきました。4年前は自分たちが反対の席で緊張していた事を思い出すと時の流れは早くもう後1年半で卒業です。小学生の親としての6年間はある程度長く感じられますが、中高の6年間はあっという間です。子供の成長スピードと親の老化が双方で増して相対理論と同じようにプラスとマイナスの和が小学生の頃より大きくなるためではないかと勝手に思っています。その短い6年間のほぼ8割が過ぎてしまった現在ですが、それでもまだまだ学校側には多くの疑問や質問をぶつけたいと思っていました。そしていつものパターンですが、すぐに解決できない問題は学校側が引き取り後日回答になります。主張しなければ変わるものさえ変える事が出来ない事実をこの5年間で学習しましたので今回がラストチャンスでした。しかしコロナ禍で学校側が1週間前にドタキャンしてきました。今回の学校の対応は残念です。

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最近のコロナ新規感染者数の増加数にはウンザリ

毎日毎日都道府県別の新規コロナ感染者数がニュースの一番に取り上げられます。そして「東京で何人出た」とか「大阪では何人で最高です」などとワンパターン化して視聴者側もウンザリしているように見えます。ニュースは真実を正確に早く伝える事をモットーとしていますのでそれを忠実に守ることはメディアにとって大切な事です。またデータやグラフは基準を統一しなければ意味がありません。いきなり基準を変えて評価をしても過去との比較ができなければそのデータの意味する普遍の真実を解き明かすことはできないからです。しかしワンパタ化したメディアも毎日一辺倒の新規患者数の羅列ではまずいのではないかとようやく気付いて最近の報道では数字を取り上げる回数が減ってきました。それは国民自体がその数字に慣れっこになったのも要因の一つです。本当に知りたいのは東京のPCR検査数と陽性者数とその内訳で無症状と軽症者数と重症者数と死亡者数、病院のひっ迫度である重症者数のベッド占有率などではないでしょうか。多分そのようなデータを毎日集計して東京都が発表するのは大変だと思いますが、多分データとしては存在するはずで、それを週ごとにまとめて比較したデータをお昼の2時間枠のワイドショーで出して専門家がコメントしていただければ素人でも先行きがヤバイのか大丈夫なのかを判断でき、個別にGo toか自粛かを判断する材料になると思います。ただ新規患者数が最高を記録したというだけのニュースでは国民に不安を煽るだけであまり意味がありません。それに反応するかのようにネットでも「その恐ろしい数字にもかかわらず緊急事態宣言をなぜ出さないのか?」といった投稿だけが増えてそれが更に増幅されてネット世論調査で9割賛成という事態になるのです。行政やメディアは正確なデータとその数値から読み取れる意味とそれによる現在の政治的判断や医学的判断をしっかりと国民に伝えなければいけません。とっくにそのような報道にならなければいけない時期なのにどこも報道しません。報道するデータが公表されないのなら行政に公表するように主張すべきです。

数字はマジックで同じ数字でも恣意的に世論を誘導することは可能です。医学雑誌に掲載されるデータでもその解釈の仕方が真反対と言う事がよくあります。誰が読んでも「それって、反対じゃね?」という医学的結論が導かれて時にはそれが有名な雑誌に掲載されます。しかしそれは一つの議論の口火を切っただけでその後に怒涛の如くその反論意見が掲載されて数年経過すると落ち着くところに議論も着地します。その意味ではある程度反論意見を誘導して議論を盛り上げる事が必要な時もあります。しかし現在のコロナ報道ではそのような反論するほどのデータをメディアが出さないのか行政が見せないのかはわかりません。いずれにせよそのような状況下でGo toについて良いか悪いかを判断しろと言われれば新規患者の絶対数と死亡者数と東京の数だけで評価せざるを得なくなり国民一人一人にまともな判断はできません。その結果世論の9割が反対となるのです。その点に関して行政やメディアは大いに反省すべきで明日からでも変えてほしいものです。

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